川柳的逍遥 人の世の一家言
火を逃げて五年十年火をくぐる 森中惠美子 間髪を容れず、2人の刺客が奥の八畳に躍り込む。 1人が、「コナクソ」と一声もろとも慎太郎の後頭部を斬り、 もう1人が、龍馬の額を横に払った。 龍馬は、背後の床の間に置いた佩刀を取ろうと、中腰で後ろに向いたところを、 右の肩先から左背まで、袈裟懸けに浴びせられる。 怯まず刀を摑んで振り返る。 そこへ、三の太刀が襲ってきた。 刀を抜く暇がなく、鞘のまま受け止める。 刺客の刀勢は、猛烈だった。 寺町や紫陽花の首猪の首 石田柊馬 衝撃で鞘の鐺が、天井を突き破り、 鞘越しに刀身に食い込んで、刃を九センチほど削り、 さらに流れて、龍馬の額を鉢巻なりに、ザックリと斬り割った。 血しぶきが飛び、白い脳漿が露出した。 龍馬は悲痛な声で、 「石川(中岡の変名)、刀はないか、刀はないか」 と叫びながらその場に昏倒する。 敵はなおも、臀部に二太刀斬り付ける。 反射のありなしで、生死を確かめるのである。 慎太郎はその痛みで、意識を取り戻したが、死んだふりをしていると 「もういい、もういい」 という声がして、 一団は風のように、すばやく段梯子を駆け下りて、消え去った。 きみはもう雲と遊んでいるだろうか あいざわひろみ しばらくすると龍馬も蘇生したと見え、 「残念、残念」 と呻くように呟いていた。 「慎太、慎太、どうした。手は利くかー」 「手は利く」 龍馬は行灯を提げて、次の六畳までにじり進み、 「新助、医者を呼べ」 と階下に声を掛けたが、何の応答もない。 声もしだいに弱まり、 「慎太、僕は脳をやられたから、もうだめだ」 その言葉を最後に、ガックリと落ち入る。 慎太郎は、裏の物干しまでいざってゆき、大声で助けを呼んだが、 近江屋の家内はシーンと静まりかえっていた。 龍馬のために鶏鍋の具を買いに出かけていた峰吉 渡辺吉太郎・高橋安次郎・桂隼之助・桜井大三郎は、 翌・慶応4年早々、鳥羽伏見の戦で戦死し、土肥仲蔵は行方不明。 佐々木只三郎は、淀で重症を負い、それがもとで間もなく死んだ。 明治まで生き残ったのは、今井信郎だけで、 この男は後に、妄想か売名か、自分が龍馬を斬ったと≪告白≫して、 世の話題になった。 近江屋の外に出ると、十五夜の月が、雲を割って明るく町を照らしていた。 佐々木は、”その時、義経少しも騒がず” と『船弁慶』の一節を高らかに謡いながら、落ち着き払って現場を立ち去った。 鴨川がわずかに憶えている竜馬 黒田忠昭 PR すれすれを吹き抜けてゆく男の訃 たむらあきこ 冬の京都は、底冷えがきつい。 地面の下から這い上がる寒気が、骨を凍てつかせる。 慶応3年(1867)11月15日、午後8時頃、 先斗町の料理屋を出てきた”七人の男”が、辻々で踊り狂う "エジャナイカ"の人波を避けて、急ぎ足に道をたどり、 河原町通蛸薬師下ルの「近江屋」という、「醤油屋」をめざして歩いていった。 数珠をもつ遠く近くの死を思う 森中惠美子 男たちは、「京都見廻組」の一団だった。 新撰組と並んで、幕末の京都で活躍した”治安組織”である。 幕府旗本の子弟だけで、構成されていたので、 農民上がりと蔑む新撰組との対抗意識も強く、功名手柄を焦っていた。 この日も組頭の佐々木只三郎は、 配下の今井信郎・渡辺吉太郎・高橋安次郎・桂隼之助・土肥仲蔵・桜井大三郎を呼び寄せ、 「これから重罪犯の逮捕に取り掛かる」 と差図を与えた。 耳よりも指揮振る人に目が走る ふじのひろし 敵はピストルを発射して抵抗。 伏見奉行所同心2人を射ち倒して脱出し、残念ながら取り逃がした。 その坂本が、今夜、近江屋に滞在中である。 今度ばかりは、逃がさずに捕縛すべし。 万一手に余ったら、討ち取ってよろしい」 狙われた坂本龍馬は、幕府側から見れば、指名手配中の凶悪犯であった。 