川柳的逍遥 人の世の一家言
一個づつコントになっていく卵 山本早苗
紫 式 部 娘・賢 子 大弐三位藤原賢子は、紫式部と藤原宣孝との間に999年(長保元)頃に誕生
した。長保3年に父を亡くし、その5年後に、母が中宮彰子付き女房として出
仕、やがてそれなりの重きを占めるに至って、娘の賢子が、将来、宮仕えして
女房となるレールは敷かれたのである。
彼女に私家集『藤三位集』があり、そこには彰子に出仕した後の、貴公子たち
との恋の贈答も収められている。
相手は藤原定頼。藤原公任の息子である。
出会いは、藤原定頼の蔵人頭時代の1017年(寛仁元)から2012年(寛
仁四)頃か。また、倫子の異母兄大納言・源時中の七男朝任とは、彼の頭中将
時代、1019~1023年頃に、情熱的な恋歌を交わした。
又『後拾遺集』の大弐三位歌詞書に「堀川右大臣んのもとにつかはしける」
と、あることからは、道長と源明子との間の長男頼宗とも関係があったと知ら
れる。 風除けに選ぶ男のでかい背な 美馬りゅうこ 藤 原 定 頼 大弐三位はさすが式部の娘だけあって、文学的な才能が豊かだったようだ。
百人一首の歌人として知られており、こんな歌を残している。
" 有馬山 猪名(ゐな)の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする "
〈有馬山の近くにある猪名では、笹原に生える笹の葉が、そよそよと音を立て
ている。そうですよ、どうして私が、あなたのことを忘れることがありましょ うか〉。 詞書によると、自分のもとにあまり通わなくなってきた男が 「私をお忘れではないでしょうか、心配です」と、言ってきたのに対して、
「お前がな」とばかりに、言い返した時の歌なのだという。
仮縫いをされたまんまで忘れられ 平井美智子
子を宿す賢子 賢子に大きなチャンスが訪れるのは、藤原兼隆の子を産んだ時であった。
兼隆は、道長の兄で世に7日関白と呼ばれた道兼の息子である。
父の死後、道長を頼り『紫式部日記』の1008年(寛弘五)には,24歳で、
右の宰相の中将の呼称で、何度も登場する。
1025年(万寿二)、時の親王東宮敦良親王に第一皇子親仁が誕生した。
産んだのは、道長の娘で彰子の末の実妹、嬉子(よしこ)である。
だが嬉子は、出産前に罹った赤裳瘦(あかもがさ)で衰弱していたためか、
2日後に死亡、さらに乳母に決まっていた女房も赤裳瘦にかかり辞退して、
急遽、賢子が代りの乳母に抜擢されたのだった。
(『栄華物語』には「大宮(彰子)の御方の紫式部が女の越後弁(賢子通称)
、左衛門督(兼隆)の御子生みたる、それぞ仕うまつりける」とある)
ここに「左衛門督の妻」とは、無いことになる。
当時、正二位中納言の兼隆と女房賢子との関係は、結婚とは呼べないもの
だった。だが、貴顕との恋は女房の誉れである。賢子は、そうして得た子に
よって、願ってもない飛躍の機会を手に入れたのだった。
むらさきの踵も時に愛されて 山本早苗
宇 治 平 等 院 紫式部は宇治へ仕事場を移した (酒井抱一画) 一方、紫式部は、賢子へバトンを繋ぐように宮中から身をひいて、南方の宇治 にある小さな別荘に移り住んだ。それは道長から逃げる意味もあった。 「わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり」
(私の住まいは都・平安京の東南にあり、そこで私は心静かに暮らしている。
しかし世間では、この世がつらいから、宇治山に隠れ住んでいるのだと、
言っているようだ)
その宇治へ、賢子が牛車に乗って母の様子をみに訪ねてきた。
「母上、京では、母上様は死んでしまったという噂になっているわよ」
賢子も道長に睨まれて、母が退職したのは分っているらしかった。
式部は何とも複雑な気持ちだった。
「こんな時に冗談を言うなんて、父親の信孝さまとよく似てるわ」
