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川柳的逍遥 人の世の一家言
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踏み込めぬ線があるから戻られる  森 廣子

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      聚 楽 第

「現代の京都の町の骨格を、創りあげたのは秀吉である」

秀吉は「聚楽第」を、かっての平安京大内裏の跡に築き、

そして、町全体を「御土居」という”土塁と塀”で囲み、

正方形だった区画を、南北に細い短冊形にして、

土地の高度利用を実現し、寺院を寺町などに集中させた。

コンチキチンええ若衆にならはった  美馬りゅうこ

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     聚楽第行幸図

≪天正16年(1588)4月14日、後陽成天皇が聚楽第に行幸。

  建物の一部が「西本願寺の飛雲閣」である≫

この「お土居」は、

古代中国の都を囲んでいた”羅城(らじょう)”を参考にしている。

中国の羅城は、敵の攻撃を防ぐために、主として石で作られた城壁だが、

秀吉は、予算を考えたのか、土でつくった。

東は、加茂川、西は紙屋川、南は九条、北は鷹の峰におよび、

広域なものであった。

割箸は只今課外授業中  岩根彰子

「秀吉のゴージャスと茶々らの大坂城暮らし」

お江や茶々の気持ちを留め置くため、秀吉は贅の限りを尽くしている。

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   復元・黄金の茶室

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    黄金の茶道具

大坂城にあった「黄金の茶室」は、

茶器や茶道具、天井、柱など、いたるところすべてが、

金で仕立てられていた。

秀吉は、この解体できる茶室を京都御所に運び、天皇に茶を献上した。

合わせ鏡の中ですこうし跳ねてみる  田中博造

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最古の天正カルタと天正カルタ版木重箱

南蛮貿易とともに、日本に伝わったカルタ。

秀吉は、三姉妹に退屈させまいと南蛮の珍しい物をいろいろ準備した。

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     淀殿所用扇子

扇の面に書かれた和歌は、

源実朝・『金槐和歌集』から採られた一首、

”武士の 矢なみつくろふ こてのうえ 霰たハレる 那須の御狩場”

淀殿の自筆と伝えられている。

毎日がこんな贅沢いいかしら  小林歌風

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   茶々の部屋の背景

「ドラマ・お江を見る楽しみにー三姉妹の部屋」

三姉妹の部屋は、ひとりひとりの個性に沿ったデザインで、

造られているそうだ。

例えば、三人のキャラクターに合わせて、

江には春、初には夏、茶々には秋のイメージを重ね、

床の間の絵に、各季節の花が描かれている。

(ちなみに、江は桜、初は撫子、茶々は竜胆(りんどう)だとか)

青い空どんな夢でも描けそうだ  河村啓子

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茶々の部屋

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筆まめな茶々の文机、書の道具。 香道の道具。

君だけの笑顔コピーは作れない  中 博志

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「初の部屋」

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初といえばお菓子。

部屋に菓子箱や、菓子を盛る高つきが常備されている。

初と江の部屋を挟んで庭がある。

明日抜く歯で花見団子を食べる  井上一筒

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「江の部屋」

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             動物をモチーフにした置物

黄金の猿もある・・・何の意味だ!秀吉を皮肉ったものか。

夢かたると輝きが増す少女の目  山本昌乃

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「奥御殿の大広間」

床の間の絵やふすま絵は、狩野派の絵を参考に描かれているとか。

ドラマお江の後ろの凝った諸道具を、見るのも一興ですよ。

トンネルを抜けると好きになっていた  中前棋人


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「大河ドラマ・お江-第20回・『茶々の恋』  あらすじ」

若い側室とじゃれあう秀吉(岸谷五朗)の姿を見て、

頭に血が上り、思わず彼の頬を張ってしまった茶々(宮沢りえ)

