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川柳的逍遥 人の世の一家言
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ほーたる来い こっちの水はビールだよ  松浦英夫


         屏風絵・洛中洛外図上杉本 (狩野永徳)

洛中洛外図屏風は,京都の市街と郊外を鳥瞰し、そこに有名寺社や名所
と四季のうつろいを追い、上は内裏や公方の御殿から下は町屋や農家の
住まいまで、そこに生きるひとびとの生活と風俗を描いている。 







「後鳥羽から後鳥羽院へ」
治承4年(1180)8月17日、源頼朝は伊豆韮山で「平氏打倒」
ため挙兵した。平家を打倒する最中に即位したのが、後鳥羽天皇である。
治承7年(1183)、木曽義仲が平家軍を破って入京しようとすると、
平家は、安徳天皇三種の神器を伴って西国に下向した。
天皇と神器の不在を受けて、新天皇として即位したのが、後白河の孫の
後鳥羽であり、当時、数え年で4歳であった。
建久3年(1192)に祖父の後白河が亡すると、若くして「治天の君」
となり、朝廷の頂点に立つこととなった。


渋柿と呼ばれてやっと今日  井上一筒

後鳥羽は治天の君となった当初、自ら政治を主導するには至っておらず、
源通親などの廷臣が影響力を行使していた。
しかし、譲位以降の後鳥羽は、ようやく「治天の君」として成長を遂げ、
院政を担うようになっていった。
後鳥羽院「治天の君」として日本全土の頂点に立つ者と自任しており、
自身の幼少期に成立した武士の組織・「鎌倉幕府」も当然その配下位置
づけられなければならなかった。


知らぬ間に大きな顔になっている  小林すみえ




 後鳥羽上皇が率いる朝廷軍


「鎌倉殿の13人」 承久の乱・前夜-①

実朝の非業の死に北条氏は、さすがに動揺していた。
しかし、その後継者は実は、はなかったわけではない。
以前に子どもの出来ない実朝のために、政子みずからが上京して、
<後継者には後鳥羽院の皇子を> と交渉し、内諾を得ていた。

真っ白な脳にほどよい風が吹く  古賀由美子

建保6年(1218)2月4日にも、政子は京の都を訪れた。
実朝に子どもが恵まれないので、朝廷にかけあって皇族の1人を跡継ぎ
に迎え入れるためであった。皇族を将軍に迎えれば、
<朝廷と幕府の間も、もっとうまくいくようになるに違いない>
という思いもあった。
このとき政子は、朝廷から従三位という高い位を授けられ、
上皇に会うことを許された。しかし政子
「片田舎の老いた尼が上皇様にお会いしても、何もよいことはございま
 せん」
と、答えて辞退した、いきさつもある。


ポケットに入れたい如月のさらさら  宮井いずみ

それから京を辞して鎌倉に戻った政子を待っていたのは、思いがけない
出来事だった。
承久元年(1219)1月27日のことである。
鎌倉の鶴岡八幡宮で将軍・実朝が暗殺されたのである。
政子は政治闘争の渦のなかで、長男の頼家に続いて二男の実朝をも失う
ことになってしまったが、鎌倉幕府もまた征夷大将軍という主を失って、
空白状態になってしまった。


訃報くる空はこんなに青いのに  前岡由美子



  北条泰時率いる鎌倉軍


ところが、実朝の惨死の報を聞くと、後鳥羽院は手のひらを返すような
態度に出た。
この際、鎌倉を困らしてやれというのだろう。
言を左右にして、朝廷と鎌倉の婚儀の実現を拒んだのである。
さらに義時の弟・時房が千騎の兵を率いて上京し、無言の示威を行った
のだが効果は虚しく、遂に後鳥羽の許可を引き出すことはできなかった。
 そのとき後鳥羽院は、鎌倉の衰退を歓迎するように、伊賀局と卿の局
とともに水無瀬御所に船を浮かべ遊興の席にあった。
後鳥羽「鎌倉が皇子の件は、どうなっているかとせっついてきたか?
    源氏の将軍が途絶えて鎌倉も困っているとみえるな…」
卿の局「ですから…先年の尼どのとの約束を是非にと…」
後鳥羽「そうはいかんぞ…情勢は変わった」
卿の局「はァ…?」

背の立たぬ川で泳いでいたなんて  高橋敏子

代りに後鳥羽院が、皇子問題へもち出した答えは、頼朝の姉の血をわず
かにひいている左大臣・藤原道家の子・三寅であった。
2歳になったばかりの幼児だった。
いくら何でも2歳の幼児では、そのまま将軍にするわけにはいかない。
やむを得ず、政子が代りをつとめることになった。
が、彼女は朝廷から、正式に将軍宣下をうけたわけではない。
つまり、将軍代行の形をとった。
鎌倉の実際の実力者は義時だが、彼は二番手が自分の性分だと自覚し、
表立つことはない。
代わりに義時が姉の政子をナンバーワンに推した結果であった。

