忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[1000] [999] [998] [997] [996] [995] [994] [993] [992] [991] [990]

一聞いて二つ返事で引き受ける  津田照子







           江戸百万都市の治安
木戸と自身番所と番人小屋。大木戸の内側は、町ごとに自身番屋と番小
屋を両脇に設けた木戸で仕切られ、さらにその仕切りの中を裏長屋
毎の
木戸で区切った…。自身番屋には、地主家持の使用人が詰め、火の見

子(約8m)と消火・捕物道具などが備えてあった。番小屋には、大家に

われた独身者が住み込んで、町内雑務をこなしながら、駄菓子や草鞋

などの日用品も売っていた。


悲しみの交差点にも虹は出る  市井美春
 
 

        輿の人は8代将軍・吉宗



「徳山五兵衛」 将軍吉宗に見初められた男ー④

 
「五兵衛の新しいお役目・火附盗賊改方」
「火附盗賊改」の実際は、「町奉行」に比べ日陰の立場にあった。だが、
強盗・放火といった凶悪犯罪が多発した百万都市・江戸で、火附盗賊改
ほど、頼りにされた組織はなかった。謎多き存在感と相まって、町人は
もちろん武士たちも、畏怖と同時に畏敬の念を抱いた。
延享3年(1746)、突然、徳山五兵衛に幕命が下り、おもいがけぬ
役目に就任することになる。徳山五兵衛の新しいお役目とは、火付盗賊
改方であった。これには、将軍・吉宗の特別な意向がふくまれていた。


市場から猫が咥えてきた明日  くんじろう
 

むかし、徳山五兵衛が13歳の頃、亡父の繁俊は65歳で「盗賊追捕の
役目」を仰せ付けられることがあった。40数年前の当時は、この盗賊
方とは別に、火附改方という役目があり、それぞれに盗賊と放火犯を
取り締まっていたのだが、いまは、この二つの役目を合わせて【火付盗
賊改方】となった。将軍家の御膝元の大江戸は、町奉行所その他があり、
警察と市政に携わっているが、そこは官庁だけに、それぞれの管轄があ
って諸般の規則や手続きに縛られ、緊急の処置が出来かねる場合もある。


権力は大風呂敷を畳めない  美馬りゅうこ


世の中が平穏ならばそれでもいいのだが、近年は、ことに江戸に流れ込
んでくる無宿の者や浮浪人が増加し、物騒な犯罪も、それに従って増え
るということだ、ここ数年は、火付盗賊改方の役職を廃していた幕府が、
このたび、徳山五兵衛秀栄をもって復活させたことになる。この役目は
先手組同頭就任は、今日の事を幕府が慮ってのことであったのだろうか。
いずれにしても、ありがたい役目ではない。
「ああ、このようなお役目は1日も早くやめさせていただかなくては」
と、諸方へ辞任の運動を行ったほどだし、また就任してからも、まった
く熱が入らず、配下の与力・同心にすべてをまかせていた。


光が射すと腐り始める居場所  森田律子



          四谷大木戸
 
大木戸は江戸時代、 人間や物品の出入りを管理するのが目的で、東海道
(高輪)、甲州街道(四谷)、中山道(板橋)の3ヶ所に設置された。
「木戸」とは、江戸市中の町境などにあった防衛・防犯用の木製の扉で、
その大規模なものとして「大木戸」と呼んだ


自分の屋敷を役宅として、犯人を押しこめる牢屋を造ったり、取り調べ
のための白洲やら、与力・同心たちの詰所など、屋敷内を大改築しなく
てはならないし、犯人の探索や市中の見廻り、警戒、などのためには、
随分と金がかかる。幕府から役料が支給されるけれども、それほどのも
のでは到底まかないきれない。しかも、懸命に役目を遂行するとなれば、
兇悪の徒を相手にするだけに、こちらも一応は、命を張らなければなら
ない。しかも、同じ犯罪に関わる役目でも、町奉行所は「檜舞台」とい
われ、火付盗賊改方は「乞食芝居」などと比較されている。
だから五兵衛は、このお役目が心底から嫌なのだ。


