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川柳的逍遥 人の世の一家言
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失いたくないもの壊したいもの  下谷憲子



武田耕雲斎・天狗党の乱


「青天を衝け」 栄一、スパイになる。
 
 
文久3年(1863)11月25日、渋沢栄一渋沢喜作は京に着いた。
横浜焼き討ちのほとぼりを冷ますのが目的で、当てなどはない。2人は
出がけに栄一が持たせてくれた百両で漫然と暮らしながら、在京の慶喜
用人平岡円四郎を訪うては、幕府の動静などを尋ねた。
年が明けると、栄一たちの経済状態はかなり厳しくなってきた。そんな
折、江戸から尾高長七郎捕縛の報せが届く。彼の懐には、栄一と喜作が
京から出した「ほどなく幕府が潰れる今こそ、兄貴も京へ」との手紙が
あったという。2人は慌てた。京も危ない。だが、江戸も危なくて帰れ
ない。第一行くにも留まるにも金がない。2人の進退は極まった。


金のない長寿はとても辛すぎる  ふじのひろし


2人は「この後どうするか」と、論じあった。
喜作「倒幕派が一橋に仕官では、とうとう食い詰めたかと言われるぞ。
何より自分に恥じないか」
栄一「その通りだが、気高いだけでは褒められはしても、世の利益にな
らないぞ」
喜作「…」
栄一「世に効なくば意味がない。まごまごしていれば捕まるかもしれな
いし、第一すぐ暮らしに困る。困って泥棒になってもしょうがない、今
は何と言われようとも試しに一橋に奉公してみようじゃないか」
喜作「ウーンやはり、江戸へ戻り長七郎を獄から出すのだ」
栄一「今、我々が行っても出せるもんじゃない、一橋の家来の方が出し
やすいぞ」
喜作「そういえば、そういう道理もある。しからば、節を屈して一橋に
仕えることにしよう」


洗濯機にほおり込む今日のお喋り  山本昌乃
 



 
こうして、元治元年(1864)2月、栄一喜作一橋家の家臣とな
った。ともに25歳のときである。屈辱的な御用金事件で、「武士とな
って世に立ちたい」という思いが、ここで実現したのである。最初にあ
りついた役は、奥口番という、屋敷の奥の出入り口の番人で、いたって
身分の低いものであった。そして彼らが最初に手にした俸禄(給料)は、
四石二人扶持。滞京手当、四両一分だった。(時価14,5万円という
ところか)なお慶喜に仕える際に、武士名に改名している。栄一では、
武士に不似合いということで、平岡のすすめに従って、栄一は篤太夫に、
喜作は成一郎と改名した。


流されようと決めたら消えた肩のコリ  井丸昌紀


最初2人は、奥口番という役目に就いた、が、ほどなく平岡円四郎から
一橋家直属隊の人集めを任される。風雲急を告げる京都で、禁裏御守衛
総督として、御所を守るにしても、慶喜の配下には、諸藩の藩兵が控え
ているだけで、手勢がほとんどいない。もっと手足として戦える集団が
必要だった。
もともと幕府の洋式陸軍は、農家の次男三男に銃を持たせて組織された
おり、それに倣って、篤太夫成一郎は農兵を募ることにした。西国や
関東各地に点在する一橋家の所領を訪ね歩き、志と体力のある若者を40
人ほど集めた。篤太夫・成一郎としては、倒幕のための挙兵要員くらい
の感覚だったかもしれない。


大福の中にイチゴというコラボ  平井美智子
 


藤田小四郎銅像

 
「天狗党の乱」
文久3年(1863)会津藩・薩摩藩を中心とした公武合体派が、長州
藩を主体とする尊王攘夷派を京都から追放した「八月十八日の政変」
きっかけに、水戸藩の実権を諸生党があ掌握。これに対し天狗党は、幕
府に攘夷の実行を促すため、翌年の3月27日「筑波山にて挙兵」した。
この時、実質的な指導者として党を率いたのが、藤田東湖の四男・藤田
小四郎で、その勢力は数百人規模に成長していたという。


背伸びしたかかとの悲鳴聞こえない  青砥たかこ


栄一は2歳年下の小四郎とは、文久3年の秋頃に2回ほど会い、ある時
「水戸は代々勤皇を唱え大義名分の明かなる藩風でありながら…中略
…何も為さずに単に議論ばかりして…」と、強く責めた。これに対して
小四郎は「水戸藩士と言っても、天下の大事を左様に軽易に為せるはず
はない」と弁解をしていた。この翌年に小四郎は、攘夷実行のために兵
を挙げた。この挙兵に際して、間接的に栄一にも誘いがあったが、栄一
らは、その1か月前に一橋家に仕えていたことを理由として断っている。