女好きで知られる秀吉だが、女性の心の動きには存外疎く、

「なぜ茶々が、自分の頬を張ったのか」

さっぱり分からない。

読みきりにしておく二人のその後  清水すみれ

一方、茶々のその姿を目撃した江(上野樹里)は、不安にかられる。

「まさか、姉上の心が秀吉に向いている?」

以来、それとなく、茶々の様子を観察するようになったが、

やはり江には、姉が秀吉を意識しているように感じられる。

だが、自分の疑念が事実と分かるのが恐ろしく、

とても茶々に、本心を聞くことはできなかった。

女の影はいつか狐になるだろう  森中惠美子

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そんなある日秀吉は、城内で見かけた茶々を呼び止め、

直接、自分を平手打ちした理由を尋ねた。

聞かれた茶々は、

「まさかやきもちを焼いた」

とも言えず、苦し紛れに、とにかく、

「秀吉が嫌い」なのだと答える。

その言葉を真に受け、すっかり落ち込んだ秀吉は、

茶々のそばにいることすらつらくなり、

京・聚楽第に移ろうと決意するのだった。

アッハアッハと数値ばかりが跳ねている  酒井かがり

だが、秀吉の茶々への思いは募る一方。

彼は、もう一度だけきちんと思いを伝えようと、

京へ去る日の前夜、彼女を庭の東屋へ呼び出す。

うどんでも捏ねてみようか雨だから  西山春日子

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江は、不安の元凶である秀吉が、「いなくなる」と聞き大喜び。

一方の茶々は、どことなく寂しげな様子だ。

気になった江が、

「もしやお寂しいのでは」

と聞くと、彼女は明るく答えた。

「相手は秀吉ぞ。誰よりも憎き敵ではないか」

しかし、言葉とは裏腹に秀吉が去った後の茶々は、

浮かない顔で、物思いにふけることが多くなる。

瞳はいつも遠くのほうを眺めてる  立蔵信子

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そうて、ひと月ほどたったある日、

秀吉が再び大坂城にやってきた。

会いたいと呼び出された茶々は、うれしさを隠し切れず、

いそいそと秀吉のもとへ向かう。

だが、久しぶりに顔を合わせた秀吉は、

茶々に好意を寄せているとは思えないような、

意外な提案を切り出す・・・・・。

あなたの視野の中でジャンプを繰り返す  前田咲二

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「大坂城暮らしに所用した華麗な着物」

刺繍の隙間に摺り詰められた金箔や銀箔。

唐突に替わる刺繍糸の色。

どこからみても豪華な繍箔小袖。

そっとから恋が始まることもある  小山紀乃

「茶々(宮沢りえ)の着た着物一覧」

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流行が白ならわたし黒にする  西美和子

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改札を通ると今日の顔になる  一階八斗醁

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いざ出陣百面相をしつらえる  山口ろっぱ

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わけあって風一輪の花となる  前中知栄

拍手[8回]

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女とはかなしい腹を持っている  森中惠美子

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     醍醐の花見

秀吉(右手)を追うように、先頭に北の政所、その後からつづく

左手前に赤と茶の幟を持つ「淀と竜子」が秀吉に迫っている。

「秀吉の側室」

秀吉は、関白になったころから、

沢山の名門出身の女性を「側室」として置いた。

その第一号は、三姉妹の従姉妹になる京極竜子である。

もっとも正室と側室との間に

「継室」
といった存在も認められており、

≪継室とは、本来、正室が亡くなったあとや、

  離縁したあとに後添えになることで、

普通の側室より格の高い女性のことを言う≫

「第二夫人」と呼ばれる。

あの人の何に惹かれている動悸  たむらあきこ

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遠く平安の昔から、桜の名所として親しまれる醍醐寺の桜

醍醐寺の桜は、秀吉が、死の晩年、

絢爛豪華な「醍醐の花見」を催したことでも知られている。

この第二夫人の地位をめざし、

家系存続のための後継者を産むことで、

側室となった女性たちの間で、

熾烈な争いがあったといわれる。

渓谷も胸の谷間も気いつけや  中野六助

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「醍醐の花見」

慶長3年(1598)3月15日、”京都醍醐寺”において、

秀吉は、豊臣秀頼、北政所、淀殿ら近親の者を初め、

諸大名から、その配下の者など、約1300名を集め、

花見の会を催した。

その日の輿入りの順は、次の通り、記録に残されている。

1番・北政所、2番・淀殿、3番・松の丸殿

4番・三の丸殿、5番・加賀殿、そのあとに、

北の政所(ねね)が若いころからの親友、

(まつとねねは若い頃、隣同士の付き合いだった)

