川柳的逍遥 人の世の一家言
忠盛燈籠 清盛の父親、平忠盛ゆかりの燈籠は、 六波羅蜜寺からそう遠くない「八坂神社の境内」にある。 モヤモヤした伝承のベールをはぎとっていくと、 「残るは祇園女御がおそらく清盛の養母だったであろう」 との一点のみ。 その実在した女御の痕跡は、時代に翻弄されつつも、 六波羅蜜寺(京都市東山区五条通大和大路上る東)に、 いまもとどまっている。 疑問符の付かない話しませんか 清水すみれ 「清盛出生の謎」 勃興期の平家は、白河法皇の引き立てによって、 力を蓄えていったわけだが、
「清盛の出生」にも法皇の存在は、 古くから、清盛は白河法皇の「落胤」だったという説がある。 渦を巻く遺伝子しどろもどろの笑み 山田ゆみ葉 『平家物語』ー「祇園女御(ぎおんにょうご)」の巻より。
白河法皇が寵愛する女性に、
京都東山の祇園に住んでおり、 法皇のあまりの寵愛の深さから、このように呼ばれていた。 白河法皇はしばしば、お忍びでこの女性のもとへ通っていたが、 ある五月雨の夜、女御の邸宅の近くの御堂で、 不気味な光を発する鬼のようなものに出くわした。 ≪*女御=天皇の妻のうち、中宮の下の位≫ アリバイが今日に限ってありません 竹内ゆみこ 『平家物語』によるとこうである。 永久年間(12世紀初頭)、白河法皇が雨の夜に、 寵妃の祇園女御を訪ねるさい、前方に鬼のような姿を認めた。
驚いた法皇は、 「あの鬼を成敗せよ」 と命じた。 法皇は供の忠盛に討ち取るよう命じたが、 忠盛は、正体を見定めるべく生け捕りにした。 すると、それは燈籠に明かりを灯そうとしていた社僧で、 雨よけの蓑が灯火で、銀の針のように見えていただけだった。 白河法皇は、 「あの者を殺してしまったらどれほど後悔したであろう。 弓矢とる身(武士)とは感心なものよ」 と、忠盛の沈着冷静な行動を褒めて、 寵愛の深い祇園女御を忠盛の妻に与えた。 このときの燈籠が、「忠盛燈籠」 だ。 整骨屋左右の靴を入れ替える 合田瑠美子 白河法皇から忠盛に下賜された祇園女御は このときすでに身ごもっていた。 そして、やがて男児を出産する。 それが平清盛である。 『清盛皇胤説』 ≪実際は祇園女御の妹が産んだ子が、清盛だったともいわれる≫ 『仏舎利相承次第』の説。(近江・胡宮神社) 貴賓席にあなたの居場所とってある 皆本 雅 ご落胤伝説というと。 たいていは根も葉もない噂話にすぎないことが多いが、 清盛の場合は事情が違う。
現在、多くの歴史学者が、 清盛の尋常ではない出世のスピードを見ると、 天皇家の血筋でなければ、説明がつかないというのである。 確かに「石清水・臨時祭」に参加する清盛に、 法皇の甥である源有仁が、従者を提供しているのも、 白河法皇と清盛の特別な関係を示唆している。 12歳での「兵衛佐の任官」が、異例だったことや。 さらに不自然なのは、「平治の乱」後の急速な昇進である。
武士にとって、大きな壁である「三位」を越えて、 人臣最高の官職である「太政大臣」に登りつめたのである。 これは、当時の慣例からして、 天皇家との血縁関係なくしては、考えられないといわれている。 ≪*公卿=三位以上の位階をもち、国政の審議にも携わる高級貴族≫ 幾何学の都市に破調を連れ回す きゅういち 血縁関係のことだけに、断言できる証拠はないが、 少なくとも当時の貴族たちの頭に、 清盛が「皇胤である」という認識があった可能性は高い。 これが本当なら、鳥羽法皇は甥、 後白河法皇は、甥の子ということになる。 帯状疱疹 正午前の時報 井上一筒
後年のことになるが、 清盛が法皇の落胤であることを知らない人々は、 その出世ぶりに目をみはり、 「花族のようだ」 といぶかった。 だが、事情を知っていた鳥羽院だけは、 「清盛は花族に劣らない」 と述べたといわれる。 ≪*花族=「摂関家」に次ぐ「清華家」の家柄≫ 強力な磁場でまん丸二分され 都司 豊 「平家物語」の逸話だが。 鳥羽院が清盛を重用し続けたのも、 出生の秘密と無関係ではなかったのかもしれない。 そうであるなら、 「清盛自身も出生の秘密を知っていた」 ということになる。それは清盛にとって、誇り であっただろうか・・・? あるいは、恥 と感じただろうか・・・? 臍の緒よ憶い出せない川がある 古谷恭一 PR |
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