車間距離空けてページを繰らせない  上田 仁


農兵を募る務めの手始めに篤太夫成一郎は、自分たちと同じ志をもつ
農民を、関東一円へスカウトに向かった。が、当てにしていた人々は、
小四郎の挙兵に応じて、筑波山に向かっていた。一方、天狗党入りを断
った2人は、敦賀に迫った武田耕雲斎が率いる天狗党に対する、慶喜
追討軍に従っていた。天狗党には、旧知の藤田小四郎がいるだけでなく、
その8割は、篤太夫と志を同じくする農民たちであった。篤太夫の故郷
血洗島村でも、2人の天狗党兵が命を落としている。篤太夫と成一郎の
心中には、複雑な思いが駆け巡った。


掌中の宝が一人歩きする  三村一子





話は少し横道に逸れたが、奥口番や人事募集の職務は、篤太夫成一郎
にとって表向きの役目であり、実際は、一橋家の外交用務を取り扱う
用談所下役で、上洛する諸藩の役職者や留守居役などの意見を聞いたり、
「諸藩の形勢を探知したり、周旋活動」を行う、非常に重要な政治的ポ
ジションを与えられていた。彼らを一橋家にスカウトした平岡円四郎が、
栄一(篤太夫)の政治力を、高く評価していた表れだろう。
実のところ、元治元年(1864)2月25日から4月7日までの間、
篤太夫は、薩摩藩士の折田要蔵の門下生となり、スパイ活動に従事して
いた。


おしるこの底に沈んでいるだんご  星井五郎


折田要蔵は39歳にして、すでに兵学者として高名を博しており、軍艦
や海防について詳しく、薩摩藩の「摂海防禦御台場築造御用掛」に任命
され、「砲台の建造と大砲製造」を主導していた。一橋慶喜「摂海防
禦指揮」に任命されており、抗幕姿勢を憚らない薩摩藩に属する折田の
動向は、監視すべき対象であった。10年後には、折田は島津久光
「摂津沖湾岸防備」の設計書を提出している。


マスクした地蔵が雨に濡れている  安藤なみ
 

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   三島通庸               川村純義、


その間、篤太夫折田を通じて、薩摩藩のキーパーソンである奈良原繁、
川村純義、三島通庸(みちつね)らと懇意になって、重要な情報を得て
平岡に報告している。また、沖永良部島での流刑を終え、中央に復帰を
果たした西郷隆盛とも、この時期に会っている。
(「禁裏御守衛総督」は、幕末に幕府の了解のもと、朝廷によって禁裏
都御所)を警護するために設置された役職である。その役職に 任命
され
た慶喜は、大坂湾周辺から侵攻してくる外国勢力に備えるため「摂
海防
禦指揮」という役職にも、同時に任命されている)


蝶番のわたしとドアノブのあなた  くんじろう


ーーーーーーー


「西郷と篤太夫(栄一)」
西郷隆盛は上京後、島津久光の家老・小松帯刀の下で、吉井友実との交
渉や廷臣への入説を担当した。篤太夫と同じように、西郷も探索・周旋
活動を行っていたことになる。渋沢の回顧録では、
「当時の青年の間では有名な人たちを訪問して時事を論じ、意見を聞く
ことが流行であって、先生(渋沢)も亦、盛んに此の名士訪問をし、種
々の人々と談論したのである。先生が大西郷と初めて会ったのも、此の
意味からであった」とある。


隠すものはないこれがわたくしです  市井美春


初めて訪問した時は、「或は攘夷を語り、藩政改革を論じ、或は幕政整
理を談じ」て西郷の関心を得たようで、「大西郷は『中々面白い男じゃ、
喰い詰めての放浪でなく、恒産あって、然も志を立てたのは感心じゃ、
時々遊びに来るがよい』などと言われた」と得意げに話している。また、
渋沢はこれ以降も西郷を何度も訪ねたと述べており、「大西郷は酒々落
々で、一介の書生相手に豚鍋などをつついて談論した」と自慢している。


この顔で笑っているのだ許されよ  前中知栄


渋沢は、薩摩藩の動静を探るために藩士たちに接近し、その中に西郷
含まれているというのが真相であり、特に他藩応接の中心人物であった
西郷への接触は、渋沢にとって至上命令であったと考える。
(しかし明治以降になると、そうした政治的背景は、意図的なのかどう
かは別として、まったく消し去られてしまい、維新の巨星・西郷との関
係の濃密さばかりが強調される回顧録となっている)


ポーカーフェイス吊り橋わたり切るまでは  郷田みや
 
 
 
 
 
「渋沢の西郷論」
隆盛公の御平常は至つて寡黙で、滅多に談話をせられることなぞの無か
つた方であるが、外間から観た所では、公が果して賢い達識の人である
か、将た鈍い愚かな人であるか一寸解らなかつたものである。
此点が西郷隆盛公の大久保卿と違つてたところで、隆盛公は他人に馬鹿
にされても、馬鹿にされたと気が付かず、その代り、他人に賞められた
からとて素より嬉しいとも、悦ばしいとも思はず、賞められたのにさへ
気が付かずに居られるやうに見えたものである。何れにしても頗る同情
心の深い親切な御仁にあらせられて、器ならざると同時に、又、将に将
たる君子の趣があつたものである。


表情の豊かさ自他の心地よさ  椿 洋子

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