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川柳的逍遥 人の世の一家言
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月が綺麗です 帰ってきませんか  平井美智子





             光源氏が「北山のなにがし寺」で出逢った少女
病の加持祈祷のため、北山の寺(鞍馬寺)を訪れた光源氏は、多くの僧房の
中でも、目立って綺麗に小柴垣が廻らせられ庭の作りも凝った家を見つけ、
そこで密かに思いを寄せている藤壺に似た少女を垣間見ます。
この少女は、藤壺の兄の娘で、祖母である北山の尼君のもとで育てられて
いましたがその後、尼君が亡くなり、身寄りをなくします。
光源氏は少女を引き取り、理想的な女性として育てます。
この少女が「紫の上」でした。

血縁も絶えて古さと風ばかり  靏田寿子





          紫 式 部  (谷文晁筆)





【紫式部は「源氏物語』を生涯のいつごろに書いたのか?】
この点については古来様々な説があり、起筆の時期にかぎっても、藤原宣孝
の結婚以前ないし、結婚生活中、あるいは、宣孝死後から宮仕え以前、そして
宮仕え以後の三説が存在。
擱筆(筆をおくこと)に関しても、より細かな推定がなされていますが、
「紫式部日記」の1008年(寛弘5)に「かの上(紫の上のこと)との記述
があることから、この時点で、紫の上を「上」と述べるあたりまで物語が進ん
でいたのは、ほぼ間違いありません。
その一方、、通説とされてきた出仕後の起筆には疑義が呈され、現在では夫の
死後、宮仕えまでに書き起こされた物語が、出仕後に見聞した宮中の出来事で
肉づけされ、1009年(寛弘6)から1013年(長和2)に、ひとまずの
完成をみたと推定されています。
なお紫式部は、源氏物語完成の翌年1014年(長和3)死去しています。

蜘蛛の巣も魚取る網も会者定離  田中博造

式部ー光るの君、おしまいの章





                       『源氏物語画帖 若紫』
源氏は義母藤壺と密通し、その結果、不義の子・冷泉帝が誕生。
一方で藤壺ゆかりの女性、紫の上を二条院に引き取り大切に慈しむ。




       病気が重くなって、やつれては行くもののなお美しい~紫の上~

光源氏の正妻・葵の上の亡き後、正妻格となった紫の上藤壺の姪。
数多い源氏を取り巻く女性の中で、源氏が、もっとも愛したのは、「紫の上」
でした。読者の人気投票でも、紫の上が堂々の一位に輝いています。
さて、紫の上の最後を看取った源氏はどうなるのか。

ラストシーンからはじまっていく物語  岩田多佳子





                             『源氏物語画帖 玉鬘』 土佐光吉筆
外は雪。年の暮れを迎え光源氏紫の上と、女君たちに贈る新年の衣装を選び、
年配の女房たちが衣装箱から衣を出して、整えている。
紫の上はまだ会ったことのない源氏の女君たちの人柄を想像しながら、女主人
としての細やかな心づかいを示す。
源氏の前にあるのは柳襲で、末摘花のもの。
右側の御簾の前で女房が捧げ持つのは淡票に虹の取り合わせで花散里のもの。




   碁盤の上にのる幼い紫の上





【紫の上をめぐる出来事とそのときの源氏】
10歳ー北山で源氏に見いだされ、二条院に引き取られる。
 源氏はー藤壺と密通。夕顔急死後、末摘花に懸想する。
14歳源氏と新枕を交わし結婚する。
 源氏はー六条御息所と正妻・葵の上の車争いが起る。
     葵の上は夕霧を出産の後、死去。
18歳源氏が須磨に下向し、平安京で寂しく暮らす。源氏と明石の君との仲
    を知り、不安にかられる。
 源氏はー須磨下向。その後明石の地で明石の君と出会い、契る。
23歳明石の君の娘、明石の姫君を養女として愛育する。
 源氏はー二条東院落成。
     明石の君に上京をすすめ明石の姫君を二条院に引き取る。
28歳源氏との末永い契りを願って歌を詠み交わす。
31歳明石の姫君入内。後見役を明石の君と定め、交代する。
 源氏はー准太政大臣に任ぜられる。この世の栄華を手中に。
32歳女三宮が降嫁すると知り、動揺するが平静を装い支度をする。
 源氏はー藤壺の姪にあたる女三宮を正妻にする。
     しかし、女三宮の幼さに失望する。
38歳源氏への失望から出家を願うが叶わない。
 源氏はー明石の女御が皇子を出産。権力基盤はますます堅固とばる。
39歳ー人生への絶望と心労から発病。危篤状態になるが、蘇生。
 源氏はー正妻、女三宮柏木と密通、懐妊。
43歳ーなお病重く、出家を望むが源氏に許されない。
    明石の中宮匂宮に後事を託し、死去する。
 源氏はー柏木女三宮の密通を知り衝撃を受ける。
     柏木は病死し女三宮は出家。紫の上の死去に悲嘆し人生を述懐する。
心ってなんだろう淋しいのです  足立玲子






