ロンパリ!考える椅子
川柳的逍遥 人の世の一家言
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頼朝と文覚
退屈を煮込んだ旨い塩昆布 杉本柾子
袈裟御前宅に忍び込む盛遠
同僚の妻であり、血縁筋にもある
袈裟御前
に横恋慕し
た遠藤盛遠
は、
「私と一緒になりたければ、
今夜、寝静まった頃に寝所に押し入って、夫を殺して下され」
といわれ、夜も更けたころ袈裟の夫の寝所に忍び込み、
すっかり寝入っている様子の布団に太刀を突き立てました。
確かな手応えがあって、夫は血吹雪の中に息絶えたと思われました。
ところが、手に持ったそのを首確かめると、月明かりが照らし出しのは、
夫ではなく袈裟御前の首だったのです。
このような数々の罪を重ねて盛遠は出家して文覚となのります。
線の通り歩くと三途の川がある 田中博造
「頼朝と文覚」
平治の乱に初陣して敗れ、伊豆蛭ヶ島に流された
源頼朝
。
頼朝はそこで20年間という長い期間をすごし、
1180年に平氏討伐を目標に掲げ挙兵。
その挙兵の影には、ひとりの僧の存在があった。
空色の封筒で来る督促状 増田えんじぇる
文 覚
その僧とは、真言宗の僧・
文覚
。
彼はもともと殿様の雑役を務める侍だった。
そして出家後には、
全国の山や寺で修業や荒行をこなしてきたという。
このような特異な生き方からか、
文覚は不思議な説得力を備えた修験僧として、
知られるようになる。
その文覚が頼朝と出会ったのは、
伊豆に流されたときのこと。
文覚は神護寺再興を後白河上皇に強要したために、
伊豆に流されていた。
踝に鼻すりつけて旅なかば 酒井かがり
文覚はそこで平家打倒の挙兵を強く頼朝に促す。
これほど文覚が平家打倒を訴えたのには、
その時代の
"国家仏教"
の時代背景が窺える。
当時、文覚は、
「仏法と政治は結びあうことで互いに栄える」
という思想を持っており、
法皇の仏教に対する信仰も篤かったのだが、
清盛がその法皇を幽閉してしまったために、
文覚にとって、平家は仏敵だったのだ。
煮て焼いて振り掛けにする言掛り 岩根彰子
頼朝に出会った文覚は、
懐から白い布に包まれた
"ある物"
を取り出した。
それはなんと頼朝の父・
義朝
のドクロだった。
文覚は、
「あなたの父の頭です。
これを首にかけてずっと山や寺で修業してきました。
義朝公はあなたが立ち上がるのを願っております」、
といい、
「あなたの流罪の許しをお願い申し出て、院宣を頂戴してきます」
と言い残して、京都との間をわずか7日間で往復して、
法皇の院宣を持ち帰ったといわれている。
広目天なら体温をあずけよう 森中惠美子
[5回]
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y2012/11/04 09:30 z
CATEGORY[ポエム&川柳]
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