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川柳的逍遥 人の世の一家言
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なぞなぞは解けたが記憶は点滅  山本昌乃


   真田三代  (拡大してご覧下さい)

戦国時代に登場する人物の名前は覚えにくいし分かり難い。
例えば、今回の大河「真田丸」ひとつ取り上げてみても、真田では
真田幸隆、真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信幸、真田信繁、
真田信尹、真田幸昌、真田昌親の名が出てくる。北条では氏政、氏直
上杉は憲政、景勝。本多では正信、忠勝などなど。
また、誰と誰がが主従関係、どれが敵対関係、加えて昨日の味方は
今日の敵という裏切りありで、思考回路はグッチャグチャ。まさに、
洋画に
登場するカタカナの役名に匹敵するほど覚えられませんね。
そこで大河
を分かり易く見るために『真田家に関わる人々』を記す。

梟のボス目ぐすりが離せない  美馬りゅうこ


「真田信繁(幸村)」
真田昌幸の二男。祖父・父・の血を引く智謀に加え、逆境に決して屈し
ない闘士をあわせもつ。大阪夏の陣では徳川家康の本陣を突き崩した
戦国最後の英雄と称えられる。大河「真田丸」の主人公でブログには、
再々登場するので、信繁の説明はこれだけにて御免蒙る。

ふるさとを見たくて高い木に登る  合田瑠美子


  真田幸隆(真田信繁の祖父)
信濃・真田郷を本領とし平安時代から信州小県郡を統べる豪族・海野
の血縁とされる。村上・武田氏らの侵攻で一度は本領を飛び出した
ものの、
武田信玄にスカウトされて信濃に戻り、武田に加担するよう
土豪たちを調略。
天文20年には、信玄も攻め落とせなかった砥石城
を奇襲で乗っ取っている。
「智略の真田」の礎を築いた。

大波のうねりに乗って来たゆとり  井澤壽峰


 「真田信綱」 (信繁の叔父)
幸隆の長男。武田家の侍大将。三尺三寸あまりの大太刀をふるって
24将のひとりに数えられるほどの豪勇の士で川中島合戦や岩櫃
城攻めで
奮迅。三方ヶ原の戦いでは、徳川家康を討ち取る寸前まで追
い詰める活躍
を見せた。父・幸隆が死去すると家督を相続したが長篠
合戦で織田・徳川
連合軍に突進し、銃撃されて戦死する。

トンネルを逆に抜ければ春なのに  真鍋心平太


「真田昌輝」 (信繁の叔父)
幸隆の次男。兄と同じく真田姓を名乗る侍大将。信玄の先鋒の一番手を
つとめたことから勇猛果敢・猪突猛進を得意としたようで、50騎の長
として
活躍。信玄の子・勝頼の家臣・相木市兵衛の娘を正室としたが、
天正3年、
長篠合戦で自ら首二級をとったあと、兄・信綱とともに討ち
死にしている。


安全神話誰がおめおめ聞くものか  都倉求芽


「真田昌幸」 (信繁の父)
幸隆の三男。幼少から人質として武田家に預けられ、信玄のもとで武将
としての才を開花させる。武藤家の跡取りとして養子に入ったものの、
兄二人を長篠合戦で亡くしたことで、期せずして「真田家」を継ぐ。
信玄と
いう統率者を失った空白の地に押し寄せるという窮地の連続にも、
的確
に時勢をとらえ、乱世をわたり歩いた智謀の武将。

カベというカベに大判サロンパス  雨森茂喜


「真田信之」 (信繁の兄)
昌幸の長男。武田家で育つが、武田家が滅亡後、父を追って上田へ。
武力・智略だけでなく、その血筋に流れる生真面目、反骨・一徹・頑固
という一面を有し表面は柔らかく、その内面は質実剛健な人となり。
また卓抜した政治力もかねそなえ、こうした信幸がいたからこそ、真田
家は戦国から徳川時代までの300年間を生き残れた。

私のどこを押しても灯がともる  嶋沢喜八郎

    のぶただ
「真田信尹」 (信繁の叔父) 
真田幸隆の四男。昌幸の弟。武田滅亡後は上杉家に仕え、その後、徳
川家に仕え、真田本家とは別行動を取っている。兄・昌幸が北条家から
徳川家に乗り換える際には橋渡しするなどし、また外でも絶えず昌幸の
下に情報を送り続け真田本家が生き残るための助力を分家として惜しま
なかった。

まだ一つも極めていない活きている   田中博造


「薫」 (信繁の母)
真田昌幸の妻。公家出身で武田信玄を介して昌幸と結婚。公家出身で
誇りが強く、 野放図でわがままな癖がなおらず、武家生活との価値観
に戸惑いながらも、昌幸を心から愛した、今風でいえば天然な女性。

つぶれそうな骨なんですのハグはだめ  柴本ばっは


「松」 (信繁の姉)
真田昌幸の長女。夫・小山田茂誠の縁戚・小山田信茂が主君・武田勝頼
を裏切って逆賊となり、茂誠が厳しい立場におかれると、信繁と協力を
して、
匿うなど、まさに祖母・とりの血を継いでいるのだろう、情の篤
い反面、猛々
い男まさりな女丈夫の一面を持つ。

