川柳的逍遥 人の世の一家言
カギ穴を一瞬ウフフが横切った 山本美枝
「近世職人尽絵詞」
文化3(1806)年、定信は『近世職人尽絵詞(きんせいしょくにんづくしえ ことば)』を製作している。 登場している三人の男子は、大田南畝、朋誠堂喜三二、山東京伝と言われる。
寛政の改革では、要注意人物の扱いを受け、筆を折ったり、処罰されたりし
た三人である。定信隠居して恩讐を越えての作品だが、その心中はなんだっ たのだろう。 「江戸のニュース」 天明六年八月二十六日
老中の田沼意次は、病気を理由に辞職願を提出した。
そしてこの日、これが即刻受理されて意次は老中を解任された。
意次は、九代家重の小姓として取り立てられ、続く十代家治にも信頼されて
老中にまで登りつめた。その政治力を縦横に発揮してきた意次にしては、何
とも呆気ない解任劇だったといえる。しかし、この解任劇の背景には、田沼
派と反田沼派による激しい暗闘があった。
田沼派は,、意次を頂点とするグループであり、その才で家治の信任を得て、
政策・人事面で大いに権勢を揮っていた。
それを苦々しく思っていたのが、尾張・水戸といった親藩大名をはじめ、
伝統的な家門を誇る譜代大名たちで、その筆頭はこの前年に準老中ともいう
べき「溜之間詰」となっていた松平定信だった。
この反田沼派は、家治が健在であるうちは動きがとれなかったが、家治が病
に伏すようになると勢いを見せ始めた。そして家治の病状が悪化することに
よって、両派の立ち位置は逆転した。
そして、ここから反田沼派による家治毒殺説も生じている。
笑ったらあかんゴーヤがついてくる 酒井かがり
蔦屋重三郎ー田沼時代の終焉
「潮干のつと」 喜多川歌麿作 (千葉美術館蔵)
浅間しや富士より高き米相場 火の降る江戸に砂の降るとは
「画本虫撰」で手ごたえを感じた蔦重は、その後も多くの狂歌絵本を歌麿に
依頼した。そのひとつ「潮干のつと」(しおひ)は、春の袖ヶ浦で開催され
た狂歌会から誕生した狂歌絵本である。 「浅間しや…」は、天明の大飢饉の際に詠まれた狂歌で、田沼意次の政治を
皮肉った。 水害も旱魃も米の急騰も何もかも、田沼が悪いというのである。
賄賂政治といえば田沼意次の名がトレードマークのようである。
意次は徳川十代将軍家治に仕え、側用人から老中にまで出世し、二十数年間
にわたって権勢をふるった。その間を田沼時代と呼ぶが、当時の評価は低く、
賄賂が横行し、世の中の道徳観が乱れた時代であったという。 そうした混乱を招いた張本人こそ、意次だというのである。
江戸の町に繁栄をもたらした「重症政策」を大歓迎し、ちょっとした蹴つま
づきで「賄賂」に置き換わってしまうのだ。
言い続けた嘘がホントになっていく 日下部敦世
松平定信 田沼意次 「将軍家治の死亡の裏にある疑惑」
盤石と思われた、幕府内の田沼体制だったが、一つの出来事をきっかけに、
あっけなく崩壊してしまう。
8月19日、将軍家治の病状が日を追って悪化していく。
これを心配した意次は、自分が信頼する蘭方医2名を病床に送り込み治療に
専念させようとした。
ところが、翌20日には、御殿医・漢方医らに退けられる。
家治は、8月20日にはすでに亡くなったいたが、これを外部に伏せておく
ために、意次の息のかかった蘭方医を病床から遠ざけたのだ。
そして、将軍危篤と聞いて駆け付けた意次に対して、病床への入室を許さず、
あげくのはてに、上意であるとして意次に「引退願」を強要したのである。 結局意次は、「御上意である」と言われて抗しきれず、天明6年 (1786) 8月
27日、老中を罷免されたのである。
本当を知っているのは私だけ 津田照子
そして、将軍家治の死が公表されたのは、翌月の9月7日だった。
将軍の葬儀がすむと、一橋家から養子に入っていた家斉が、11代将軍とな
る。そして矢継ぎ早に、田安家から白河藩藩主に着任したばかりの松平定信
が老中筆頭となった。そして反田沼派の動きは、迅速であった。
田沼意次は2万石を召し上げられ、意次の活動拠点だった神田橋上屋敷と大
阪蔵屋敷を召し上げられ、さらに翌年10月、意次は蟄居謹慎を命じられ、
相良城とその所領は没収、奥州下村藩1万石に転封を命じられた。
田沼家は意次の孫・意明が家督相続することとなった。なお、下村藩五代藩
主意正のとき、将軍家斉の計らいで、旧領の相良に戻ることができた。
これは将軍就任に協力した意次の名誉回復を将軍家斉が望んだためと言われ
ている。
いつも風が吹いている壺の中 蟹口和枝
「意次失脚を企てたのは誰か」
意次を恨んでいた松平定信が第一にかんがえられる。
「定信は意次を刺し殺したいほど憎んでいたことを、自らを老中に推薦する
将軍に宛てた上奏文」がある。
「…中にも主殿頭心中その意を得ず存じ奉り候に付、刺し殺し申すべくと存じ、
