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川柳的逍遥 人の世の一家言
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鬼ごっこ転ぶドロップの缶が鳴る  くんじろう

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平家物語絵巻(〔小教訓の事〕)

引き据えた藤原成親と対面する清盛

治承元年(1177)6月1日、
多田行綱の密告により、

後白河法皇第一の近臣
・西光を問責し、

「鹿ヶ谷の陰謀」(鹿ヶ谷事件)が発覚、


藤原成親も呼び出され捕縛される。


(各絵巻の画面は、クリックすると拡大され見やすくなります)

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平家物語(〔鹿ヶ谷の事〕)

院近臣が平氏打倒を謀議したとされる「鹿ヶ谷山荘での酒宴」

院近臣の静賢の山荘に後白河が御幸。

催された酒宴の席で
藤原成親、西光、俊寛らと、

平氏打倒を謀議したとされるが、真相は不明である。


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「鹿ヶ谷事件ー序章」

延暦寺強訴の発端は、藤原師高の弟で目代の師経が、

延暦寺の末寺と所領問題を起こし、

師経が末寺を焼き払ったことにあった。

延暦寺は師高の配流を求めたが、

師高が法皇の寵臣・西光の子であったため、

後白河は、師経だけを罰して乗り切ろうとした。

≪西光はもと信西の家人で俗名を藤原師光といったが、

   信西が死んだだのち出家して後白河に仕え、


   「法皇第一の家臣」にまでのしあがった人物である≫

何もかも忘れ縺れてしまおうか  山本昌乃

しかし、延暦寺側は後白河の処分に納得せず、

4月13日、日吉社や祇園社など、

七基もの神輿をかつぎ出して、

高倉天皇の閑院内裏に押し寄せた。

このとき、内裏を警備していた重盛の軍兵の放った矢が、

神輿の一つに命中し、

延暦寺の衆従にも、死傷者が出る事態に発展した。

きりきりと刺してくるのは赤い月  笠嶋恵美子

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怒った大衆は神輿を置き去りにして、

いったん比叡山に帰ったが

武力攻撃を命じたのは、後白河自身であったという。

間もなく、悪僧たちがふたたび強訴を行う姿勢を見せたため、

後白河は神輿を射させた責任から、

やむなく、師高を尾張へ配流、

神輿を射た平家の武者を監獄へ送った。

だが、これで黙っている後白河ではなかった。

人間は裏切るように出来ている  中村幸彦

強訴の責任は、「延暦寺座主の明雲にある」

といいはじめ、座主職の解任と所領の没収を命じ、

公卿たちの反対を押し切って、

明雲の伊豆配流を断行したのである。

しかし、延暦寺の悪僧たちは大胆にも、

護送中の明雲を近江の瀬田大橋付近で奪い取り

比叡山に連れ帰ってしまった。

渋滞がほぐれたように突然に  吉川幸

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激怒した後白河は重盛、宗盛の兄弟に出撃を命じたが、

二人は「清盛の指図に従う」といっていうことをきかない。

比叡山憎しの一念にとりつかれた後白河は、

福原に使者を派遣して清盛を呼び出し、

ついに、比叡山攻撃を了承させてしまう。

山頭火以上に垢じみた男  井上一筒

さすがに政界一の実力者である清盛も、

治天の君である後白河の直々の指令は、

拒むわけにはいかなかったのだろう。

この時の清盛は、はたからみても、

「内心よろこばず」という様子だったという。

要らんこと言いなややこしなるだけや  一階八斗醁

平家にとって、比叡山を敵に回して得るものはなにもない。

しかも、天台座主・明雲は、

清盛が出家したときの受戒役なのである。

かって信西は後白河を評して、

「こんな愚かな君主はみたこともないが、

 何かしようと思うことがあれば、

 必ず成し遂げるのが取り得である」
 と述べた。

言い出したら聞かない後白河の性分は、

清盛も十分承知していたのだろう。

清盛は窮地に立たされた。

テッペンはあるのか明日は見えるのか  和田洋子

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平家物語(〔西光被斬〕)

西光(藤原師光)の斬首が決定される。


ところが、比叡山攻撃を間近に控えた6月1日、

事態は急変した。

明け方、明雲を讒言したかどで西光が捕縛され、

厳しい拷問の末、

「入道相国を危うくすべきの由」 とした清盛を倒す計画を、

法皇や近臣と謀議したことを白状し、

翌日、五条坊門朱雀で斬首された。

秋桜もつれたあたりから刺客  前中知栄

「下部の分際で父子ともに分不相応な振る舞いをしおって」

という清盛に対して、西光が、

「殿上のまじわりさえ嫌われる人(忠盛)の子でありながら、

  太政大臣にまであがることこそ過分である」


とののしったという。

≪『平家物語』の有名なエピソードは、このときのものである≫

煮崩れたらしい人相変わってる  喜多川やとみ

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平家物語(〔新大納言流罪〕)

流罪になる藤原成親

続いて、藤原成親、成経父子も捕縛されて、


西八条邸に押し込められ、

成親は翌日備前へ配流、流刑地で暗殺された。

俊寛僧都・平康頼・成経の3名は、

薩摩の鬼界ヶ島(硫黄島)に流された。

6日には、明雲の赦免が決定され、

比叡山への武力攻撃は、未然に回避されたのであった。

咳払い一つで幕が下りました  谷垣郁郎

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