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川柳的逍遥 人の世の一家言
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女ひとりの心を変えて豪雨去る  森中惠美子

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    山川捨松  (画像は拡大してご覧下さい)

「会津の女」③ー山川捨松

山川大蔵の妹・山川咲子は、鶴ケ城籠城時は子どもだった。

戊辰戦争後、長兄の大蔵は斗南藩の大参事になり、

次兄・東京大学総長を勤めた山川健次郎は、

派遣留学生としてアメリカへ。

そして、山川咲子も、名前を「捨松」と変え、明治4年、

派遣された条約改正のための岩倉使節団に加わって、

津田梅子ら5人の女子留学生らとともにアメリカに渡る。 

12歳のときである。

何だ何だと大きな月が昇りくる  時実新子

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    大山巌

23歳で帰国した捨松は、

薩摩藩の陸軍卿・大山巌に見初められて、結婚。

会津を攻めた宿敵の薩摩人からの結婚の申し出に、

山川家はおどろき、当然ながら断った。

しかし、大山はあきらめずねばり強く交渉する。

最後には捨松本人が、大山の人物を確かめた上で承諾した。

仕事をしたくても、受け皿のない日本社会の現実に悩み、

考えぬいた末の決断だった。


自己肯定せねば生きてもいられない  たむらあきこ

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政府高官の妻となった捨松は、

鹿鳴館で催されるパーティーで、

居並ぶ紳士・淑女が苦労する中、

アメリカ仕込みの完璧なマナーとダンスで、

外国人記者もを驚かせ、鹿鳴館の華といわれた。

鋤骨から円舞曲をこぼすおんなへん  大西泰世

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また捨松は、津田梅子が創設した女子英学塾(津田塾大学)

顧問となり、側面から女子教育の発展につくした。

八重をはじめとする会津の女性たちに共通しているのは、

信念をつらぬきとおす意志と行動力である。

逆境から活路を拓き、

新しい時代へとみごとな転身をとげた彼女たちの

生き方をとおして、

混迷の時代を生きる指針となる。

トゲトゲの心臓の皮膚植え替える  河村啓子

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自己肯定せねば生きてもいられない  たむらあきこ

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    八 重      (画像をクリックすれば大きくなります》

「新たなる旅立ち」

斗南に移った会津藩士たちは、

厳しい気候風土の中で塗炭の苦しみを味わっていた。

この苦境を脱するべく、柴家の長男・柴太一郎

川崎尚之助が、デンマーク領事で商人でもあった

デュークから、広東米を調達しようとするが、

仲立ちの日本人貿易商が契約を

履行しなかったためにデュークから訴えられ、

両名が責任を負って、獄に繋がれる悲劇も起きた。

拒んでも逃げても追うてくる氷雨  中井アキ

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     佐 久            み ね        (画像をクリックすれば拡大されます)

