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川柳的逍遥 人の世の一家言
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考えがまとまらぬまま滝になる  嶋沢喜八郎


 後藤又兵衛・真田幸村(太平記英勇傳)

大阪城に入った幸村は、周囲の攻め落とす作戦を唱える大野治長に対し、

「兵とは詭道なり」ゲリラ戦で機先を制する戦法を主張した。

「大阪城内・戦評定」

慶長19年(1614)10月初旬には名のある武将が大阪城に入り、

15日前後には、「戦評定」が行われた。

『難波戦記』によれば、片桐且元の摂津・茨木城を落とし、

「京都を占拠して所司代の板倉勝重を虜にしよう」大野治長が主張した。

これに対して真田幸村は、時間のかかる城攻めをしている間に、

「徳川方に宇治、勢多を押さえられてしまう」と異を唱えた。

幸村に後藤又兵衛が同調し、

「自分と幸村に1,2万の兵を与えてもらえば、


宇治、勢多を占領し、石部より手前を焼き払って幕府方の居所を奪い、

勢多橋を焼き、舟を壊し、雑説を流せば敵の士気はくじける。

かみ合わぬ話がレール走り出す  中川隆充

その後、木村重成か大野治長が京都に向かい、明石全登と長宗我部盛親が

大和を押さえ豊臣七手組(秀吉が創設した精鋭部隊)が大津に出張り、

柵や土居を築くべきだ」、と強弁した。

治長が否定するので、幸村は、

「宇治、勢多で敵を止め、
大河を渡河させなければ、

必ず徳川方に加担する大名が変心するはず。


さらにこれから厳寒の冬になるので、敵は川を渡るだけでも困難。

兵が使い物にならなくなるので、これは奇襲をかければ打ち破れる」

と持論を説いた。

大根の背中どこだと思います  山本早苗

すると徳川方の密偵として入城していた小幡景憲が、

「源平の昔から、
宇治、勢多での防衛戦で勝利したためしはない」

と反論したので、
豊臣家の重臣たちは、景憲の意見に賛成し、

籠城策に決定した。


これにより幸村らの出撃策は取り上げられなかった。

ただ、出撃していても成功したかは疑問である。

15日には、伏見、二条、膳所城には幕府方の兵がすでに入っていたので、

やすやすと進撃を見逃すはずがない。

これらの城は堅固なので、攻略するには相当の犠牲を払わねばならない。

おそらく幸村も十分把握していたはずである。

あいのてはココに入れろとあるト書  藤井孝作



「木村重成」

文禄2年(1593)~慶長20年(1615)
       しげこれ
木村定重、重茲(山城国淀18万石)から続いた秀吉の忠臣の家に生まれる。

母が秀頼の乳母となった縁で、幼少期から秀頼の側近を務めた。
ただす
豊臣と徳川の関係が悪くなると、大野治房渡辺糺と共に開戦を主張する。

「大阪冬の陣」では後藤又兵衛とともに「今福の戦い」に参加。

和睦が決まると秀頼の正使として秀忠本陣へ出向いて誓書を受け取った。

夏の陣の「若江の戦い」で激戦の末に討死。23歳だった。

首級が届けられると、頭髪に香が焚きこめてあり、

その覚悟に家康が感心したという。

落ちてゆくときも新調の靴で  笠嶋恵美子



「小幡景憲」

小幡勘兵衛の名で知られ、「甲陽軍鑑」の成立に関わった兵学者として有名。
          おばたとらもり
景憲の祖父は、小幡虎盛で武田二十四将のいひとり。

武田氏滅亡後、景憲が11歳の頃、徳川秀忠の小姓を一時務めるが出奔し、

諸国を回り武芸や兵学を学ぶ浪人生活をした。

後に井伊直政の家臣として、関ヶ原合戦に参戦。

大坂の陣では参謀として豊臣氏に与したが、内実は徳川氏のスパイで

徳川方である板倉勝重に豊臣方の情報を流していたと言われている。

大阪城を離れた後は、富田重政隊に属し真田丸攻撃に加わったとされ、

「大坂の陣」後には、1500石の御使番として徳川に召抱えられている。

さみしさの類語辞典にいた夕陽  中野六助

【余談】「兵とは詭道なり」とは、

 戦は騙しあい、いかに有利に戦えるかを考え、相手を攪乱する作戦。
  しばい
「司馬懿に攻められて、撤退を余儀なくされたした孔明は、

僅かな兵を率いてまさに「風前の灯」の状態だった。

しかし司馬懿が遠方から孔明の城の様子を見ると、城門は大きく開かれ、

道には障害物一つなく、さらに城壁の上では孔明が、

香を焚いて琴を弾いている。

城門近くまで進んできた魏の騎馬隊は、この異様な光景に驚き、

司馬懿の指示を仰いだ。

司馬懿は、罠がしかけてあると読み、敢えて攻撃をしなかった。

相手の隙を見た孔明は、夜半に難なく撤退してしまったという」

 敵の戦力が充実しているときは、敵の攻撃に備えて防禦を固める。
 敵の戦力が強大なときは、敵軍との接触を回避する。
 敵が怒り狂っているときは、わざと挑発して敵の態勢をかき乱す。
 敵が謙虚なときはそれを驕りたかぶらせる。
 敵が安楽であるときはそれを疲労させる。
 敵が親しみあっているときはそれを分裂させる。
 敵が自軍の攻撃に備えていない地点を攻撃する。
 敵が自軍の進出を予想していない地域に出撃する。

メンタムを塗って出易くしておいた  井上一筒

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