綿菓子の死角でちょっとしたスリル 山本早苗 龍馬を斬ったといわれている、小太刀の名手・見廻組・肝煎桂早之助の脇差 実行者の間で、手筈が整った。 7人のうち、渡辺・高橋・桂の3人は二階に踏み込む。 今井・土肥・桜井の3人は、台所辺りを見張り、必要があれば助太刀する。 首領の佐々木は、家内に入らず、離れて立って成行きを見届ける。 近江屋はもう、大戸を閉ざしていたが、家内では人声がしていた。 表戸を叩き、出てきた男に 「拙者共は、松代藩の浪士でござる。 ごく内々の用件で、至急坂本先生にお目に掛かりたい。 夜分失礼とは存じながら推参致しました」 と取次を依頼する。 希望という名刺カオスへ散布する 唐木浩子 意外にも相手はまったく怪しまず、今井ら3人を店内に入れてくれた。 当の龍馬は、近江屋二階の奥座敷で、 同志の中岡慎太郎と国事を論じていた。 頑健な大男のくせに、寒がりの龍馬は、 その日、風邪気味で、真綿の胴着の上に舶来絹の綿入れを着込み、 さらにその上に、黒羽二重の羽織を重ねて、 火鉢を抱え込むように座っていた。 目の前にあるけど見たくない未来 岡田陽一 応対に出た男は、藤吉といい、相撲取りをしていた肥大漢だった。 「松代の旦那でござんすかい」 と、人を疑わず、巨大な体躯を運んで取次のため二階に上がる。 それに付け入って、足早に階段を駆け上がり、 襖を隔てた奥座敷に、名刺を通じて出てくる藤吉を、いきなり斬り倒した。 バッタリ倒れる大きな音に、 奥から、「ホタエナ!」 暗殺の日-1-②へ・・・つづく お茶室で太極拳をしています 井上一筒 テロ憎むうつくしい花咲く限り 森中惠美子 『龍馬暗殺に成功した京都見廻組のリーダーは、「佐々木只三郎」という人物である』 佐々木は、幕末の剣客の中で、最強のひとりだったという説もある。 龍馬は、最も恐るべき男に狙われたといっていい。 七味とはいえ辛味しかわからない 清水一笑 佐々木只三郎は、会津藩の生まれである。 会津精武流の使い手で、その”小太刀の腕前”は日本一とさえいわれた。 佐々木は、見廻組だけでなく、 新撰組誕生をめぐっても、キーマンの役割を果たしている。 彼の兄である手代木直右衛門は、会津藩の若年寄で、 藩主・松平容保の懐刀のような存在だった。 この兄弟のラインが重要なのだ。 カメラでは捉え切れない無言劇 谷垣郁郎 佐々木只三郎は当初、新撰組の前身・浪士隊に取締役・並出役として参加。 浪士隊が東西に分裂したとき、京都に残った浪士隊は会津藩に預けられ、 これが新撰組となる。 この周旋工作をしたのが、佐々木だったと考えられるのだ。 佐々木は、兄・直右衛門と緊密に連絡し、 その兄が会津藩を動かしたのである。 与野党でオセロゲームの陣地取り 八木 勲 見廻組の誕生にも、手代木・佐々木の兄弟ラインが、深くかかわっていたとみられる。 佐々木只三郎の名を一躍轟かせたのは、清河八郎の暗殺によってである。 清河八郎は、新撰組前身の浪士隊創立の呼びかけ者であり、 普通は3年かかる北辰一刀流の目録伝授を、1年で成し遂げた男である。 当代屈指の剣客であり、 新撰組の近藤勇、芹沢鴨ら荒くれ者も手を出せなかった。 あきらかに転ぶあきらかに嘲笑 中野六助 佐々木は、幕閣から清河抹殺の任を負うと、清河の隙を待ち続け、 ある夜、旧知の清河と、偶然出くわしたかのようにして挨拶、 清河が油断したところを、仲間とともに、一撃で仕留めている。 佐々木は、人を油断させるのが巧みで、龍馬もまた、油断させられてしまったのだ。 佐々木は、龍馬暗殺において、実行犯の奥に控えた。 仮に、龍馬が刺客の攻撃をかわし、階下に逃げたとしても、 そこには、佐々木只三郎が待ち構えている。 