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川柳的逍遥 人の世の一家言
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戒名へ人のランクがまだつづく  たむらあきこ

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      六波羅蜜寺

六波羅蜜寺は、往時、栄華をなした平家の本拠地にある。

その清盛像といい、戦火をくぐったらしき供養塔といい、

ここには、清盛の確かな存在感がうかがえる。 

「一介の武士にすぎなかった清盛が、何故短期間のうちに、

  あれほど出世できたのか。

  実はこの疑問を軸に据えると。

  清盛にまつわるいろいろな伝承の意味がみえてくる」

 

                           (甲南大学田中教授)

もろともにあわれと思えあんた誰  山田ゆみ葉

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  経を読む入道姿の清盛像

「少年貴族・清盛」

大治四年(1129)三月、京都・岩清水臨時祭の当日。

舞人に選ばれた貴族の少年たちの中で、

ひときは人々の目を引いた公達がいた。

身の回りの世話をする雑色たちの、美しい装束もさることながら、

源有仁(ありひと)という、身分の高い貴族の従者が、

馬を引いていたことも人々を驚かせた。

この貴公子こそ、武士として始めて、

律令制最高の官職である太政大臣にのぼりつめ、

初の武家政権を樹立した「平清盛」その人であった。

2周半して大鹿の角となる  井上一筒

「臨時祭」における清盛の雄姿に、

人々が驚きの目を向けたのも無理はなかった。

何しろ、源有仁は、

政界の最高実力者である白河法皇「猶子」であり、

当時、内大臣という高い官職についていた。

それに対して、清盛は12歳。

この年1月に元服し、

従五位下・左兵衛佐(さひょうえのすけ)に任じられ、

貴族の仲間入りを果たしたばかりであった。 

≪猶子=形式的な養子関係≫

 

小走りが続くよ春の土の上  井上しのぶ

*「源有仁」とは?

元永元年(1118)、白河院の猶子として臣籍に下り、源姓を賜わる。

才も容姿も優れ、若くして詩歌管弦に堪能で、

「光源氏などもかかる人をこそ申さまほしく覚え給ひしか」(今鏡) 

まっすぐで切れ味のいい人だった  河村啓子

 

父・忠盛は白河法皇の近臣で、

法皇から厚い信頼をよせられていたものの、

そのころは内裏への昇殿すら許されていない

一介の地方官に過ぎなかったのである。

清盛の任官も、一般の武士に比べて、格段に優遇されていた。

武士の子供が朝廷の武官に任じられる場合、

普通は三等官である「尉」から始まることが多いが、

清盛は、二等官である「佐」からのスタートであった。 

しがらみを蹴ると小物は生きられぬ  中村牛延

 

しかも近衛佐という官職は、

上流貴族の公達が任じられるものであり、

内裏・清涼殿への昇殿が許される「殿上人」への最短コースだったのだ。

事実、この人事は貴族たちを大いに驚かせ、

ある貴族は「人耳目を驚かす」と日記に記したほどだった。

それにしても、

武士の子に過ぎない清盛が、なぜ、ここまで優遇されたのだろうか。

そこには、清盛が「生まれ育った環境」が大きく影響していた。 

獅子の血の半分はまだ白いまま  小嶋くまひこ
 
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『因みに蛇足』-「清盛スピード出世」

元永元年(1118)、平忠盛の嫡男として清盛生れる。

大治4年(1129)、清盛12歳の正月6日、従五位下叙任。

            正月24日、左兵衛佐に任官。

天承元年(1131)、清盛14歳、従五位上に叙任される。

長承元年(1132)、清盛15歳、”殿上の闇討ち事件”。

保延元年(1135)、清盛18歳、正月5日、正五位下に叙任。

                    八月、従四位下に叙任。

   2年(1136)、清盛19歳、四月、中務大輔に任官。

   3年(1137)、清盛20歳、肥後守に任官。(22歳の時、重盛誕生)