前田利家正室・まつが続いた。

偶然を積み重ねつつ現在地  平尾正人

この花見の会の日の出来事として、

宴会の席で正室である北政所の次に、

秀吉から、杯を受ける順を、淀殿と松の丸殿が争った。

≪足利の時代、京極氏は北近江の守護であり、

 浅井氏の主人筋にあったが、臣下である浅井氏の下克上にあい、

 地位の位置づけが、換わってしまったという、経緯がある≫

淀殿が秀吉の子の懐妊を得て、

側室の2位という自負があったものの、

階級的には、もともとは、竜子のほうが上位。

だから竜子もここでは、負けていられなかったのだ。

嫉妬するガラスの欠片踏むように  杉野恭子

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そこへ割って入ったのが、まつ(芳春院)、

「私は客人だから私が二番目に戴きます」

と言って杯をとった。

このまつの機転によって、

和やかな場が、戻ったという話が伝わっている。

(芳春院が、いかに腹の据わった人であったかは、数々のエピソードが語る)

シュレッダーに任せるややこしい話  合田瑠美子

確かな秀吉の側室をあげれば、下記の通り・・・となる。

「淀殿(茶々)」

天正17年(1589)5月、茶々は淀城で男児を出産した。

秀吉は、大喜びで、捨て子はよく育つとの俗信から、

「棄」(すて)(のち鶴松)と名付け、まもなく大坂城に入る。

側室としての順位としては下位だったが、

これにより、側室トップの地位を得る。

含み笑いに耐えきれなくなったアケビ  赤松ますみ

「松の丸殿(京極竜子)」

初の夫となる京極高次の姉弟。

本能寺の変で、竜子の夫・元明は秀吉軍に討たれ、

高次は追われ、

彼女自身は捕らえられる。

この後、秀吉の側室となり、寵愛を受けた。

秀吉の妻妾の中で、一番の美人だったことから、

淀殿が子供を生む以前は、北政所の次に重んじられていた。

伏見城・松の丸に住んだことから、「松の丸殿」と称され。

”醍醐の花見”では、淀殿の次・三番目の輿に乗る。

のみ込んだ言葉燃やしている暖炉  岡谷 樹

「三の丸殿」

織田信長の四女。

信長没後に姉の夫・蒲生氏郷の養女となり、

のち秀吉の側室となる。

伏見城三の丸に住んだので、「三の丸殿」と称され、

”醍醐の花見”には四番目の輿に乗る。

何はともあれあなたの横にいようかな  山本明美

「加賀殿」

前田利家の三女。

柴田勝家の家臣・佐久間十蔵と婚約、

人質として北ノ庄城に入る。

落城に際し、秀吉と両親の計らいで城外に逃れ、

のち秀吉の側室となる。

”醍醐の花見”では、五番目の輿に乗る。

さまざまな坂乗り越えてきた笑顔  石見敏江

「三条局」

蒲生氏郷の妹。

柴田勝家を滅ぼした凱旋途中に、近江国日野城を訪ね、

氏郷より、妹のを側室として貰いうけた。

京都屋敷に住み、「三条局」と呼ばれた。

振り向いて欲しくてそっと泣いてみる  馬杉とし子

「姫路殿」

織田信包の娘。

信長の姪で、ここでも、

信長の血筋を重視していたことがうかがえる。

姫路城に住んでいたため、「姫路殿」と呼ばれた。

秀吉は、行くところ行くところに側室をおいていたようだ。

毒入りと書いてあるので手が伸びる  井丸昌紀

「南殿」

秀吉が長浜時代の側室。

初代、秀勝(石松丸)の母親。

琵琶湖上の竹生島にある宝厳寺に、

古書・「竹生島奉加帳」という文書があり、

その中に、秀吉が「弁財天に金品を納めた」ことが記されている。
 
同時にそこに「南殿」「石松丸」という名が、

見られると伝わる。

網棚の上の忍者と目が合った  井上一筒

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     醍醐の桜

”ともなひて眺めにあかし深雪山
           かへるさ惜しき花の面影”  ねね

”花もまた君のためにと咲き出でて
          世にならびなき春にあふらし”  茶々

”打群れてみる人からの山櫻
         よろづ代までと色にみえつつ”  松の丸

”山櫻袖に匂ひをうつしつつ
           かへるさ惜しきけふの暮かな” 三の丸


”あかず見む幾春ごとに咲きそふる
            深雪の山の花のさかりを”  加賀

 
女というこの偶然が心地よい  三村一子

拍手[7回]

