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川柳的逍遥 人の世の一家言
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ひとときを大事に砂がおちてゆく  神田良子


 奄美の西郷像

「西郷どんー⑦」 愛加那と西郷

愛加那は、西郷の身柄を預かった奄美の名門・龍一族の娘で、

はじめ2人は、
風習の違いや西郷の奇傑ぶりからなかなか馴染めない。

愛加那にとって西郷は、「大きな目に怖いほどの力がある」恐い人だった。

しかしその印象は、西郷が薩摩藩の奄美に対する過酷なまでの生産管理、

いわゆる「黒糖地獄」を改善しようとしたことから急速に変わってくる。

そして子供も生まれた。

菊次郎である。菊は西郷の仮の名・菊池源吾の菊からとった名である。


できたての輪郭十六夜が撫でる  森田律子

「おいはな、こん島に骨を埋めても、よかち思う」

あるとき西郷は、愛加那にこう語りかける。

「おいは日本ちゅう国を、変えたいと思っておった。

江戸や上方で、先のさまの手足になって働きたかった」

先の上さまとは、島津斉彬のことである。

「じゃが上さまが急逝して自分の役割は終わったと思い、死のうとした。

そいでん死にきれんで、この島に流されっきた。こいも何かの縁じゃ。

おいは、こん島の人々が黒糖の地獄から抜け出せるよう、力を尽くしたい。

おいに出来なければ、菊次郎や島の子供たちに教えて、

次の世代に託そうち思う。それがおいに与えられた役目じゃ」

砂糖ふたつ魔法が解けませぬように  山本昌乃

西郷は国事を一時も忘れたことはなかったが、愛加那との間に子供が

できたことから、島のことを考える心の余裕ができたのである。

西郷の手紙の一文にも「とんと島人になりきる」とある。

大島はもともと琉球王国が統治していたが、琉球が島津氏に征服され

薩摩藩の植民地となった。それまでのんびりと暮らしていた島民は、

過酷な薩摩藩の支配を受けることになる。

強制的に砂糖キビを栽培させられ容赦なく搾取された。

その過酷さは
本土の農民の比ではなかった。
                                   やんちゅ
ほとんどの農民が極端な貧窮に苦しみ、
身売りされて「家人」と呼ばれる

奴隷状態になる者も多かった。


奄美大島の各村では少ない所で人口の2割、多い所で4割が家人であった。

ため息がプチッと糸を切りました  鈴木かこ

農政の下級役人として、薩摩の農民の困窮を目の当たりにしてきた

西郷で
さえ、この状態には目を覆った。

大島に到着した当初から藩の苛政に気付き、胸を痛めていたこともあり、

すっかり島民となった今では、黙っておくことができなくなっていた。

そして、西郷はたびたび悪徳役人と対峙することになる。

相良角兵衛という代官は、着任時に功績をあげようと砂糖の徴収を一段と

厳しくし、納められない者をいかなる正当な理由があっても砂糖を

隠していると決め込み、代官所にひったてて拷問を加えた。


沢山の農民が拷問されているのを知った西郷は憤り、代官所に乗り込んだ。

ギリギリと奥歯3分後に発火  居谷真理子

はじめは穏やかにこれ以上の砂糖の取立ては無理なことや、

農民は決して
砂糖を隠していないと説明したが、相良は聞く耳を持たない。

相良相手では、話は前に進まないと思った西郷は、相良の上司にあたる

見聞役の木場伝内を訪ね、
ことの次第を訴えた。

こうして相良を追い詰めて、農民の釈放を成功させた。

西郷はこれ以外にも理不尽な役人を糾弾し沢山の農民を救ったという。

のちに鹿児島に帰った西郷は、大島の惨状を伝え、島の代官や役人に

適正
な人物を選ぶこと、島民が生産した砂糖に余分が出た場合には、

米と交換
できるようにするなどを至急に改善するように訴えた。

時々は砂を咬むから潤滑油  行兵衛


住民の食糧は、段々畑にもできない場所に植えた蘇鉄 。
ブラタモリでタモリが奄美を訪れている。

【智恵袋】 黒糖地獄

大島は島津家久の支配下にあり、かつて年貢は米を取り立てられていた。

しかし、大島の土の質が米に向いていなかったため、代わりに薩摩藩は、

「砂糖キビ」を作らせた。その取り立ては厳しく、

島民が指についた黒糖
を舐めただけでもムチで叩かれたと言う。


やがて大島中の平地はすべて砂糖黍畑となった。

年貢を納めるため島民は通常作らないような急な斜面にも砂糖黍を植えた。

島津家久の圧政により島民は「黒糖地獄」と呼んでいた。

 砂糖キビのために、自分たちの食料を作る畑さえもらえなかった島民は、

強い潮風が吹き付けるため、段々畑が作れなかった山に蘇鉄を6万本の

蘇鉄を植え、その実を食べることで飢えをしのいだという。

蘇鉄の実には毒があり、そのままでは食べることは出来ない。

そこで、蘇鉄の実や幹を細かく砕き、発酵させた後水晒と天日干しを

繰り
返して毒抜きをしていたという。


蟷螂の左のカマの軋み癖  くんじろう

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