   6年(1140)、清盛23歳、従四位上に叙任。

永暦元年(1160)、清盛43歳、正三位に叙任。

応保元年(1161)、清盛44歳、中納言に昇任。

    2年(1162)、清盛45歳、従二位に叙任。

永万元年(1165)、清盛48歳、大納言に任官。

仁安2年(1167)、清盛50歳、従一位・太政大臣に叙任。 

*太政大臣=令官制の中で最高の役職。定員1名。

 

   名誉職として職掌自体はとくにはないが、最も重く扱われる。

ひらめきを武器に階段駆け登る  根岸方子

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                              平成二十四年一月一日


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        新年を迎えると私たちは、寺院で除夜の鐘に耳をすまし、

    初日の出を拝み、神社で拍手を打つ。

        思えば、仏教,神道、自然崇拝と日本人は、

        なんと信仰心の厚い、大らかな民族なんだろう。

神様は入口に 仏様は出口に

        昨日が今日になっただけの年の明け。

        何なのだろう、それでも元日が来ると新鮮な気持ちになる。

    一瞬に暮れを慶賀にする神の力なのだろうか。

神様のアドリブ風を裏返す  

    毎年毎年、性懲りもなく立てる一年の計。

      たぶん今年も新たな決意は、”三日坊主”の刑に処せられるだろう。

四日目の日記に書いた四字熟語

        デンマークではこの秋、”脂肪税”が施行された。

       ゼイゼイの呼吸を連れてくる脂肪。

        朝昼晩飲んで怒られないのが正月ですが、くれぐれもご注意を。

ついついを食べてメタボの春が来る

     「いい正月でしたか?」

   なんて、意味のわからない挨拶が行き交う正月の街角。

   あちらこちらに落ちている穿ちの材料。

   このブログに載せるたくさんの川柳を、今年も期待しております。

家政婦は見た どじょうの書初め

                           ロンパリ考える椅子 茶助

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気の重い話真二つにしよう   杉本克子

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【おさかなすきやね】

正月が来て一番心配なのが、知らぬ間に体重が増えていること。

太ることは簡単で、3キロから4キロなど”あっ”と言う間。

そこで、食べても太らないような食べ方を、おしえてもらった。 

「食べながらダイエット」

太るのは血糖値の急上昇が原因とか。 

野菜などの(食物繊維)→ 味噌汁など(汁物) →

肉・魚など(タンパク質)→
米・パンなど(炭水化物)
 
の順番で、
食べることを心掛けよという助言。 

あたたかい助言に出直しを決める  泉水冴子

 

炭水化物や甘いものを最初に食べると、

血糖値が急激に上がって、インシュリン分泌量が増加し、

食べた栄養分が脂肪として、

蓄積され、「太りやすくなる」 のだ

食物繊維は、キャベツなど大盛野菜を食べ、

炭水化物や糖分の摂取量を、少なくするのがコツ。 

三面鏡なにもおびえることはない  牧浦完次

 

食品では血液改善に効果があるといわれる、  

「お茶・魚・海草・納豆・酢・キノコ・野菜・ネギ」

  

を積極的にとるようにする。

そして、食品名の頭文字をとって、

「おさかなすきやね」 と覚えておく。

縦縞の余白ばかりが裏返る  酒井かがり

後は1日、一万歩と2・5㍑の水分補給を心がける・・・

ここのところが難しい!