まず生きてほしいと思う血の絆  たむらあきこ

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 常高院像(常高寺所蔵)

「初(常高院)の生涯」

亡母の遺志を継ぎ、妹たちを守ることに必死になる姉・茶々

秀吉の政の道具とされながらも、

たくましく生きる妹・江にはさまれて、

多感な時期を過ごした

次女という立場は、後年、

初に思いもよらない役回りを、担わせることになる。

この初が嫁ぐのは、18歳、天正16年(1588)のことである。

少女から女へ雪解けが始まる  板野美子

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     京極高次

初が嫁いでいく相手は、”蛍大名”と揶揄され、

”戦国一のブレ大名”といわれ
京極高次

初よりも7つ年上で、永禄6年(1563)生まれ。

”本能寺の変”に於いて、高次は明智方の味方をし、

秀吉の長浜城を攻めた。

そのため、秀吉方の追及を受け、

姉・竜子の嫁ぎ先若狭・武田元明を頼り、逃れるも、

頼りとした元明は、秀吉に滅ばされる。

ところが、竜子が秀吉の側室であったことから、

その口添えで、高次は秀吉に帰参が叶い。

その後、九州征伐、小田原征伐の功で、

近江・大津城主6万石を得ていた。

枕辺にピンクの獏を呼びつける  中野六助

慶長5年(1600)、石田三成と家康の対立のとき、

淀と徳川家に嫁いだ江との溝が、深まるなかで、

初は、懊悩していた。

夫の高次はどちらにつくのか?