紫式部は美しく成長した大柄な賢子を見てそう思った。
荒波に揉まれた頃のふくらはぎ 笠嶋恵美子
大弐三位賢子 (百人一首)
大弐三位はさすが式部の娘だけあって、文学的な才能が豊かだったようだ。
百人一首の歌人として知られており、こんな歌を残している。
" 有馬山 猪名(いな)の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする "
〈有馬山の近くにある猪名では、笹原に生える笹の葉がそよそよと音を立てて
いる。そうですよ、どうして私があなたのことを忘れることがありましょうか〉 詞書によると、自分のもとにあまり通わなくなってきた男が
「私をお忘れではないでしょうか、心配です」と言ってきたのに対して、
「お前がな」とばかりに言い返した時の歌なのだという。
「賢子、母(紫式部)へ手紙を書く!」
-------お母さま、お健やかでいらっしゃいますか。私は無事でございますので、
ご安心くださいませ。賢子はそれだけ書いて、いったん筆を止めた。 書きたいことは山のようにあるが、母へ文を書くのは、とても気をつかう。
なぜなら、賢子の母はあの『源氏物語』を書いた紫式部だからだ。
それに、陽気で明るい賢子と違い、母はやたらと細かく、心配性で人の目を気
にする性質であった。 母は皇太后彰子に仕えていたが、少し前に平安京の南の地、宇治に隠居した。
その母に代わって、今では、賢子が皇太后の御所でお仕えしている。
カレーでもぼくのスタイル箸で食う くんじろう
藤 壺 「賢子 藤袴に振り回される」 「近ごろの一大事件といえば、やはり藤袴のことよね」
賢子は書くことを決め、思いを巡らせた。
藤袴は賢子の後に入ってきた新人の女房である。
女房とは、高貴な人にお仕えする女性のことで、賢子と立場は同じだ。
藤袴というのは、本名ではなく、この御所での呼び名であるが、秋の七草でも
ある美しい花の名であり『源氏物語』の卷名のひとつでもある。 年齢もたまたま同じ15歳。同じ年の女房は他にもいる。
歌人として有名な和泉式部の娘小式部や、宮中の女官を母に持つ中将君良子だ。
この2人に、清少納言の娘で、賢子たちより5つ年上の小馬を加えた4人組が
目下、賢子の仲間であった。
にこにこと何でもしゃべるお友だち 藤本秋声
<でも、あの人たちは友と呼べるのかしら> 賢子は少し疑問を覚える。
もちろん、一緒にいて楽しい時も多い。しかし、お姉さんがぶった小馬をうる
さく感じることや、小式部にだけは負けたくないと思うことや、まとわりつい
てくる良子をうっとうしいと思うことが、賢子にはある。
もっと対等な立場で、互いを尊重し合い、一緒にいることで高め合っていける
ような友が、どこかにいるのではないか。
そんなことを思っていたころ、賢子は<藤袴>に出会った。
<なんて、きれいな人>
藤袴は御所にはじめて現れた時から、とても目立っていた。
どんな顔しても綺麗な女はいる 奥田悦生
「宇治十帖45 橋姫」
「橋姫の 心をくみて 高瀬さす 棹のしづくに 袖ぞぬれぬる - 薫 - 」
美人ともてはやされる切れ長の目は、まるで星を宿した夜空のように見える。
賢子自身は、まったく流行らない二重のやや大きな目に、引け目を感じている
ので羨ましくてならなかった。
三日月の眉、色白の肌、薄紅色に輝く頬------
これだけ美しければ、さぞや自分の容姿に自信が持てるだろう。 皇太后の御前でも、物おじすることなく、しっかりと受け答えする姿は立派で、
聡明さもにじみ出ていた。
同性の同じ年でありながら、あこがれてしまう。
藤袴はそんな少女だった。
「宇治十帖46 椎本」
「たちよらむ 蔭を頼みし 椎が本 むなしき床に なりにけるかな - 薫 - 」
美容液一滴ハートにもつける 和田洋子
父親は大納言藤原時中で、身分も高く家柄もいい。
ただ時中は十年以上も前に亡くなっていたから、今は誰か別の人が後見になっ