佐々木に狙われた以上、すでに龍馬に逃げ道は、なかったといっていいかもしれない。 劇薬と書いといたのに減っている 島田握夢 幕府当局の目から見れば、龍馬は去る慶応2年1月23日、 伏見の寺田屋で、奉行所同心を殺傷した逃亡犯であるにすぎなかった。 佐々木只三郎は、報復の一念と大魚を屠る野心に燃えていた。 勝海舟は、 「佐々木に上から指示を下したのは、 大坂町奉行から大目付に転じた松平大隈守信敏、 ならびに、その下役だった目付の、榎本対馬守道衛だったのではないか」 と推定している。 (『海舟日記』明治3年4月15日) ≪当時の記録には、『時に坂本、名を変じて才谷梅太郎という。 幕吏の探偵を避くるなり。しかるもなお流言あり。 「土佐の豪侠坂本は、頃日、浪士300人を率い窃かに京都に入り込めり” 幕吏のこれを忌憚する事甚し」 鳥羽伏見の戦いで着用したとされる鎖帷子ー丈は約70センチ。(霊山歴史館) 麻と鉄で作られ、佐々木家の家紋・四つ目結が見られる。 右下に銃創を受けた血糊と、左肩口に斬り込まれた跡がある。 「佐々木只三郎・辞世の句」 ”世はなべて うつろふ霜にときめきぬ こころづくしの しら菊のはな” 死ぬ少し前に、飛び込んだ酒屋で酒代の代わりに、襖に書き付けたという。 流れる砂転がる砂仏になる砂 山口ろっぱ
一幕四場の俺のドラマのあとわずか 大海幸生
近江屋に履き捨てられた下駄ー(この下駄に近江屋の刻印が残る) 『龍馬暗殺は、数ある幕末の暗殺のなかでも、もっとも手のこんだもののひとつといえる』 危険を感じていたはずの龍馬が、まんまと油断させられ、 何ら反撃できないまま、斃されたのだ。 うまく行きすぎると何か恐くなる 宮前秀子 慶応3年(1867)11月15日/午後8時過ぎ、 武士達は、「十津川郷士」と名乗り、名刺を渡し、龍馬に面会を求めた。 一説には、「松代藩士」を名乗ったともいわれる。 取り次いだのは、龍馬の従者・藤吉だった。 龍馬には、面識がある十津川郷士がいた。 藤吉も、そのことを知っていたので、 疑いを抱くこともなく、二階にいる龍馬のもとに名刺を持っていった。 藤吉は、龍馬に名刺を渡し、階段を下りてきた。 そこに刺客が待ち伏せていて、藤吉を斬り倒した。 二階の龍馬の耳にも、その倒れる音や藤吉の悲鳴が届いたが、 龍馬は、 「ほたえな!」 「ほたえな」とは、土佐弁で”暴れるな”・”ふざけるな”という意味だ。 龍馬は、元相撲取りの藤吉が、ふざけて相撲でもとっていると思ったようだ。 これが、最後の運命の分かれ目となった。 鼻血くらいでいつも救急車を呼ぶな 三好聖水 刺客らは、階段を駆け上がり、奥座敷の龍馬のもとに姿をあらわす。 そのとき、刺客らはいきなり戸を開け、襲いかかったという説もあるが、 刺客のひとりは、龍馬の前で、 「坂本様、おひさしゅうございます」 と丁寧に挨拶したともいわれる。 その説に立つと、刺客の挨拶に龍馬は、 「誰だろう?」 そのやりとりで、刺客は、どちらの人物が龍馬であるかを特定できた。 五分五分の可能性なら賭けてみる 嶋澤喜八郎 刺客は突如、刀を抜き、思案している龍馬に襲いかかった。 と、同時に別の刺客が、中岡慎太郎に襲いかかったという。 龍馬に襲いかかった刺客は手練であった。 最初の一撃は、龍馬の額を襲い、第二撃は、肩から背中を斬りつけてきた。 それでも龍馬は、刀の鞘をつかみ、 だが、龍馬の抵抗もそこまでだった。 刺客は、もう一度龍馬の頭を狙い、刀を振り下ろしてきた。 龍馬は避けることができず、 青い絵の中で激しく吠えている 阪本高士 そして刺客は、龍馬が絶命したことを確認すべく、龍馬の脚を刺した。 このとき、「さあよからん」という言葉を残している。 