         紫の上、死の前の歌の交換



紫の上が亡くなる前、少しだけ体を起こし、庭の萩の上露をみて歌を読みます。
源氏明石の中宮がそれに答えます。
明石の中宮は、源氏と明石の君の子ですが、小さい時から紫の上が育てました。
最後に手をとるのは、明石の中宮です。
三人が同じ萩の葉の上の露を見て、はかない命を歌にします。
源氏物語の中でも、一番悲しい場面になりました。
おくと見るほどぞはかなきともすれば 風に乱るる萩はぎの上うわ露
(起きては見ましたが、私の命は 風に乱れる萩の上露(うわつゆ)のように
 儚いものです)
ややもせば消えをあらそふ露の世に 後れ先だつほど経ずもがな 
(ともすれば、先を争って露のように死んでゆく世の中ですが、私も一緒に、
死にたいものです)
秋風にしばしとまらぬ露の世を たれか草葉のうへとのみ見む 明石の中宮
(秋風に吹かれ、とどまることのない露を 誰が草の上だけのことだと思うで
しょうか 明石の中宮)



姉さんはときどき造花っぽく笑う  くんじろう





 
                             「源氏物語画帖 松風」


光源氏、娘との初めての対面の場面




光源氏と関わった女君のうち、紫の上は、明石の君、玉鬘、女三の宮らと対面
しています。さて、紫の上と女君の仲は…?
明石の君とは、紫の上も、はじめは嫉妬にかられていましたが、対面してから
は素晴らしい女性と認め、打ち解けています。
紫の上と明石の君、ふたりのヒロインが顔を合わせたのは、明石の君の娘の
明石の姫君が入内した時のことでした。
明石の姫君に付き添って参内した紫の上が退出する際、入れ替わって参内した
明石の君と対面します。
紫の上は、明石の君に対して「うとうとしき隔ては残るまじくや」
(あなたとはもう、他人行儀な遠慮はありませんね)
と、優しく言って世間話をはじめます。そして明石の君の物言いや物腰に、
「大臣(源氏)がこの方を大事になさるのは、もっともなこと」と、受領の娘
とは思えないほど感心すれば、明石の君も、紫の上の気高い容姿を、いかにも
立派と感じ入り「大勢いらっしゃる女君のなかでも、格別に寵愛を受けている
のももっともなこと」と、深く納得するのでした。 (「藤裏葉」の帖より)



蒟蒻の裏と表の間柄  新海信二





          女三宮と光源氏




女三宮とは「若菜の帖」で、幼さの残る女三の宮に、母親のような態度で優し
く接する。女三の宮は、紫の上になじみ、以降、文のやりとりなどをして親密
に交際するように…。
玉鬘とは、「胡蝶の帖」で、男踏歌(おとことうか)の折に対面。以後、しば
しば文を交わす仲に…。



正しい位置に直す二つ目の鼻  蟹口和枝










「紫の上と明石の姫君の関係------その後」
「実の母君よりも、この御方をば睦ましきものに頼みきこえたまへり」
紫の上もまた明石の姫君を、実の娘のような気持ちで慕い続けます。
実の母・明石の君からも「紫の上様の親切を忘れぬように」と諭され、父源氏
からも「紫の上を大切に思うように」訓戒されていました。
そして、紫の上が法華経供養を行った際には、中宮として助け、彼女が病に臥
してからは、見舞いに訪れ、臨終の折にも立ち会います。
その後も、紫の上のことをわすれることはなかったようです。(若紫 上の帖)



ゆるキャラのような海月にいやされる  大内朝子










※ 【参考書】 「ソロモンの審判」 どこかで聞いたような…
8年間、母親のように立派な娘に育てた紫の上と実母の明石の君の娘をめぐっ
てふたりの小さな争いがありました、が紫式部は次の審判の結末を知っていた
のでしょうか?
『旧約聖書』には、ひとりの子供を巡って、争うふたりの女性を見事に裁いた
ソロモンの話が記されています。
「ソロモンの審判」という名前で有名なこの話は、2人の女性が、ソロモン王
の前に現われて、ともに自分の子だと言い張るところから始まります。
実は、片方の女性は、添い寝しながら誤って乳房で子供を殺してしまったため、
もうひとりの女性から赤ん坊を奪ったのです。  王は即座に言いました。
「では、この赤ん坊を真っ二つに切り裂いて分けよう」
すると片方の女性が、「それだけはやめてください。この女にやってもいいで
すから命だけはとらないで」と、叫びました。
そこで王は、こちらの女性こそ母親と判決を下し、ことを収めました。



それはもうとてもせつない嘘でした  吉松澄子



紫の上没後源氏紫の上藤壺のことをうっかり語った際、それを恨み
源氏の夢枕に立ったりもしている(「朝顔」)。
また源氏が紫の上を見出したのも、そもそもは、紫の上が藤壺の姪で彼女
に瓜二つの美貌であったためであり(「若紫」)後に、朱雀院から女三宮
降嫁の話を持ちかけられた折も、女三宮が、紫の上同様に藤壺の姪である
ことにも心動かされて承諾してしまう(「若菜上」)。
源氏の生涯を通じて、彼の女性関係の根源に紫の上は深く関わり続け、
永遠の恋人といえる存在であった。



