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川柳的逍遥 人の世の一家言
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起き上がり小法師のような人生で  前中一晃



「昌幸‐爪牙を研ぐ」

室賀正武による真田昌幸暗殺計画が失敗に終わると、

家康は天正13年4月、自ら甲府へ駒を進め、

沼田領を北条氏に引き渡すようにと使者を出し、昌幸に命じた。

武力行使をちらつかせての威迫である。

昌幸は長男・信之、次男・信繁矢沢頼綱頼康親子木村戸右衛門

羽田竹久大熊常光らの一族・老臣を集めて評議した。

「徳川中納言(家康)は、わしを手強い被官と恐れ、北条との和睦を幸い、

   沼田の領地を削って小身となし、

   いずれは真田家を滅ぼすつもりでいるに違いない。 
              しそう
   なにしろ室賀正武を使嗾してわしを、仕物にかけようとした男だからの。

   ついては汝らの存念を聴かせてもらいたい」

あさってを拾ってアンタ捨てました  森田律子

昌幸の胸中を察すれば迂闊な発言は出来ないとあって、

誰しもが黙しがちだった。

たまりかねて昌幸は、不適な笑みを浮かべ唇を動かす。

「武威を恐れて泣き寝入りしては、真田の弓矢がすたる。

   断乎死守、沼田を相抱えて手切れじゃ。

   引渡しを拒めば、中納言が激怒して上田城へ攻めてくるは必定なれば、

   弓矢・鉄砲をもって会釈するほかはあるまい」

風の前の塵になろうとする勇気  伊東志乃

家康との手切れを決断した昌幸は、別室に待たせておいた使者に
しゅんきょ
峻拒の返事をし、先年に家康からもらった起請文を突きかえした。

「それがしが中納言殿にお味方して粉骨砕身したればこそ、

   南信州は中納言殿の手にお手に入った次第なれば、

   ご褒美のご沙汰あってしかるべきに真田が弓矢をもって

   切り取った沼田を替地もなく引き渡せとはあまりに理不尽なご命令。

   むしろ昌幸のこころのままに支配せよ、

   と仰せあるべきが道理と存ずるゆえ、
断じて引渡しはでき申さぬ」


元の鞘に収まったとは言え寒い  長井紀子

しかし徳川を敵にまわして戦えば、一豪族の真田など一溜りもない。

そこで昌幸は、従属先として上杉弾正景勝を頼ることにした。

「仰せながら、先年に不義理を働き、敵対している弾正殿がはたして、

    首を縦に振ってくれるかどうか…」

老臣のひとりが懸念を口にする。
              はじゃけんしょう
「上杉家は謙信公以来、破邪顕正の義戦を標榜してきたし、

   頼まれれば嫌とは言わぬ家柄じゃ。

   先非をを悔いて弾正殿の懐に飛び込み徳川中納言の理不尽を訴え、

   是非にと助勢を願えば承引してくれよう。

   それに、わしを味方にすれば弾正殿にも利がある」

無論、交渉は難航をするだろうが、

最終的に景勝は承諾すると昌幸は読んでいた。

軟膏の代わりに塗った南禅寺  中野六助

昌幸の存在は景勝にとって得がたいものだった。

もし真田が滅亡すれば上杉は北条と徳川の圧力を直接受けることになる。

反面、両勢力圏の境界地域である小県と上野を領する昌幸を取り込めば

緩衝役あるいは防御壁役として期待できるのだ。
         よしみ
「筑前殿(秀吉)にも誼を求めておいたほうがよかろう。

   中納言との決着はまだついておらぬから、表立って加勢は望めまいが、

   領有並び立たず、いつまた双方が相対するやもしれんから、

   筑前殿は拒むことはあるまい」
     かん
景勝は秀吉と款をつうじている。

景勝が昌幸の要請を受け入れれば、秀吉もまた昌幸に味方するだろう。

火のないところから煙だけ盗む  井上一筒


五大山城の一つ春日山城図

昌幸はその交渉役として矢沢頼綱と海野輝幸を選んだ。

頼綱はまず上杉家臣・須田満親(海津城代)島津忠直(長沼城代)に会って

景勝への執り成しを依頼した。

満親も忠直も頼綱の顔見知りである。

次いで二人は、春日山城を訪れ景勝に閲した。

「我が主が先年、お屋形様(景勝)の御手に従いながら、
そむ
  背きまいらせたのは短慮のいたすところ…」

と詫びを入れ、縷々説明したうえで申し入れた。

「二男・源次郎(信繁)に侍分百騎を差し副えてご前に相遣わし、

    お馬の草ども刈らさせまする、と主は申しております」

心地よく響くあんたの命乞い  鈴木順子

「再び来たってわしに助けを乞うはとは不埒なやりようじゃが、
        あわ
  一癖も二癖もある安房(昌幸)が大事な倅を出そうというは、

  万策尽きてのことであろう。

  懐に入った窮鳥、助けねば武士の道に外れる。

   助勢の件承知した。


  急ぎ立ち帰り、心やすう徳川勢に備えよ、と安房に伝えるがよい」

徳川の動きを睨みながら昌幸の一年に及ぶ粘り強い交渉の結果、

景勝はようやく従属を許した。

昌幸は源次郎(信繁)を人質として春日山城へ送り出して、

まもなく、徳川勢が昌幸を討つべく上田に進攻してくる。

いわゆる天正13年(1585)8月、第一次上田合戦の始まりである。

罪と罰見つからぬ様かき混ぜる  森 廣子  

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