亀の背に飽きて明日からサブマリン  森 茂俊


このお役目が下ったとき、むろん五兵衛秀栄は、謹んで受けたわけだが、
「はて?」と、不審にも思った。これまで自分へ対しての前の将軍・
の思いやりから推してみると、57歳にもなった老年の自分へ、盗賊
や無頼の徒を相手に、忙しく立ち働くばかりではなく、個人としては、
損失の多いお役目を命じられるということが、解せなかったのである。
それとも、吉宗が隠居してしまったので、幕府の方針ががらりと変わっ
てしまったのだろうか。いや、そのはずはない。いまも吉宗が、大御所
として、現将軍・家重の後見をつとめ、幕府の閣僚たちへも睨みを聞か
せていることは事実であった。


ドーナツは穴残しては食べられぬ  宮井元伸



           高輪大木戸
 明暦大火の翌年(1658)4代将軍・家綱の治世下。一町に一軒、「髪
結い床」を定め、株数が八百八となり「江戸八百八町」と呼んだ。

その後、明暦大火の焼け太りの効果か、インフラが進み江戸が成熟す
と1700年代には九百町を超え、1800年代半ばには千七百町以上に
なった。

 
「ちょっと知恵蔵」
八代将軍・吉宗は、将軍職を長男・家重に譲った。延享2年(1745)
9月25日のことである。だが、九代将軍の座についた家重は、言語不
明瞭で政務が執れるような状態では無かった。そのため、吉宗は、自分
が死去するまで、「大御所」として実権を握り続けた。
なお、病弱な家重より、聡明な2男・宗武や4男・宗尹(むねただ)を
新将軍に推す動きもあったが、吉宗は、宗武と宗尹による将軍継嗣争い
を避けるため、あえて家重を選んだと言われている。
※ のちに次男・宗武は田安家、4男・宗尹は一橋家、また後々、家重
の次男・重好は清水家として創設されて「徳川御三卿」とした。


てにをはを省き小骨を抜かれてる  山本昌乃


「せめて10年前のことならば、わしも喜んだやも知れぬ」
火付盗賊改方の長官ともなれば、自ら変装して、江戸市中を巡回するこ
とも、当然、許される。身分に関わることなく、自由自在に市中を歩き
回ることが出来るのだ。だが60に近い老齢となった。今の五兵衛には、
それも億劫なことになってしまった。

しかし「やらねばならぬ」。五兵衛は、本所の自邸の改築に取り掛かった。
あまり熱心にはなれない五兵衛に引きかえ、小沼治作は見違えるばかりに
生気を取り戻し、大工や左官の指図に大わらわとなった。


蛇行する川に重ねてみる人生  宇都宮かずこ


そんな折、珍しい訪問客が単身で徳山屋敷を訪ねてきた。徳山五兵衛
火盗改を拝命してより、10日ほどのことである。
<まだ生きていたのか>五兵衛は瞠目した。その客とは神、田永田町に
屋敷を構える八百石の旗本、内山弓之助であった。ちょうど20年前の
あのとき、将軍・吉宗から、五兵衛秀栄へ秘命が下った折、藤枝若狭守
を間にして、秘密裡に連絡がとられ、五兵衛を江戸城内吹上の庭へ案内
したのが内山弓之助であった。内山弓之助は、吉宗が紀州から連れて来
た隠密の1人で、亡き伴格之助が、
「内山殿は、締戸番の一組を束ねているのでござる」
と紹介されたことを五兵衛は思い起こした。
「締戸番」とは、後年の御庭番でかの「蜻蛉組」とは別の、将軍直属
の隠密組織である。蜻蛉組は吉宗個人の隠密ゆえ、吉宗が隠居した今は、
おそらく解体したにちがいない。