少しづつ始め、ストレスにならない程度に、

徐々に増やしていけばよい。

『継続は力』 なり。

四十代きれいに脱皮してみせる  山口美千代

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なかんずくスプーン一杯の肝っ玉  山口ろっぱ

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         「埋へ工夫」

『 口は禍いの門。旅順口という口は禍いの門口だ。

   この口さえ、こっぴどいめに締め付けてしまえば

   すっきり息の根を止める艦(勘)定だから、

   港口を塞いで、やつらの鼻毛を抜いてやろうじゃないか。

   おっと渡りに船、ここに適当な船がある。

   戦(善)は急げど、ヅドンヅドン、

   轟沈轟沈(ゴウチンゴウチン)

   と打ち込んだからたまらない。

   とても世間に面出しができなくなった。

   するとこれを見ていた露艦が「ああ口惜しい」 』

退屈をさせないように雨が降る  下谷憲子

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   「強兵の戦任力」 

『 ロシアの侵攻におびえる中国人と朝鮮人。

二人に対して日本兵士は、

「何をいってるんだ、

  ロシアの弱武士が二千や三千いたからって、

  ちびりちびりのなし崩しじゃあ、手数ばかりかかって、

  かえって面倒くさいから、

  なるたけ沢山寄り集まっているところを、

 

  いっしょくたに ズドンとやっつけるつもり・・・」

  と、ロシア兵が集まっている九連城と鳳凰城を、

  多年鍛え上げた銃剣で一度に吊るし上げた。

吸って吸って吐いた圧搾の流儀  酒井かがり

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   「手酷い潰し形」

『 ロシアは国が広いの、人間が大きいのといいしも、

   いざ腕比べとなってみると、

   日本は世界のうちでも屈指の強国。

   これをたとえてみれば、大きな手を広げて、

   上のほうから一掴みに握り潰すようなものだ。

   まず鴨緑江のほうから、九連城、鳳凰城、

   あるいは、遼東半島のほうで金州、南山、南関嶺。

   しかし、この勢いで一掴みしたら、

   ロシアの不恰好さはどんなになるだろう。

   そりゃしれたこと。

   残らずいびつな形になるのさ。

手の蛍握りつぶせば死ぬけれど   時実新子

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おちょぼ口から飛び出した減らず口  井上一筒

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「仁川艦鯛の一網」

『 やあ、旨い旨い。見込みどおりここに敵艦鯛(隊)がいたぞ。

 いくら手前が尾に鰭をつけて、高慢ちきに跳ね繰り回っても、

  おれに敵対するような不埒なやつは、

  みんなこの闘(投)網をぶっかぶせて、

   残らずとっちめてくてるのだ・・・

   おやおやこいつ生意気に手向かいするのか・・・

   是れーツ(コレーツ)我りやァ苦(ワリャーク)、

   よく聞け、そんな無鉄砲の見当違いじゃ到底だめだから、

    ここでじんじょうに打たれてしまえ 』

喉ごしはソフト左手に果し状  和田洋子

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        「逃露逃露」

『一気闘戦(一騎当千)の日本水兵が、

  腕によりをかけて、露艦に向かい、

  「鶏を割くに牛刀を用いずと言うが、

   鷲(わし)の軍艦をぶっつぶすにやぁ、おれ一人でもたくさんだ。

   ベーロシアでもジャンケンポイでも何でもこい。

   この鉄拳をふるって、片っ端から滅茶滅茶にやっつける。

   敵艦は肝を潰して、たいていぶくぶくと沈んでしまったが、

   その残りの敗艦は旅順口をさして、

    逃露逃露(逃げろ逃げろ)とかけ込んだ。

逃げ足は左の方と決めている  河村啓子

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      「小癪ッ危兵」

『 おれのことを日本では、小癪ッ危兵だの虚弱兵だのと

   いっているそうだが、何とでもいうなら勝手にいうがいいさ。

   いくら海軍が手も足も出なくなったからとて、

   おれたちの陸兵までが、

   そうドシドシと横っ腹を打ち抜かれてたまるものか。

   右から来れば剣で防ぐ、左から来れば槍で受ける、

   前から来りゃ鉄砲がある、後ろから来りゃぁ・・・

   はてな、そうなってみると背中にも 二、三本手が欲しくなった 』

諍いのダマポッカリと浮くシチュウ  岩根彰子

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