それでも容保容大を中心にまとまって、
                                 こっくべんれい
なんとか開墾を成功させようと刻苦勉励する

会津の人たちであったが、明治4年7月14日、

廃藩置県となり藩主は東京に、また藩士たちも、

身の振り方についてそれぞれ決断を迫られることになった。

座布団に化けているけどオニヒトデ  井上一筒

八重一家は藩の消滅と

尚之助の悲運に沈んでいた丁度その時、

死んだと思われていた兄・覚馬の無事の連絡が入る。

覚馬に京には京の妻がいると知った覚馬の妻・うら

会津に帰ることを決心、うらを残して八重と母・佐久

そして姪・みねの3人が覚馬の住む京都を訪ねる。

水たまり母をしのぶにことかかぬ  森中惠美子

それから・・・明治5年、覚馬は女子教育充実のために、

京都に「新英学級及女紅場」を設立。

八重はここで女子寮の監督をしつつ、

機織・裁縫や礼法などを教えた。

女紅場の補助金の増額を、

京都府知事・槇村正直に直接掛け合うこともあった。

さらに、若い頃には体重が83キロもある偉丈夫だった覚馬が

外出する際にも、力自慢の八重が手助けをした。

忙しい中からひとときを摘む  立蔵 信子

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兄が人力車を乗降する時には肩を貸し、

歩く折には兄を背負った。

覚馬が東京で木戸孝允岩倉具視、江藤新平ら要人を,

訪問した折にも、八重は兄に同道した。

八重は新たな環境で実に生き生きと、

積極的に兄を支えるのである。

※ 女紅場=女子に裁縫や礼法、読み書き、英語・数学などを教えた。

この花が咲くまでせめて散るまでは  河村啓子

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そんな時、八重は会津戦争で新政府軍を撃ち倒したことを、

隠そうともしないし、

かつての敵である木戸孝允板垣退助らも、

八重の勇気に感嘆はしても、

それを遺恨とするようなことは全くなかった。

また八重には、相手が要人でも平気で口を利き合えるような

肝の据わったところがあった。

「言いたいことをはっきりと言い、やりたいことをやる」

その彼女の考え方、生き方が、

苦境を撥ね返していくバイタリティーの源になっていた。

夢が風なのか風が夢なのか  山口ろっぱ

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しのぶ夜の雪の重さが背なにある  森中惠美子

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断髪・男装の八重
                  (画像は拡大してご覧下さい)

帯刀し銃を携えた八重と開城時に残した和歌。

「八重ー会津戦争を語る」


私の実家は、会津侯の砲術師範役でございましたので、

ご承知の8月23日、

いよいよ城内に立て籠もることになりました時、

私は、着物も袴も総て男装して、

麻の草履を穿き、両刀をて手挟んで、

元籠七連発銃を肩に担いでまいりました。

弟の三郎と申しますのが、その春、

山城国・鳥羽の戦で討死しましたので、

その形見として着物と袴がつきましたから、

―私は、弟の敵を取らねばならぬ、私は即ち三郎だ

    という心持で、その形見の装束を着て、

  一は主君のため 一は弟のため、

     命のかぎり戦う決心で、
城に入りましたのでございます。

やわらかく押しているのに赤い湯気  岩根彰子
         わたし
入城後、妾は昼間は負傷者の看護をしていましたが、

今夜襲撃と聞きましたので、

そっと支度をして、「大小」を差し「ゲベール銃」を携え、

夜襲隊と共に正門から出ました。

門を出て暗闇を進んで行くと、

敵の姿がちらほら見えたので、

ソレッとばかり斬り込みました。

無論、喊声を揚げずに勝手次第に斬りこんだので、

敵の周章加減は話しになりません。

まるで子供の打撃に遇うた蜂のすの如く右往左往散乱し、

中には刃向かう者もあり、

また同士討ちをしている者もあったが、

敵に増援隊が来ると、漸く静まり猛烈に逆襲してきました。

水際にまだ留まっているあした  きゅういち

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     ケーベル銃

しかし勝手を知っている城兵が各処に出没して、

縦横に斬って廻り、また火など放ちました者ありて、

随分、敵をなやましたようであります。

妾も命中の程はわかりませんが、よほど狙撃をしました。

散りざまのいろいろ花も人間も  内藤光枝

別の日には、次のようなこともありました。

妾一人にて出撃せんと、

夜暗に乗じ御台所門より出て太鼓門に来ると、

11、12歳の子供等10人ばかり、

いずれも手頃の長さに切りつめたる槍を携え

えらい元気で集合していました。

そのうちの一人が妾を見て、

「ぜひ夜討に私共を同行を」 

と頼みますので、妾も、
 
「こんな子供も君のために命を捨てる覚悟か」

と思い暗涙を催しました。

生え際からいや耳朶から透きとおる  酒井かがり

妾一人なら格別、子供等を同伴することは一応、

「殿様に御伺いせんければならぬから」

と子供等を待たせて、

黒鉄御門に至り此由を申しあぐると、

殿様は、

「一同の健気な志は褒めて遣わすが、

 女や子供のみを出撃さしては、

  城中兵なき事を示すが如きもので、

  かえって城中の不覚となるから差し控えるよう」


にとの仰せなれば、

その旨、子供等にも懇々と申し含めて解散させ、

妾も止む無く出撃を中止しました。

(一番印象に残っているのか、この場面を八重は幾度も繰り返し語った)
                                              〔山本(新島)八重子刀自の断片〕
歯周病なれどイワオコシを齧る  井上一筒

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あきらめのよい女が好きといわれても  森中惠美子

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一つの道は斗南、一つの道は京へ
                            (画像は拡大してご覧ください)