再会のほとぼり知っていた釦  柴本ばっは
 

 
          板橋大木戸
江戸の裏長屋の勤め人は、明け六ツ(AM6時)に仕事へ出掛け、その
女房たちは家事に取り掛かり、そして暮れ六ツには出掛けた者は仕事を
終えて家路につく。夜鳴き蕎麦屋や按摩なども夜四ツ(PM10時)まで
に仕事を終え帰宅しなければ、木戸は閉められてしまう


「おお。めずらしき人の見えられたことよ」
と、懐かしげによびかけて、五兵衛は、内山弓之助を迎えた。
「久しゅう無音に打ちすぎまして、申し訳ありません」
内山弓之助は、20年前と少しも変わらぬ丁重な物腰で挨拶をし、
「此度の徳山殿のお役目のことで、一昨日、突然、吉宗様に呼びだされ
 まして…」
と、話し出した。
70を越える内山は、5年前に隠居の身となっていたが、そこは長らく
締戸番を勤めてきただけに、時折は、吉宗の呼び出しを受けることもあ
った。


再会のほとぼり知っていた釦  柴本ばっは


「このたびが、はじめてでありました」
吉宗が将軍職を辞し、隠居してからのことである。
「上様 いや 大御所様にはお健やかにおわしますか」
「は…それが…」
内山弓之助が口ごもるのを見て、五兵衛は眉を顰めた。隠居してからの
吉宗の健康が、思わしくないと密かに耳に届いていたからだ。
一昨日、西の丸へあがった内山弓之助に大御所・吉宗は、
「いま、こうして来しかたを振り返ってみると、予は将軍となってより、
かく西の丸へ入るまでの、およそ30年の間に、将軍として、為さねば
ならぬことの半分も為すことが出来なんだわ」
弱弱しく漏らし。
「予に、あと20年の命があればのう」
と、吉宗は、内山弓之助に言って、寂しげに笑ったそうだ。


続編は媚薬に任す気の弱り  上田 仁


「大御所様の御胸の内には、さまざまな目論見が、まだ一杯に詰まって
おわすのか」
と、呟く五兵衛の声を聞こえぬ態で、内山弓之助は、
「さ、その折に、大御所様が仰せられますには」
「ふむ…?」
吉宗は先ず、五兵衛の近況について、内山へ問いかけたのち、
「先年、五兵衛を御先手組筒頭に任じたのは、今日のためである」
と言った。
御先手筒頭」とは、江戸市中に事変が起こったり、暴動があったり
すれば、真先に「お先手出役」となり武装に身をかためて、諸方の警備
にあたる。だが、世が泰平ならば、静かなものであった。
尚、五兵衛秀栄は、寛延3年(1750)にお先手筒頭に任じられ、そ
の4年後の宝暦4年
1754)には、「西の丸持筒頭」となっている。


無理な姿勢で空白を塗りつぶす  佐藤正昭


つまり、
「火付盗賊改方へ、五兵衛を就任させるためであった」
と、将軍・吉宗がいう。何故なら、火付盗賊改方は、御先手組から選ば
れることになっているからである。
「大御所様が、そのようにおおせられた…?」
「はい」
「はて…?」
盗賊や放火犯人や、博打の取り締まりをさせるために、大御所様は何故、
選りによってこのわしを…。 吉宗は内山弓之助
「これは何としても、五兵衛秀栄に務めてもらわねばならぬ」
と、いい。
「わしの目の黒いうちに、いま一度、五兵衛には、働いてもらわねば
 ならぬ」
といった。内山からそう聞かされても、五兵衛には呑み込めなかった。
「わしの目の黒いうちに…」
とは、いったい何を指すのであろうか。
「お分かりでありましょうか?」
「いや分からぬ。この老骨を、大御所様は、今さらに何と思し召されて
 おらるるのか…」
57歳の五兵衛秀栄の眉毛の半分は、いまさらに白くなり、したがって
頭髪も同様であった。