ているのだろう。 同じように父を亡くしている賢子は、その点でも親近感を覚えた。
「私はこの御所では越後弁と呼ばれていて、名は賢子というのよ。
分らないことがあったら、何でも訊いてちょうだい。 親しくいたしましょう」
------浮き浮きした気分で賢子は、誰よりも早く申し出たのであったが、この時
藤袴の反応は変っていた。
不思議そうに顔を傾げたのである。
ここは嬉しそうな顔を見せるところだろう。
輪郭が見えないままの そうだよね 斉尾くにこ
だが藤袴は無表情だった。
美しい顔からはこれといった感情が読み取れず、正直なとこころ、大きな人形
を相手にしているような気分。
「分からないことは特にございませんので、今は、一人でも平気でございます。
何かあればお尋ねいたしますので、その時、改めて親しくしてくださいませ。
では、ごきげんよう」
------藤袴は、丁寧な口ぶりで言うと、去っていった。
「何!? あの子、今、何て言ったの?」
傍らでこのやり取りを聞いていた良子が、目を丸くしていた。
藤袴の言うことが理解できないのは、賢子も同じだった。
<私と親しくするのが嫌なわけ? そんな風にも見えなかったけれど…
何を考えているのか、さっぱり分からない>
物語を書く母であれば、そういった心の襞が分るのだろうが。そこのところを、 ぜひとも文で尋ねてみたいところであった。 胃袋がチクチクトゲのある語感 菱木 誠
------さて、近ごろの皇太后御所の様子でございますが------、
賢子が続きを書きだすべく、髪の上に筆を走らせた直後のことであった。
「越後弁殿!」
局と呼ばれる部屋の戸をせっかちに叩きながら、声をかけてくる者がいる。
「中にいるのでしょう。すぐに開けてちょうだい」
賢子に仕えている女童の雪が、あたふたと戸を開けるや否や、良子が中に飛び
込んできた。 「大変よ。藤袴が苛められているの」
聞き苦しいくらいの早口で、良子は告げた。
「苛めって、まさか、あなたのお仲間がしていることじゃないでしょうね」
賢子は筆を放り出しながら、訊き返した。
新しく入った女房が苛めたてるのは、いつものことだ。
賢子も一年前、御所へ上がったばかりの頃、苛められた。
その時、苛めていたのは、この良子の仲間たちだったのである。
「違うわよ」
良子は頬をふくらませて言い返した。
ヨワイものイジメてナニがオモシロい 渡邊真由美
女 房 た ち と 小 女 「藤袴を苛めたら越後弁が怒るから、やめておきなさいって忠告したもの」
「私が怒るからって、どういう忠告のしかたなのよ」
「だってあなたの仕返しがいちばん怖そうでしょう」
良子は澄ました顔で言う。
「じゃあ、一体、誰が藤袴を苛めてるわけ?」
賢子は急いで立ち上がり、良子と一緒に部屋を出て行きながら考えた。
「さっき、藤袴にからんでいたのは、烏丸さまと左京さまたちだったわ」
烏丸も左京も賢子たちより十歳ほど年長の、この御所の中では中堅といった頃
合いの女房たちである。
「あの方たち、もう苛めをするような年でもないでしょうに…」
良子に苛めの現場へ案内してもらいながら、賢子は首をかしげた。
血しぶきの痕か守宮の影か 井上一筒
「別に、人を苛めるのに年齢なんて、関係ないんじゃないの?」
「そんなもんかしら」
「そうよ。だって、何歳になったって、気に入らない人がいたら追い出したく
なるでしょ」 良子は、分かったような口を利く。
「そうかしら?」
そのあたりには疑問が残るが、いずれにしても藤袴のことは、守ってやらなけ
ればならない。御所に上がったばかりの少女にとって、苛めは心身にこたえる ものである。 相手が誰であろうと-------。
たとえ十歳も年上の先輩であろうと、庇ってあげなければならない。
賢子はそう覚悟を決めた。 つづく
(賢子はとまらないゟ篠綾子)
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