「小田時栄と山本覚馬」

蛤御門の変で負った山本覚馬の目は、徐々に悪化し、

視力を失いつつあった。

長崎でオランダ人医師・ボードインに診察を受けたところ、

失明は時間の問題との診断であった。

そのとき覚馬と親交のあった小田勝太郎が、

目を悪くした覚馬の為に、

13歳の妹・小田時栄を世話係に就けることにした。

川という象形文字に流される  原 洋志

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覚馬が幽閉中に書きあげた「管見」が、

薩摩の西郷隆盛小松帯刀らに認められ、

覚馬は幽閉中の身でありながら、優遇されていた。

時栄は、薩摩藩の許可を得て薩摩藩邸に通い、

幽閉中の覚馬の身の回りの世話を続けた。

三センチあけて座っている二人  三村一子

「新政府かくあるべし」という提言をまとめた『管見』が、

西郷隆盛はじめ薩摩藩士や岩倉具視らを感服させ、

明治2年に覚馬は釈放される。

幽閉されてから1年が経過しており、

すでに会津若松城は落城し、会津藩は降伏していた。

釈放後、覚馬は時栄と同棲を開始する。

覚馬は42歳で、時栄は16歳。

(明治時代に淫行条例のような法律は無いので罪には問われない)

どうしても泡にする気の泡立て器  筒井祥文

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明治3年、覚馬が京都府の顧問に就任後、

長州藩出身の槇村正直が京都府の大参事に就任し、

覚馬槇村正直と共に、

京都の産業復興に力を入れる事になる。

明治4年、京都府の顧問となった覚馬は、

京都府の槇村正直の自宅の隣にある豪邸に引っ越した。

引っ越した先は、江戸の町火消し・新門辰五郎の旧邸である。

(ちなみに新門辰五郎は徳川15代将軍・徳川慶喜の妾・お芳の父親である)

焼酎の湧く井戸 米を降らす雲  井上一筒

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新門辰五郎の旧邸に引っ越してからまもなく。

会津から八重母・さくと娘のみねを京都へ呼んだ。

覚馬は両目の失明に加え、

軟禁生活の影響もあって足が不自由になっていた。

そのため会津戦争の混乱の中で、

米沢に移り住んでいた家族の行方を捜しきれず、

ようやくその無事がわかったのが明治4年だった。

八重は26歳になっていた。

好き嫌いみんな憂き世の風のせい  大海幸生

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         川崎尚之助から届いた離縁状

覚馬の京都における生活状態を知った覚馬の妻・うら

なくなく会津に残った。

うらとの決着がついた覚馬は、

晴れて時栄と結婚をした。

                      徳富蘆花の失恋小説・「黒い眼と茶色の目」

≪時栄と覚馬の間にできた子・久栄が徳冨蘆花の恋の相手である≫

アフリカの土に還そうキリンの骨  新家完司

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生き延びて陰に廻れば風神雷神  墨 作二郎

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    日新館天文台跡

會津藩校・日新館の施設の中で、

戊辰の役の戦火から唯一残った「天文台跡」。

さかのぼれば藩祖・
保科正之渋川春海を重んじ、

会津藩と天文学の縁は深い。

日新館では、天文学の授業も行われていた。
 
基底 12間余(21.71m)、台上部 5間半
(9.9m)、高さ 3間半(6.4m)


(画像をクリックすると拡大されます)

不連続線というけどずっと雨である  田中博造

「萱野権兵衛ーエピソード」

萱野権兵衛の自刃の時刻がせまる。

権兵衛は保科家、松平家の家臣たちに別れをつげ、

静かに別室に入る。

しばらくして介錯人・沢田武司が帰ってくると、

「事は無事おわりました。死に臨み従容自若、

  顔色すこしも変わらず、

  誠に立派なご最期でございました」


と報告した。

声がした気がする散りぎわの椿  片岡加代

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自刃直前に権兵衛は沢田に語りかけた。

「腰のものは、貴方の常に差している刀か」

権兵衛の問いに、

「実は保科家から忠臣をもてなす道として、特に下されたもの」

と沢田が言葉を返すと、権兵衛は、

「見せてもらいたい」 という。

そして権兵衛は、その刀を沢田から受け取り、鑑定しながら、

「貞宗の名刀ではないか」と言い当てたという。

さざれ石なってからはよく喋る  一階八斗醁

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その後、権兵衛は、丁重に刀を沢田に返すと

「最期に臨んでよい目の保養をした。見事にお願いする」

といい、神色自若、一糸も乱れなかった。

権兵衛と最後まで一緒だった浦川

「その朝も言語・動作すべて平生と変わらず、

  いま死地につく人とは思われない静かな表情で、

  別に遺言する事もないと述べられた」


と述懐している。

権兵衛享年四十一歳。

戒名は報国院殿公道了忠居士。

≪権兵衛の遺族には、松平容保から金五千両、
                                                   のぶのり
    自刃見舞いとして、銀二十枚、喜徳からは銀十枚、

   
照姫から銀二枚を下賜されている≫

右心房一拍おいて右心房  酒井かがり

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