- 2025/09/21
- Category : ポエム&川柳
蔦屋重三郎ー松平定信時代・筆禍
絶滅危惧種ペンだこと座りだこ 小川はつこ
当 時 三 美 人
江戸のニュース
浮世絵絵師の喜多川歌麿が「当時三美人」を発表
この当時の三美人は、「浅草随身門脇の水茶屋難波屋の娘おきた」、
江戸両国薬研堀米沢町二丁目の煎餅屋の娘・高島おひさ、富本節名取の豊雛
とされた。遊女ではなく町娘だったことが評判の理由だった。
この評判の町娘を、独特の大首絵で描いた喜多川歌麿『当時三美人』をこの
年、耕書堂が売り出して人気を博した。おひさは、右向きで団扇を顎の下に
持ち、理知的な顔つきをして大人びた雰囲気を漂わせ。
年、耕書堂が売り出して人気を博した。おひさは、右向きで団扇を顎の下に
持ち、理知的な顔つきをして大人びた雰囲気を漂わせ。
左向きで茶を運ぶ、おきたから感じられるのはどこかあどけない雰囲気です。
おきたやおひさは、大首絵のみならず、全身像や様々なポーズの作品として
描かれました。
太陽になってください僕だけの 笠嶋恵美子
おきたをモデルにした物では、浅草寺と枕引きをする様子を描いた
「仁王とおきたの枕引き」などのユニークな作品も残されています。
喜多川歌麿の浮世絵をきっかけに、江戸は明和の頃のように再び町娘ブームに
沸くことになります
沸くことになります
喜多川歌麿の美人大首絵が、好評を博したと言うことは、そのモデルとなった
女性たちが広く認知されたことを意味していました。
女性たちが広く認知されたことを意味していました。
モデルは吉原の花魁に限らず、下級の遊女屋芸者など、吉原や他の場所で働く
様々な女性達。なかには、実在する女性を名前入りで描いたものもあり、遊女
ではありませんが、吉原玉村屋抱えの芸者・富本豊雛も名前入りで描かれてい
ます。
様々な女性達。なかには、実在する女性を名前入りで描いたものもあり、遊女
ではありませんが、吉原玉村屋抱えの芸者・富本豊雛も名前入りで描かれてい
ます。
一会の花 女はおんなへと変わる 黒田るみ子
松 平 定 信 心 の 草 紙
蔦屋重三郎ー松平定信時代ー筆禍
「世相」
田沼意次の重商主義政策は、自由な商売が許され、町人たちの発言が強くなり、
庶民でも何者かになれる世となった。大衆文化は発展し、庶民たちにもエンタ
メを楽しむ余裕が出来、江戸の町は、いよいよ、日本の首都として大きくなっ
ていく。
庶民でも何者かになれる世となった。大衆文化は発展し、庶民たちにもエンタ
メを楽しむ余裕が出来、江戸の町は、いよいよ、日本の首都として大きくなっ
ていく。
しかし、光があたれば影ができるもので、貧富の差が広がり、賄賂がはびこる。
大通人たちの豪遊は、影によってできた恩恵だ。
大衆はこれをよくわかっていたのだろう、彼らの金ではなくその男気や豪快さ
を賛美した。
を賛美した。
虹は今無限の色を見せて夏 吉村久仁雄
ところが松平定信が「こんな自堕落なことではいかん、世の中のトップに立つ
のは武士であり、米は何よりも尊いし、金を稼ぐ行為は、汚い」としたことで、
世の中がひっくり返った。
のは武士であり、米は何よりも尊いし、金を稼ぐ行為は、汚い」としたことで、
世の中がひっくり返った。
もちろん、下級武士や庶民にも、等しく学ぶチャンスを与え、能力のある人材
は登用するというキャリヤアップの制度の導入は、粋なはからいである。
は登用するというキャリヤアップの制度の導入は、粋なはからいである。
だからといって、武士の借金を帳消しにして、札差や商人たちを困窮に陥れる
というのは、いけない。
というのは、いけない。
誰かきて残り時間をカットする 大嶋都嗣子
松平定信ー出版統制ー③ 武鑑
ただ松平定信は黙って改革を推し進めていけばよかった。
農政や福祉に重点を置いた政策は、実にすばらしい。
しかし、大衆文化にまで口を出したあたりから、様子がおかしくなってくる。
「世の中を惑わす」ものとして色里指南の洒落本や、ナンセンスで風刺的な
黄表紙が統制の対象となった。
黄表紙が統制の対象となった。
なぜそこまで定信は「世の中のためにならない」メディアの統制にこだわっ
たのか。そこには定信の誇りがあった。
たのか。そこには定信の誇りがあった。
寛政の改革と出版統制-④ 世相
美しい抜け殻という褒め言葉 大沼和子
定信は自伝を書いている。その名も『修行録』
この中で定信は、それとなく想いあっていたがプラトニックな腰元と
別れる晩、一緒の布団に寝たけれども情欲は起こらなかった。何もし
ないで「夜を明かした」と誇らしげに書いている。
つまり、定信にとって、禁欲こそ美しく、黄表紙や洒落本の笑いなど
は、自堕落の極みで、儒教の教えに則り生きる崇高な幕府を風刺する
ことなど、断じてあってはならなかったのだろう。
女の中で行方不明の句読点 近藤真奈
狂 歌 百 人 一 首 (狂歌隆盛の頃)
「狂歌の衰退」
元号が天明から寛政へと変わると、「奢侈」に対する幕府の規制が強くなる。
「寛政の改革」である。天明7 (1787) 年、老中職についたのは、八代将軍吉
宗の孫として生まれた弱冠30歳の松平定信。