掌で転がしている句読点  笠嶋恵美子


「なるほど、大御所様より、よくよく承りましたところ、まさに、この
度のお役目は、そうではならぬところ、と相わかりましてござる」
「ほう…」
内山弓之助は、話を前に進める。
「実は…いや、それよりも先ず、近ごろ、三河・遠江一帯を荒らしまわ
っている盗賊のことどもを、お聞きおよびでありましょうや?」
「いや存ぜぬが」
江戸市中のことではない。三河や遠見・駿河へかけて、盗賊が跋扈して
いることを、五兵衛は初めて聞いた。もともと火付盗賊改方に就任した
ばかりで、無理もないといえる。が、しかし、すでに江戸の人の耳へも、
この大盗の名は聞こえていたようである。
五兵衛のような大身の武家は、市中の噂にどうしても疎い。


人伝に聞いた話が歩き出す  田崎義秋



         日本左衛門


「その盗賊の首領は、日本左衛門と名乗りおりましてな」 
内山弓之助がいった。
日本左衛門と聞いて、五兵衛は、思わず笑った。
「それはまた大きく名乗ってものじゃ。盗賊めが、名乗りをあげて盗み
 をはたらくのか」
「さようでござる」
「したたかな奴ではないか」
「そのとおりなので…」
日本左衛門には、30名ほどの配下がいるらしい。
この盗賊一味が激しく連続的に跳梁するようになったのは、去年の秋に
前の将軍・吉宗が引退した直後からであるという。
大仰にいえば、その以前から数え切れぬほど犯行を重ねており、
しかも、盗賊の1人も捕えることができぬ、という。
五兵衛も「何たること」と、いささか呆れた。


嘘みたいな本当の話冬の月  藤本鈴菜


ともかくも人目にふれぬよう、密かに押し入るというのではないらしい。
目ざす商家や物持ちの屋敷へおしかけ、いきなり大槌をふるって戸を叩
き壊し、堂々と押込み、金品を強奪して引きあげる。大胆な盗賊なのだ。
例えば、この夏の初めに、駿府の豪商、近江屋八右衛門方へ日本左衛門
一味が押し入ったときのこと。首領の日本左衛門は、顔も隠さず、近江
屋前の表通りを見据え、これに腰をおろし、「それっ」手にした采配を
打ち振るのが合図で、盗賊どもが近江屋の戸を打ち破り、一斉に押し入
った。


昨日の余韻煮凝りごりのビブラート  宮井いずみ


これをちょうど、夜回りの役人が通りかかって見つけたので、すぐさま、
捕物の手配をした。そこで20名ほどの捕り手が、近江屋へ駈け向かっ
たのだが、
「おお、来たな」
日本左衛門は、床几から腰もあげず、銀の煙管で煙草を吸いながら、
「かまわぬから、蹴散らせ 蹴散らせ」
といった。
すると10名ほどの配下が、刀を引き抜き、捕り手へ立ち向かう。
この手下どもが大変強いのだ。捕り手たちは、日本左衛門に近づくどこ
ろか、たちまち7,8名が斬り倒されてしまった。遠巻きにして、加勢
が駆け付けてきたときには、大金を奪った盗賊どもが、近江屋から引き
揚げて行く。


芳香は腐り始めた林檎から  合田瑠美子


それを見て日本左衛門が、ようやく床几から立ち上がり、
「さ、早う引け、おれが殿(しんがり)をする」
いうや、肉薄する捕り手へ、己から突進し猛然と斬りまくった。
夜の街路に日本左衛門が、まるで<怪鳥>のごとくに飛びまわると、
捕り手が2人3人と切り倒される。
「早く目つぶしを」
捕り手が用意の目潰しを投げようとするや、日本左衛門の配下がいち早く、
先手を打って目潰しを投げてくる。
「これでは、どちらが盗賊なのかわからぬではないか」
その折も、盗賊どもを一人もお縄にできなかった結末を聞き、あきれ果て
五兵衛だが、新しく就任した火付盗賊改方の頭として、尋常では手にお
えぬこの盗賊どもを、
「五兵衛秀栄に捕縛させよ」
と、大御所様が、いったという。


一難去って又一難へ出来ぬ無視  細見ちさこ

拍手[6回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開