いっぽう、中岡慎太郎を襲った刺客の手際は、龍馬を斬殺した刺客ほどではなかった。 中岡の全身を斬りつけ、中岡に28か所もの傷を負わせたものの、 とどめを刺せないでいた。 龍馬を倒したほうの刺客は、それで十分と見なし、 中岡を相手にした刺客を制止し、引き揚げにかかった。 刺客の去ったのちも、龍馬には、かろうじて息があった。 龍馬は虫の息ながら、中岡慎太郎に呼びかけている。 中岡は、薄れていく意識のなかで、それを記憶した。 「挙動にくむべし、剛胆愛すべし。この剛胆ありて、初めて事をなすべし」 これは、自分を襲った刺客の実行力を、ほめての言葉だろうか。 つづいて、悔恨の言葉を吐く。 「遺憾なり。之をもって奴輩に斬らざりしことを」 龍馬は、迫る死を無念に思ったのだ。 「余は深く脳を斬らる。とうてい生くるあたわず」 これが、龍馬のこの世での最期の言葉となった。 ≪中岡は、このあと救出され、龍馬より2日ほど長く生き、11月17日に息をひきとった≫ どん底に居ても明日の設計図 村田己代一 戦いの姿勢でブーツなどはくか 森中惠美子
龍馬は盟友・中岡慎太郎とともに、暗殺される。 暗殺の舞台となったのは京都の”近江屋”である。 近江屋は、今の京都の繁華街・河原町通り沿い、 蛸薬師通りを南に、少し下ったところにあった醤油屋で、 龍馬の母藩・土佐藩の京都藩邸にも、醤油を納めていた。 京の街路面電車は雨に濡れ 田中峰代 主人・新助が意気に感じるタイプだったからだ。 近江屋から北に少し上がった三条通りの近くには、 そこは、海援隊の京都本部であり、 最後となったこの京都入りでも、 9日から、酢屋に宿泊、13日になってから、近江屋に移っている。 抽斗の奥に眠っている地雷 笠嶋恵美子 龍馬は万一に備えて、近江屋では母屋には泊まらず、 近江屋主人・新助は、土蔵に隠し部屋をつくり、 そこに龍馬らを、かくまっていたのである。 新助は、情報漏洩を恐れて、 自分の家族にも、今回の龍馬潜伏を話していなかった。 手の内を読まれぬように霞網 伊藤益男 龍馬が常宿・酢屋を離れ、近江屋の土蔵にこもったのは、 幕府方の警戒体制に、ただならぬものを感じたからだろう。 京都では、「新撰組」に加え、 警戒レベルを上げていたのだ。 新撰組から分離した高台寺党の伊東甲子太郎と藤堂平助は、 龍馬と中岡慎太郎に対して、 「新撰組が龍馬を血眼で捜している」 ことを語り、とりあえず、土佐藩邸に避難するように忠告した。 疑問符がまとわりついて眠れない 合田瑠美子 龍馬も、危険の迫っていることを感じ、 土佐藩邸入りを検討するが、 土佐藩邸は、かつての脱藩者に冷たく、龍馬をかくまうことを拒否した。 あとは薩摩藩邸が、頼みの綱だが、 「土佐へのあてつけになるから・・・」 と龍馬は薩摩藩邸へ入ることを、断念していた。 知らぬ間に味方の数が減っている 八田灯子 悲劇が起きるのは、龍馬が風邪をひいたためでもある。 旧暦11月中旬といえば、いまの暦では12月なかば。 京都名物の底冷えが、一段と厳しくなる時期であり 土蔵暮らしは、発熱している龍馬の体にはこたえた。 そこで龍馬は14日、土蔵から母屋の二階座敷に移った。 下水道の奥の無人島である 井上一筒 翌15日、龍馬は隣に住む土佐藩参政・福岡孝弟を二度訪ねるものの、不在。 夕刻には、中岡慎太郎が龍馬を訪ねてきたので、 龍馬は軍鶏鍋を食べようと思いつき、小僧の峯吉に、 「軍鶏を買ってくるよう」 龍馬は用心棒をかねて、元相撲取りの藤吉を従者にしていたが、 ほかに備えはなかった。 龍馬は、無防備なまま、運命の夜を迎えた。 焼き鳥屋の前ニワトリは歩けない 西澤知子 |
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