言いたいこと半分のんで独り言  山本昌乃


「水無瀬御所では」


後鳥羽院は、権威をひけらかすタイプで大の政治好きである。
後鳥羽「もし北条が皇子を奉じたら、どうなる。将来の日本国は二つに
    割れることになりかねん」
卿の局「まさか…!」
後鳥羽「第一、北条ごときに天下を左右させるわけにはいかん」
伊賀局「……」
卿の局「……」
後鳥羽「幕府には愈々、政治の舞台から下りてもらう時が来たのだ」
卿の局は返す言葉もなく、伊賀局はずっと無言のままだった。
後鳥羽にとっての悲願は、鎌倉幕府を打倒することである。
つまり頼朝以前の姿に返し、それまでに徐々に獲得してきた武士の権利
を剥ぎとってしまおうというのである。

往復ビンタかこちょこちょの刑か  酒井かがり



              調 伏 の 修 法    (葛飾北斎画)

まもなく、京の都では後鳥羽上皇の意志が躍動し始めた。
後鳥羽上皇による「反鎌倉幕府運動」である。
「実朝の死によって将軍職が空白となった鎌倉幕府はそうとうに弱体化
 している…」
と、院は見て取り
<いまこそ鎌倉の動揺を衝いてわが親政を取り戻すとき…!?>
と、僧侶を集めて、幕府を呪い滅ぼすために「調伏の修法」をはじめた。
調伏の目標は影の義時である。
これで院と幕府の安定的な関係は破れ、両者の間には、緊迫した空気が
高まった。

しっかりと生きのびて来た指の節  山谷町子

調伏に合わせて後鳥羽院は、別件を持ち出し鎌倉を揺さぶりはじめる。
後鳥羽院は白拍子芸がことのほか好きで、しばしば演芸の宴を催した。
白拍子を母にもつ皇子も多かったという。
そして上皇の寵愛を一身に受けた伊賀局亀菊も元は白拍子であった。
上皇は亀菊を愛するあまり、摂津国長江・倉橋の荘園を与えた。
ところが、両荘の地頭が亀菊とトラブルを起こし、亀菊は上皇に泣き
ついたのである。
「よしよし分かった。何とかしよう」
それを受けて院は、鎌倉にこの地頭を解任するよう要求したのである。
院は寵愛している伊賀局の所領問題を持ちだして、鎌倉にゆさぶりを
かけてきたのであった。

目が合うとツンデレ天神さんの猫  藤本鈴菜


           鎌 倉 御 所

鎌倉御所では、
政子「摂津の長江・倉橋の二荘園の地頭を解任しろなどと…!」
義時「まったく無茶なことをいうお人だ」
政子「皇子将軍は断り、地頭は解任。余りにも勝手です」
義時「その荘園の給主が院の寵愛する伊賀局ときている!」
政子「公私混同などと非常識も甚だしい。絶対に認められません。
   それと地頭のことも、幕府の根本に関わることですから、
   絶対に譲るわけにはまいりません」
これを仙堂御所で聞いた後鳥羽院は、怒気を口元に露わにしていう。
「地頭解任は絶対に譲らないというのか!」
原則を絶対に曲げない政子伊賀局にいい格好を見せたい後鳥羽院との
やりとりは終りが見えなかった。

一滴の絵具で四季を変化させ  若林くに彦

「所領の地頭が命令に従わないなら解任せよ」

これは朝廷側の常套手段である。何かと文句をつけて、地頭をやめさせ
ようとすることは、これまでも何度かあった。
一方の鎌倉武士は、「土地こそわが命」と思っているから猛然と抵抗する。
もつれにもつれて、長い裁判沙汰になったことも度々ある。
今回の地頭解任に対して、政子の考えは明白である。
「地頭の任免権は、そもそも源頼朝が後白河法皇から与えられたもので
 あります。かつ頼朝によって任じられた地頭職は、重大な過失がない
 限り、その子孫に代々伝えられることになっております。
 軽々に罷免することはできません」
と拒否をした。

つい本音出したら涙ひと雫  石田すがこ



     承久の乱へ集結する武士


この一件も含め、慈円の懸念した通り、院と幕府の関係は、ますます
ギクシャクしていく。
承久3年4月、後鳥羽院は前例を無視して幕府への連絡なしに、順徳天
の譲位と4歳の懐成親王(かねなりしんのう)の即位を断行した。
さらに5月14日、後鳥羽院は「城南離宮の流鏑馬揃え」を開催した。
この「流鏑馬」には、後鳥羽院の思惑があった。
幕府との合戦の時期を窺っていた院にとって、今一番必要なのは兵力で
ある。この流鏑馬は秘密裏に兵を募るという企てがあった。
結果、1700人もの兵が集結する。
そのほとんどが、近畿を中心とする武士たちであったが、中には、
鎌倉御家人の顔もあった。
このとき院は、御家人たちの分断作戦に成功したと思い込んだであろう、
まもなく京都守護・伊賀光孝を攻め殺し「鎌倉幕府追討の宣旨」を五畿
七道に下した。

手のひらの汗は正直凍りつく  津田照子

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茶助
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