思い出の嫌な部分がきえてゆく  竹永博義





                           源氏物語画帖 幻 土佐光則


亡き紫の上を偲ぶ日々、源氏の心を慰めるのは、紫の上が死の直前まで手塩に
かけた明石の中宮の子三ノ宮(後の匂宮)だけだった。
光源氏 晩年ー光源氏52歳の正月から12月の晦日までの一年間。
紫の上が世を去り、また新しい年がめぐってきた。
新春の光を見ても、悲しさは改まらず、源氏は、年賀の客にも会わずに引き
こもっている。そして、紫の上に仕えていた女房たちを話相手に、後悔と懺悔
の日々を過ごしていた。
明石の中宮は、紫の上が可愛がっていた三の宮(匂宮)を、源氏の慰めに残し
宮中に帰る。
春が深まるにつれ、春を愛した故人への思いは募る。
しかし、女三宮や明石の御方のもとを訪れても、紫の上を失った悲しみが深ま
るだけだった。



自らを削るしかない消去法  鮒子由嘉子





                                            源氏物語手鑑 御法 (土佐光吉筆 和泉市久保物記念美術館蔵)


極楽曼荼羅の供養の準備をする光源氏。
病に臥した紫の上は、二条院で行った法華経供養に列席した明石の君に死を前
にした心細い気持ちを認めた文を送る。
明石の君は、紫の上の気持ちを察し、あたりさわりのない文を返した。



4月花散里から衣替えの衣装と歌が届けられる。
五月雨の頃、夕霧紫の上の一周忌の手配を頼む。
8月の命日には、生前に紫の上が発願していた極楽曼荼羅の供養を営んだ。
年が明けたら、出家を果たす考えの源氏は、身辺を整理しはじめる。
その途中、須磨にいたころに届いた紫の上の手紙の束が出てきた。
墨の色も今書いたかのように美しく、寂寥の念はひとしおだが、すべて破って
燃やしてしまう。
12月、六条院で行われた御仏名の席で、源氏は久しぶりに公に姿を現した。
その姿は「光る君」と愛でられた頃よりも一層美しく光り輝いており、昔を知
る僧並びに、出席した貴族たちは涙を流した。
晦日、追儺に、はしゃぎまわる三の宮を見るのもこれが最後と思う。
源氏は最後の新年を迎えるための準備をした。
”もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に 年もわが世も今日や尽きぬる”



ビビンパのおこげのようにやさぐれる  笠嶋恵美子





                                  源氏物語画帖 幻 土佐光吉


源氏の晩年、出家へ向けて心の整理をつけるべく、源氏は手もとに残した
紫の上からの文を気心の知れた女房たちに破らせ、ついにはそのすべてを
焼かせてしまう。

「来るべき出家の暗示を最後に、終りを迎える光源氏の物語」
この「幻」の帖と、続く「匂兵部卿」の帖との間には、巻名のみあって本文の
ない「雲隠れ」なる帖を置くのが、通例とされてきました。
すなわち「雲隠る」とは、死を比喩的に表す表現で、帖名自体が出家、そして、
薨去へといたる源氏の行く末を暗示している、と思われますが、その本文は、
もともとなかったのか、中途で失われたのか…それ以前に、こうした趣向その
ものが作者の意図したものだったのかなど、解釈は実にさまざま。
ともあれ、「幻」の帖のラストで神々しいばかりの姿を、読者の脳裡に焼き付
けた源氏は、その最期を描かれることなく、「匂兵部卿」の帖の冒頭では、
「光隠れたまひにし後-------」 光のごとき源氏の君が、前帖から8年を経て、
新たな物語が幕を開けることになるのです。



梯子ですかいいえおぼろ昆布です  酒井かがり





       源氏物語執筆中の紫式部の檜扇





【千年後の皆様へ】 
こうして私なりに、宮中での日々を思い起こしておりますと、心ならずも足を
踏み入れた別世界に、ふさわしくないと思いながらも、馴染んでしまった…、
そんないくばくかの歯がゆさ、そして、私のような内向きの性格の者が宮仕え
という、晴れがましいお勤めをさせていただいたことの、運命の不思議さを感
じてしまいます。
でもお陰さまでこうして、後の世の皆様に千年も昔の「働く女性姿」をわずか
ながらでもお伝えできたということだけで、ものを書くことを何より楽しみと
する身としては光栄至極といえましょう。
さて、ずいぶん長々とお喋りしてしまいました。
このあたりで昔語りも終わりにしましょうか。
えっ?私が無事に出家を果たして聖の道を歩んだか?
それはあくまで、皆様のご想像におまかせしたいと存じます。
                              紫式部より



手の甲の秋はさ行になっている  井上恵津子

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