真ん中の積乱雲が私です  森田律子


「とり」 (信繁の祖母)
真田幸綱の妻。信綱、昌輝、昌幸、信尹ら果敢な男子を産み育てる。
家督を
継いだ昌幸をもりたて、その采配を信頼し続けた。「本能寺
の変」後、諸
大名の駆け引きが活発になると、自ら人質に志願。
滝川一益、木曽義昌、徳川家康
人質となるが、常に泰然と構えた。
肝の据わったゴッドマザーである。


不定期に菩薩になっているわたし  田口和代


「梅」 
信繁の妻。
真田の地侍・堀田作兵衛の妹。相思相愛の信繁の子を解任する。
真田
家と堀田家では家格が違うため、母・の反対に遭い、側室として嫁
りする。しかし、信繁が上杉家の人質となってのち、ひたすら信繁の帰
りを待つ
梅を待っていたのは、波乱万丈の人生であった。

単3が三ツ入っている背中  阪本こみち


     しげまさ
「小山田茂誠」 (信繁の義理の兄)
の夫。小山田信茂は主家筋。信茂が勝頼を裏切り窮地にいた時は、
妻・松の助力を得て乗り越える。家康に従ったのち、昌幸に仕え、小県
の村松を与えられた。その後、信幸に仕え、大坂の陣では、病に臥せて
いた信幸の長男・信吉・二男・信政兄弟と共に従軍。信幸が松代移封の
際は松代に居を住し、代々次席家老を務めた。信繁から茂誠宛に出した
況を伝える手紙は、信繁が最後に出した手紙であったという。

羊羹の山が崩れて生き埋めに  井上一筒


「矢沢頼幸」
真田昌幸のいとこ。昌幸が家康から上杉景勝に寝返ると頼幸は上田城の
隣の矢沢城を守り、800人の兵をもって徳川軍を撃退、その混乱に
乗じ
て沼田城に攻め寄せた後北条軍も防いでいる。また信繁が上杉景勝
の人質となる際、小県の武士5騎12名を率いて随行した。関が原合戦
後は信幸に仕え、大阪冬の陣・夏の陣に参陣、活躍している。

無いとアカンのんでしょうかキャラクター 雨森茂喜


「矢沢頼綱」(頼幸の父)
幸隆の弟。兄・幸綱ととともに信玄・勝頼に仕え、上野、名胡桃城、
沼田
城などを攻略。沼田城代となる。武田滅亡後は甥・昌幸に仕え、
沼田領
支配を任される。昌幸が仕える家康から沼田城を北条家に譲
れと迫られ
た際は、城の明け渡しを拒否。そのため北条軍に攻めら
れるが、秘策を
もって撃退した。気骨の人である。

手の平で叩く程度のテロでいい  藤井孝作


「こう」 信幸の妻) 
真田幸綱の長男・信綱の娘。信幸・信繁とは従兄弟。父・信綱は長篠の
戦いで
戦士。こうは乱世の中で真田家の生き残りに心血を注ぐ夫・信幸
を支える。
元来病弱なため、人質候補とはならないが、真田家の役に立
ちたいという
思いはことのほか強い。

逢える日の種なしぶどうを舌先に  奥山晴生


「堀田作兵衛」
信繁の側室・梅の兄。真田の郷の地侍で、村のリーダー的存在。真田家
の忠誠心があつく、中でも信繁と親しく交流。の夫・小山田茂誠
行き
場を失うと信繁に頼まれて茂誠を匿う。また妹の梅が信繁の妻にな
り、
梅の娘・すえはのちに作兵衛が引き取って養育する。人質として各
地を
転々とする信繁を常に気にかけ、信繁が大坂夏の陣に参戦した時、
上田
から大坂城に駆けつけ、奮戦の後討ち死している。

ふるさとを見たくて高い木に登る  合田瑠美子


「高梨内記」
信繁の側室きりの父。昌幸の帰属先が次々と変わる状況に冷静に対応し、
家臣団のまとめ役を務める。妻は信繁の乳母を務めた。真田家の武将
であることを誇りとし、娘は信繁の側室となり、次女・於市と三女の
阿梅
を産む。関が原合戦後、信幸・信繁に従って紀州九度山に住んだ
16人
の家臣たちのひとりで、昌幸が死去した後も信濃に戻らず、引
きつづき
九度山に残って信繁に仕えた。慶長19年信繁の大阪入城に
も随行し、
翌年、大阪夏の陣で討ち死にしている。

隙間から無事に帰れたら飲もう  くんじろう


「きり」
真田家重臣・高梨内記の娘。臆せずにものをいうストレートな性格。
実は
信繁に思いを寄せているが、本人を前にすると素直になれない。
そして、
思いを伝えられぬまま、信繁と梅の恋を応援する。父の勧め
で真田家の
奥勤めをし、信繁の祖母・とりが人質になった際も付き添
い、行動をとも
にする。いちずに信繁への思いを貫き、真田家で起こ
る事件や騒動に
巻込まれながら、信繁の波乱の人生に寄り添い続ける。
歴史的には、
信繁の側室となり、次女・於市と三女・阿梅を産んだと
いう、説がある。


過去捨てて女電池を入れ替える  上田 仁

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