忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[717] [716] [715] [714] [713] [712] [711] [710] [709] [708] [707]
後ろからいつも鳴ってる非常ベル  河村啓子


  幸村と後藤又兵衛

実戦経験が豊富な後藤又兵衛は、大阪城へ入った浪人衆のリーダー格で
あった。
大野治長が後藤又兵衛に幸村が敵に内通している恐れがあること
相談すると、又兵衛は一笑に付し、疑われる幸村に同情したという。


「大坂城で」

真田信繁は、九度山脱出の際、家康に反抗した父親の諱「幸」を名乗る

ことを
憚り兄が「信之」と改めたように40年馴染んだ「信」の字を捨て、

名を「幸村」と改め
「ここには戻らない」という覚悟を決め大坂に入った。

大坂へ行く以上は、勝つつもりでいたであろう。

豊臣家には、まだその可能性をわずかに残す財力と求心力があった。

豊臣はその財力を使い各地に散らば武士たちを集めた。

結果、大坂城には10万もの兵が集結した。

しかし集まった者は、浪人ばかりで大名の参陣は一家もなかった。

カサブタの下から覗く秋の色  藤井孝作

だが、万石を得ていた元大名はいた。
              あかしたけのり      ちょうそかべもりちか
毛利勝永、後藤基次、明石全登、中でも 長宗我部盛親は一国一城の主で、

土佐の旧臣は1千も集まり一番の主力と期待された。

浪人のなかで3人衆といわれたのが、

長宗我部盛親、毛利勝永、
それに幸村だった。

幸村は大名ではないが、
徳川軍を二度敗走させた昌幸の後継者と

目されたからである。


集まった浪人たちの有様を見て、幸村は愕然とした。

さらに評議に出てみると、豊臣家の重臣たちはろくに戦場に出たことのない

者たちばかりがもっともらしい意見を述べている。

持ち場さえも決定できず、浪人たちは勝手に布陣している始末。

鎖骨から錆びたナイフがヌッと出る  くんじろう

開戦にあたって軍議が開かれ、幸村は出撃策を進言する。

「東軍を近江の瀬田川あたりで迎え撃ち、冬の川を渡る敵に銃撃を浴びせて、

   足止めをする。その間に諸大名の中には寝返るものも出てくるだろう」

それは九度山において、晩年を迎えた父の昌幸が幸村に授けたとされる

戦略だった。


しかし大野治長を中心とする豊臣家の首脳陣は幸村の意見を不採用とし、

大阪城に籠城して敵を待ち受けるという消極策がとられることになった。

時系列に追う迷路の出口  山本早苗


大坂城と真田丸の位置

出撃策は退けられたが籠城と決まったからには、

そこで全力を尽くすほかない。


幸村は、「独自の戦いをするしかない」と割り切り、

総構えの外の南東に
真田丸」を構築した。

これだけ目立てば敵も主力を投入し、家康の本陣も近づく可能性が出てくる。

家康の首さえ取れば、大坂城の全兵が戦死しても勝利となる。

この時、大阪方には幸村に疑いの目を向けるものが多かった。

なぜなら徳川方に兄・信之がいるからである。

幸村がいつ徳川方に寝返るか、危惧する声も少なくなかった。

一方、幸村は「真田丸」見つめながら、開戦を心待ちにした。

丹田へ華厳の滝をお取り寄せ  岩根彰子

拍手[4回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開