「寛政の改革」である。天明7 (1787) 年、老中職についたのは、八代将軍吉
宗の孫として生まれた弱冠30歳の松平定信。
若き老中は、飢饉の混乱を収め、幕藩体制の立て直しや、規律の粛正を狙った
改革を開始した。監視の目は出版界にも向けられ、狂歌サロンのメンバーの中
にも、処罰を受ける者が現れた。
改革を開始した。監視の目は出版界にも向けられ、狂歌サロンのメンバーの中
にも、処罰を受ける者が現れた。
頂上に立てば鋏が置いてある 桑名千華子
太 田 南 畝
武士の土山孝之は、遊女を妾としたことや、前職在任中に買い米の公金を横領
したなどの理由で、死罪に処され、大田南畝も、定信の文武奨励を揶揄した狂
歌が役人のしるところとなり、呼び出されて尋問を受けた。
処罰までにはならなかったものの、友人である土山孝之の重い処分にショック
を受けていたことも重なり、狂歌サロンへの出入りを控えた。
を受けていたことも重なり、狂歌サロンへの出入りを控えた。
朋誠堂喜三二も、狂歌サロンや戯作界から身を引き、浮世絵師であり戯作者・
恋川春町も取り調べを受けたあとに不審死を遂げた。
恋川春町も取り調べを受けたあとに不審死を遂げた。
狂歌サロンからメンバーが、次々と姿を消し、狂歌ブームは終焉を迎えた。
吾亦紅しずかにゆれて追想の 片野智恵子
幕府の厳しい禁欲体制により狂歌絵本での活動ができない中、歌麿と蔦重が
世に送り出したのは、「歌まくら」と言う「春画」だった。春画は性風俗を
描くことから、表立って書店に並ぶ物ではなく、幕府に発覚すれば、当然処
分の対象になるもの。
分の対象になるもの。
歌麿と蔦重の決断は、持って生まれた反骨からか、驚くべき行動である。
予約しておこうピンクの霊柩車 真島久美子
寛政の改革と出版統制ー⑤
寛政3年の3冊の発禁処分は、山東京伝の「筆禍事件」として歴史に刻まれている。
京伝は手鎖50日の刑(鉄製の手錠をかけて自宅謹慎)、蔦重は身上半減に処された。
しかし寛政時代が寛政に改元されると、幕府は、新たな出版統制令を発布、
検閲を通った物のみ出版を許可するとし、同時代の事件を浮世絵で扱うこと
や、高価な本を作ることなどが禁止した。
寛政3年には、蔦重が刊行した山東京伝の洒落本が、検閲に引っかかり絶版
を命じられた。
処分はこれにとどまらず、蔦重は財産の半分を没収される「身上半減刑」に
処される。蔦重の処罰を目の当たりにし、歌麿も、新しい作品を描くことを
自粛した。(だが筆を折ったわけではない。約1年の空白をおいて「女達磨
処分はこれにとどまらず、蔦重は財産の半分を没収される「身上半減刑」に
処される。蔦重の処罰を目の当たりにし、歌麿も、新しい作品を描くことを
自粛した。(だが筆を折ったわけではない。約1年の空白をおいて「女達磨
図」など、複数の作品が発見されている)
忘却に抗う牛乳瓶の底 酒井かがり
「べらぼう36話あらすじ ちょいかみ」
蔦屋の新作『鸚鵡返文武二道』『天下一面鏡梅鉢』が飛ぶように売れ
まくっている…が。老中・松平定信(井上祐貴)は、重三郎(横浜流星)
の本に激怒し、絶版を部下に命じます。
の本に激怒し、絶版を部下に命じます。
そして、日本橋通油町の蔦重の店に奉行所の一行が現われます。
「『鸚鵡返文武二道』『天下一面鏡梅鉢』『文武二道万石通』の三作すべて
を絶版とする」と告げたのです。
を絶版とする」と告げたのです。
人気作を一斉に失った蔦屋は、その日休業。暗い店内で皆が肩を落とします。
てい(橋本愛)が「もしかして、黄表紙好きという話は誤解だったのでは…」
と不安をこぼし、つよ(高岡早紀)も青ざめます。
と不安をこぼし、つよ(高岡早紀)も青ざめます。
チャタレーの発禁本を読む十九 野村賢悟
さらに怒りが収まらない定信は、「恋川春町=倉橋格」(岡山天音)の
名指しを命じ、その報せが届きました。
名指しを命じ、その報せが届きました。
蔦重は「死んだことにして逃げ延びる」という案を提案。
最初は戸惑う春町でしたが、「戯作者として生きたい」という願いから、
名を捨て別人として生きる覚悟を固めます」
その決意の裏で、吉原では、筆を折る決断をしていた朋誠堂喜三二(尾
美としのり)の送別会が催されます。
かつての仲間や女郎たちが集い、別れを惜しみます。
皆が「次も書いて欲しい」と願いを託すなか、喜三二は、一度は断筆を
宣言するものの、仲間に背中を押され「やっぱり書く」と宣言。
会場は歓喜に湧くのでした。
一色の紫陽花として枯れてゆく 高橋レニ
ところが翌日、春町が腹を切ったという知らせが届きます。
白装束の遺体を前に蔦重は、髷に付着した柔らかいものに気づきました。
それは豆腐。つまり春町は、「豆腐に頭をぶつけて自ら命を断った」と
後日松平信義(林家正蔵)が定信のもとを訪れ、春町の死を伝えました。
「戯ければ腹を切られる世とは 誰のための世か」
と、蔦重の言葉も添えて。
前屈のたびに零れ出る悲しみ 清水すみれ
前屈のたびに零れ出る悲しみ 清水すみれ
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