高次もまた、徳川と豊臣の対決の前に、苦悩を深めていた。

そして、一度は、三成に協力を約し、高次は北国に出陣した。

が、何があったか、高次は、突如進軍をとりやめ、

大津城に引き返してしまった。

私を突如横切る冬の雷  笠嶋恵美子

なんと高次は、家康率いる東軍に、寝返ったのだ。

しかし、大津城で西軍1万5千の兵に取り囲まれ、

初も夫とともに、12日間の籠城戦を耐え抜いたものの、

ついに開城する。

高次は降伏した責めを負い、剃髪して高野山に入った。

ひらり来てひらりと去った冬螢  合田瑠美子

大津城開城の翌日、家康と三成は関が原で激突し、

天下分け目の戦の軍配は、家康に上がる。

大津城は、西軍に明け渡したが、

「関が原の合戦の前日まで西軍を引き留めた」

という功績が認められ、

高次は、その後、

若狭・小浜城主8万5千石を、家康から与えられた。

くしゃみした弾みにプライドが消える  谷口 義

その後、勝利に酔う間もなく家康の怜悧な目は、

豊臣秀頼を睨んでいた。

関が原の戦いの9年後、夫を亡くし、剃髪して、

”常高院”となっていた初は、

関が原での心痛を胸に、

徳川・豊臣両家の和睦の使者となるべく、懸命に奔走した。

淀と江の絆をつなぐのは、

「自分しかいない・・・」 

常高院は、
その一心で女の身でありながら、

両家の間を行き来する。

木枯しの昨日をクリップでとめる  本多洋子

しかし、その願いも空しく、

徳川・豊臣の最後の決戦となった”大坂夏の陣”で、

姉・淀は、母・市の運命をなぞるかのように、

炎の中で果てた。

飛行機のネジが大小落ちてきた  井上一筒

天下人・秀吉の継嗣、秀頼を産んだ淀、

二男五女をもうけた江とは異なり、

常高院は、生涯ただひとりの子どもも、産むことはなかった。

しかし、まるで実の子どもを慈しむかのように、

常高院は、
養女とした江の娘をはじめ、

高次の側室の子どもや、

侍女・小姓にいたるまで、深い愛情を注いだ。

あなたから真綿に包まれた善意  宇治田志津子

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   小浜市・常高寺

≪生前に仕えた侍女7人の墓と、向かい合うようにして常高院の墓がある≫

姉妹を引き裂いた悲しい記憶こそが、

平穏な暮らしを求める祈りにも似た想いを、

抱かせたのかもしれない。

そして、1633(寛永10)年、常高院は静かに逝く。

享年64。

もっとも長命だった常高院の死をもって、

「浅井三姉妹の波乱の物語」も幕を下した。

大名の由来は、姉・竜子や妻・初の七光りで、生き延び、

  出世していったことから言われ、また風見鶏的性格でもあったようだ≫

誰がために泣くのか月の小面よ  森中惠美子

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「大河ドラマ・お江ー第19回-『初の縁談』  みどころ」

初は、京極高次(斉藤工)と話してから、

尚更、恋心が募っていった。

あれほど大好物だった菓子も、高次が嫌いだと

言うので、手を出さなくなっていた。

だが、ひとつ懸念があった。

とらわれの身である自分達は、

自由に好きな相手に、嫁ぐわけにはいかなかったのだ。

特に織田信長の姪という立場から、

秀吉の政の道具として使われる運命にある。

生き様は弦の弛んだバイオリン  高島啓子

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初(水川あさみ)は、そのことを茶々(宮沢りえ)に話し、

なんとか秀吉(岸谷吾朗)に話して貰えないかと頼む。

だが、それは無理な話だった。

先日、茶々は秀吉の「側室に」という申し出を、

断ったばかりだったからだ。

枠外の素描はいつも涙顔  岡谷 樹

ある日初は、偶然に高次と会った。

初の悩み事など知らない高次は、親しげに語りかけて来る。

それがまた、初を悩ませ、また苛立たせた。

そして、その感情は言葉として現れた。

「私が嫌いなのは、あなたのような男です!