懐剣までこしらへ申し、一両度まかり出候処、とくと考へ候に、私の名は世に 高く成り候へども、右にては天下に対し奉り、却って不忠と存じ奉り候…」 「定信は意次を刺し殺したいほど憎んでいたことを、自らを老中に推薦する
将軍に宛てた上奏文の中で吐露した」
キー捨てる指の先までジェラシー 井上恵津子
定信若かりし頃、梅鉢紋は久松松平家松平定信の紋である。 定信が意次を憎むきっかけとなったのは、まず白河藩への養子縁組問題であ
ろう。定信が16歳の時、奥州白河藩への養子の話が持ちあがった。
田安家には、定信の上に五男の治察がいたが、彼は病弱だったため乗り気で
はなかった。が、一橋治済と田沼意次の強い推しがあって、田安家はしぶし
ぶながら、養子話を受けた。しかし案じた通り、その直後に治察が亡くなっ
てしまった。田安家は、定信の養子解消を願い出た。が、老中意次は、例を
見ないこととして許されなかった。田安家はその後13年間、当主不在の状
態が続いた。田安家の復帰が認められず、将軍になる資格をも絶たれたこと
で、定信は、意次を快く思えなかったことは事実だろう。
そして8代将軍吉宗の孫という確かな血筋を持ちながら、足軽出身の意次が
政治を牛耳っていることも、苛立つ要因になったことも考えられる。
蘊蓄を並べて蕎麦を捏ね始め 萩原鹿声
古画類聚 定信が編纂したことから、幕府の財政吾改革や政治改革だけでなく、 文化的な側面でも、定信は優れた功績を残している。 「田沼時代が続いていれば」
田沼政治は、これまでの幕政とは異なる、気宇壮大な政策を次々と打ち出し
ていった。ただ国家の富を蓄積するために、貿易や産業を重視する経済思想
や経済政策である重商主義をとったことは、倫理観の転換にもつながり武士
ならず庶民からも、心理的な反発が起った。
天明3年(1783)、浅間山が大噴火して、噴煙による日照不足や長雨で東北地
方が大凶作となる。その最中の翌天明4年、意次の嫡男で若年寄の意知が、
旗本の佐野政言に刺殺される。跡継ぎを失った意次の権力は弱体化するが、
それでも二年間地位を保ち続けた。
ところが、不運は続くもので天明6年、後ろ盾の将軍家治が死去する。
そこで老中を免ぜられ、さらに天明7年(1787)5月に起きた大規模な打ち壊し
だった。大凶作による物価の高騰で大坂の貧民が、米屋や商家を襲撃、さらに 打ち壊しは江戸や長崎など諸都市へ連鎖した。 この混乱の責任を負うかたちで、田沼派は一掃され、松平定信が老中首座にの
ぼり、幕政を掌握した。同年、意次は、2万7千石を没収されて隠居・謹慎を
命じられ、孫の意明に一万石が与えられた。
バネだけになってしまったバネ秤 筒井祥文
「千鳥和歌」
松平定信の号は楽翁。隠居後は書画や和歌、著書など多く遺した。
ともあれ、5万7千石がわずか1万石になってしまったので、田沼家では家臣
の大量の召し放ちを余儀なくされた。ただ、田沼家に仕えていたということで
「此の浪人ども、他家へ抱える人一向になし、定て難儀に及ばんと思う処に、
主人(意次)より、銘銘に過分に配金して、路頭に立たざる様に労はられける
とぞ」(『翁草』)とあるように、
大減俸になったにもかかわらず、意次は家臣たちの行く末を憐れんで、惜しげ
もなく旧臣に私財を分与したのである。
さらに、藩の組織を大幅に改編することになったが、それにあたって意次は、
家老と用人を、家臣たちによる選挙で選ばせている。
そして、天明8年意次は、70歳の生涯を閉じる。
田沼時代は終わりを告げたが、そのまま商業重視政策や対外開放政策を続けて
いたなら、我が国は欧米列強と時を同じくして産業革命を達成し、もっと早く
資本主義国家になっていたかもしれない。
笑い飛ばすことに決めたよホウセンカ 服部文子
相良城にたつ意次の像 「意次の遺言」 田沼が失脚後、将軍に送った手紙。
「老中職にあるときはひたすら天下のためと、粉骨砕身努めてまいりました。
私が少しも偽りを行わなかったことだけば、伝えたいのです」 将軍のため、幕府のために尽くした人生。最も清廉潔白な男は、彼だったの
かもしれません。定信は、田沼失脚後、老中となり江戸で寛政の改革を実行し
ます。飢饉にそなえ、農業重視の政治で町人文化を取り締まり始めました。
世に言う〔倹約令〕です。
しかし、江戸ではすでに広く貨幣経済が浸透していました。
「なぜわからぬ!全ては、のさばる商人をこらしめ、武士が権威を取り戻すた
めなのに」
定信の政治は、民を苦しませ結局、11代将軍斉昭に失脚させられます。
タイプの違う二人の改革者。
…ふたりは今の日本をどうみているのでしょうか
『意次と定信 童門冬二ゟ』
江戸か火星か棺の中で思案中 桑名千華子 PR |
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