 仕官の道を得るため、

 おのれの姉を側室に差し出すような男です!」

高次に嫌いなものを聞かれ、心にもないことを言ってしまった。

初だった。

片意地を張ってしまったとうがらし  山口美千代

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何故、そんなことを言ってしまったのか」

と、初は後悔した。

その初の思いや言葉が、茶々の心に深く突き刺さる。

そして、夜遅く、茶々は密かに秀吉と会うことにした。

秀吉と会った茶々は、

「初の純情な思いを、遂げさせてやりたい」と言う。

やおら秀吉は、言葉をきりだした。

「縁談をまとめる代わりに、わしに何かくださるのか?」

「・・・私を・・・側室になさりたいということですか?」

「そう申したら、どうなさる?」

「妹の・・・初の縁談が決まったら、お話申し上げたいと存じます」

一直線この強いもの折れるもの  ふじのひろし

数日後、秀吉は三姉妹をある部屋に呼ぶ。

三姉妹が怪訝な顔で部屋に入ると、まもなく高次が入ってくる。

高次は初を前に

「妻に迎えたい」
と言う。

突然の話に驚いた初だったが、何やら逡巡しているようだった。

初には、「高次が自分の姉・竜子を秀吉の側室に出した」

という事実に、こだわりがあった・・・。

だから、そんな男の言葉を素直には信じられなかった。

ホッチキスでガチッ口裏合わしとく  山本昌乃

そんな初のこだわりに対し、高次の姉・竜子(鈴木砂羽)は、

「それは根も葉もない噂話で、高次が明智の家来だった頃から、

 秀吉の側室だった」

と言い、高次の純粋に、初を思う心を代弁した。

その言葉を受けて、初の心の澱も取れ、

高次の申し入れを受けることにした。

あの角を曲がると歩幅甘くなる  皆本 雅

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やがて、初は近江の京極家に嫁ぐ為に、大坂城を発った。

その夜、茶々は密かに秀吉と会う。

「私を・・・私の身を、お好きになさってくださりませ。

  ただ、ひとつだけ・・・側室にはなりたくないのです。

             ・・・それだけはご容赦いただきとう存じまする」

茶々は、覚悟を決め、すべてを秀吉に投げ出すつもりだった。

泣き終えた敵が敵がとっても美しい  森 廣子

だが、秀吉は、

「お茶々様を力ずくで、手に入れるつもりはありませぬ。

  ただ、それがしは、今宵こうして来てくださっただけで、

 幸せにございます・・」

と言って、茶々の考えを断つと、

月を見上げ、貧乏な子供の頃、

月を餅に見立てていたことなどを、話しはじめるのだった・・・。

通りがかりの隕石と話し込む  山本早苗

拍手[7回]

ジェラシーの方程式の謎に落ち  前中知栄

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7歳の頃に夭逝夭折した初代・秀勝。

≪菩提寺・妙法寺には、端正な顔立ちの「秀勝絵像」が伝わっていたが、

S27年の火災で、焼失しその写真のみが残る≫

「三人の秀勝」

小西秀勝は、秀吉の姉・とも息子で、兄は関白となった秀次だった。

お江より4つ年上で、

器量はいまひとつだったが、

彼はすでに丹波亀山城17万5千石を領していた。

お江が嫁ぐ以前のこと、

秀勝は秀吉の九州討伐に従軍し、

秋月氏の岩石(がんじゃく)城を攻めて、総大将をまかされた。

生きるとはこのようなこと木の芽吹く  八尾和可子

戦いに勝利すると秀吉は、秀勝を褒めたが、

実際はお飾りに過ぎず、

秀勝に属した蒲生氏郷と、前田利長の見事な采配で勝てたのだ。

ところが、秀吉に褒められて、秀勝は天狗になり、

丹波亀山城主では「知行不足」だと言い出した。

省かれたようだ切り取り線 笑う  谷垣郁郎

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     丹波亀山城

これには秀吉も、「身の程をわきまえよ」と怒った。

亀山城を弟・秀長に預け、秀勝を勘当しようとした。

だが、秀吉は身内には甘かった。

思い直して、逆に越前の所領5万石を加増し、

そのまま亀山城主に留めた。

お江は、そんな小西秀勝の妻に納まることになる。

折れ釘でハートを描いてくれないか  くんじろう

ところで秀吉の子には、「3人の羽柴秀勝」がいた。

「秀勝という名」に、秀吉は特別な想いを抱いていたのだ。

実は淀殿が最初に産んだ鶴松は、

「秀吉の最初の息子ではない」
 といわれる。

秀吉が信長から長岡城をもらい、

初めて一国一城の大名になった時に、

手を出した女・(南殿)が、秀吉最初の息子を産んだ。

幼名を石松丸といい、やがて、秀勝を名乗ったが、

天正4年(1576)10月に、7歳ほどで他界した。

鉛筆と消しゴム距離が近すぎる  板野美子

秀吉は非常に悲しみ、”秀勝”が忘れられなかった。

しかも正室・おねに子供が生まれる気配はなかった。

そこで信長から於次丸を養子にもらい、後継者にしようと決めた。

その於次丸に、秀吉は秀勝の名を与え、

丹波勝山城主として可愛がった。

二代目・秀勝である。

残り香をまだ抱いてます待ってます  高橋謡子

於次丸秀勝は、秀吉の備中高松城攻めにも同行、

秀吉が取り仕切った信長の葬式では喪主をつとめた。

権中納言に補され、その”唐名”をもって、

”丹波黄門”の名で親しまれたが、二代目秀勝もまた、

天正13年(1585)に、18歳の若さで病没したのだ。

* (唐名(とうみょう)-中国風の名称。→大和名)

自分への弔辞自分で書いている  井上一筒

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秀吉は、わが子秀勝も、二人目の秀勝も忘れられず、

ほぼ2人と同じ年齢の小吉を、姉からもらって養子とし、

まるで、2人の秀勝が生きているかのように、

同じ亀山城主にし、同じ官位を授けて、名も秀勝とした。

お江はそんな秀吉の思い入れが強い、

「3人目の秀勝」の妻となり、
亀山城主夫人となったのだ。

残り火がゆらめく胸の底の底  加納美津子

秀吉は小田原の北条氏を攻め、

新婚間もない秀勝も従軍した。

彼はこれといった手柄を、立てたわけではないが、

鶴松の後ろ盾として、箔をつけねばならなかった。

そこで秀吉は、秀勝に甲斐、信濃二カ国を与え甲府城主とした。

噺家に化けて久しい縁の下  筒井祥文

すると秀勝の母・ともが

「そんな遠くでは可愛い息子に会えなくなる」 と嘆いた。

なにしろ秀吉は身内に甘い。

「淀殿もお江がいなければ寂しかろう」 と思い直し、

4ヶ月後、領地替えして美濃に国替えし、岐阜城主とした。

文禄元年(1592)、従四位下参議に任じられ

”岐阜宰相”と呼ばれるようになる。

しかし、同年、出兵先の朝鮮で病死する。

石段に鬼の休んだ跡がある  森中惠美子

拍手[6回]

単から袷に変わる恋心  関 泥鯰

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              京極高次

茶々が、秀吉の側室になった同じころ、

は、京極高次と結婚をする。

高次は、秀吉の側室・竜子とは姉・弟の間柄。

高次の母・マリア浅井長政の姉にあたり、

初と高次は従兄弟の関係にある。

いわゆる竜子は、初の義理の姉ということになる。

あらあらとDNAの一夜干し  前中知栄

長政と信長が手切れになったとき、

高次の父・高吉は、足利義昭のもとにいたので、

長政とは対立することになり、

また、義昭と信長が離れたときも、信長の支配下に入っている。

浅井滅亡後の天正元年(1573)、

少しは役に立つだろうということで、近江支配を円滑にするために、

高次は、安土に近い奥島で、5千石が与えられていた。

気楽でサまだ石ころを続けてる  森 廣子

ところが、本能寺の変で、信長が明智光秀に討たれ死ぬと、

妹・竜子が嫁いでいた若狭の武田元明と共に、

光秀に与して、秀吉の居城長浜城を攻めたので、

戦後は身を潜めなければならなかった。

しかし、元明と違い、何とか身を隠すことに成功し、

一時は、柴田勝家に匿われていた。

アナログだったら消しゴムで消せたのに  藤本秋声

しかし、竜子が、秀吉の側室になったことからか、

秀吉に仕えることとなり、

天正12年(1584)に近江高島郡二千五百石、

2年後の天正14年には五千石、

同年の九州攻めに参加して、

高島郡大溝1万石を与えられている。

髭ぬいて八百長なんか無いと言う  本多洋子

初の結婚は、九州平定が終わった天正15年のこと。

高次は、初の亡父・長政との血縁で、

生まれ育ちのよい人特有の、つかみどころのないところがあるが、

竜子に似て「美男子」であった。

この縁談は、北政所からの推薦でもあり、

初に、断る理由などはなかった。

何もかも捨ててさっぱり始発駅  薮内直人

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「大河ドラマ・『お江』-恋しくて みどころ」

天正15(1587)年の正月、

秀吉は帝より関白の他に、新たに大政大臣を任ぜられ、

また、「豊臣の姓」をも賜った。

永年の懸念だった家康(北大路欣也)も膝下に置いたことで、

次の目標は「九州の平定」と定めた。

出陣は3月1日、秀吉(岸谷吾朗)は、

秀勝(AKIRA)秀康(前田健)を連れて行き、

秀次(北村有起哉)には京、大坂の留守居を任せることにした。

まわり道悲しい僕が立っている  黒田忠昭

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一方、江(上野樹里)茶々(宮沢りえ)が、

秀吉を避けている態度が気になっていた。

明らかにこれまでの、秀吉に対する態度とは違っていたからだ。

そんな茶々に、江は胸騒ぎを覚えた。

そんなとき、初が恋をした。

相手は京極龍子の弟・京極高次(斉藤工)だった。

高次は元々、明智光秀のもとで「本能寺の変」にも参陣したが、

光秀が敗れると、姉の龍子(鈴木砂羽)を秀吉の側室として差し出し、

秀吉の家来となったと言われていた。

あんなことこんなこともう忘れたよ  藤井孝作

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それを聞いていた初は、最初、軽蔑していたが本人を見て、

そんな気持ちは霧消してしまったのだ。

一目惚れだった。

一方、江にも気になる相手がいた。

秀吉の甥の秀勝だ。

秀勝は、誰に対してもずけずけとものを言う。

相手が秀吉でも江でもだ。

それでいて、厭味なところがないという不思議な男だった。

江はそれまで、そのような人間と会ったことがなかった。

顔をあわせると何故か心が踊ったのだ。

初対面なのによく弾むね自然体  山本昌乃

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そんなとき、秀吉が密かに茶々を呼び出す。

茶々の前に現れた秀吉は、

これまでの自信満々の秀吉とは違っていた。

明日、出立だというのに気弱に見えたのだ。

秀吉  「お話ができるのは、これが最後やもしれませぬ」

茶々  「それが戦の常にございましょう」

秀吉  「・・・ただ、あれもこれも昔のようには参らず、

      出征前さというのに、いささか疲れを覚えておりまする」

茶々  「愚痴をこぼすために、お呼びになったと?」

秀吉  「かの地より無事に帰ったら・・・・・

       聞いていただきたいことがあるのでございます」

月の上のたんこぶ出たり入ったり  岩根彰子

翌日、豊臣軍は九州へと出陣していった。

茶々は秀吉がいなくなって、

何故か秀吉のことばかり、考えるようになっていた。

あのときの秀吉の顔と言葉が、忘れられなくなっていたのだ。

一方、初の方も、高次に対する思いは募るばかりだった。

昨日までなかったはずの分岐点  杉野恭子

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茶々、初、江・・・三人とも、戦が一刻も早く終わって、

それぞれの思い人が無事に帰還することを願っていた。

大友氏と島津氏の覇権争いが続く九州。

秀吉は関白の名において、停戦を命じた。

だが、島津氏はそれを無視して戦を続けた。

そこで、豊臣軍対島津軍の戦いとなった。

剽悍な島津軍も、

圧倒的な物量で攻め込む、豊臣軍の敵ではなかった。

掌の才能線に星が出た  井上一筒

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7月半ば、九州を統一した豊臣勢は、

晴れて大坂に凱旋してきた。

さっそく初は、

龍子の仲立ちで、高次とお見合いをするこことなった。

一方、秀勝と会った江は、軽い衝撃を受けた。

秀勝はこの度の戦で丹波亀山の所領を没収され、

追放になったという。

戦で戦功を立てれなかったわけではなかった。

むしろ、誰よりも勇敢に戦った。

だが、その結果の恩賞があまりにも少なかったので、

文句を言ったところ、
秀吉の逆鱗に触れたというのだ。

それを聞いた江は、

心にすきま風が吹き抜けるような寂しさを感じた。

赤あげて白下げないで狐の正面  酒井かがり

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一方、秀吉の方は、身内の祝勝祝いもそこそこに、

茶々のもとに馳せ参じていた。

秀吉は、茶々に無事に帰還したことを報告すると、

茶々への思いを伝える。

秀吉  「それがしの・・・思われ人になってほしいのでござる」

茶々  「いやにございます」

秀吉  「それは、おねが、妻がいるからでございますか?」

茶々  「仇と一緒になりたいと思う者が、おりましょうか?」

秀吉  「かたき・・・」

茶々  「あなたは父と母を殺した仇です。

       義理の父となってくれた人の命まで奪った・・・

       お話というのはそれだけでしょうか?」

そう言うと、去って行く。

ふっと吹き消す本棚のわたぼこり  新家完司

茶々に面と向かって断られた秀吉は、茫然自失。

と、そこに江が駆けつけて来て、秀吉に喰ってかかる。

  「姉上に、何かしたであろう!」

三成  「そうではありませぬ!

                殿下は茶々様に側室になってほしいと」

  「なんじゃとおおーっ?側室うーっ?」

そのことは、騒ぎを聞きつけてきた,

北政所(大竹しのぶ)も知ることとなった。

ドドーンと花火ぼくを笑ってくれないか  立蔵信子

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