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川柳的逍遥 人の世の一家言
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絵に描いた餅がぺらぺらよく喋る  嶋澤喜八郎

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同志社大学今出川・二本松の薩摩藩邸

薩摩藩邸は、京都/錦小路東洞院(現在の大丸百貨店の場所あたり)にあったが、

文久3(1863)年に、二本松にも新しく建てられた。

「薩長同盟」は、この薩摩藩二本松藩邸で締結された。

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薩長同盟への道筋を作った中岡慎太郎と龍馬

裏表無い友と飲む旨い酒  杉岡東丘

【薩長同盟の裏話し】

小栗上野介の台頭により幕威が上昇し、

長州再征伐の準備が進む慶応元年10月。

龍馬は長州にいた。

桂小五郎との面談のためである≫

打ち合えばいい納得ができるまで  前田咲二

龍馬・「兄さん(桂)、薩摩名義で高杉さんとこに7700挺の小銃も買い付けてもろうた。

   確かに、こん前は薩摩にこけにされたちゅう格好じゃったが、

   一藩の面目如きは、こん際こらえてもらえんじゃろうか。

   日本を救わんがためじゃ。和議結着の件、今度は必ず西郷を説得してみちゃる。」

桂・「孤立無援のために我が長州が幕軍と戦い焦土となっても、

   薩摩藩が後に残ってお国のために図ってくれるんじゃったら、遺憾はない。

   ただし、和議・盟約を願うのは哀れみを請うちょるのも同然、

   士道の意地としてそれはできん」

桂の悲壮感のある表情には、この同盟が上手くいかない場合、

腹を切る覚悟が見えた。

正面から挑む桂馬にある勇気  田井中藤重

龍馬・「もしや兄さんが自害したら、俺は西郷どんを刺して死ぬ。」

そんな決意を秘めて龍馬は、

長州の腹を探るのに懸命な西郷と対峙する。

龍馬・「足下(貴殿)が、無情なんじゃ。

     長州は薩摩との和議を渇望し、ともに手を組んで、

     幕府を打ちのめして、皇国を興さんと目論んじょる。

     しかるに窮乏の極にある長州から、和議の件、持ち出すのは、士道が許さぬところ」

西郷・「薩摩は体面にこだわり過ぎもうした・・・桂どんの決意のほど、どがん意味か、

     よく分かりもうした。

          坂本どん、いますぐ桂どんのところへ案内お頼みもうす」

武装とくようにイヤリングをはずす  森中惠美子

かくして、西郷・桂の間に首脳会議が開かれ、

慶応2年1月22日、京都伏見の薩摩藩邸で、

薩長同盟が成立する。

そして、場面は西郷が席を引いて、龍馬と桂の二人きりになる。

桂・「薩長の盟約がなったのも、坂本君のお陰じゃ。

   この際、証しを立ててくれまいか」

と、朱のインキがたっぷり含んだ筆を差し出す桂。

桂・「もし薩摩が裏切った場合を想定し、なんとか証しを書いてくれ」

龍馬は、黙って、

‘盟約は、毛(すこし)も相違これなく候。

 将来といえども決して変わり候事は、これなきは神明の知る所にござ候‘

と、朱筆でしたためる。

大らかに男の海が凪いでいる  吉川卓

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『 表に御記被成候六条ハ、

小・西両氏及、老兄・龍等も御同席ニて論談セシ所ニて、毛(わずか)も相違無之候、

後来といへども決して変り 候事無之(なきことそうろうこれ)ハ、神明の知る所ニ御座候  

丙寅二月五日  坂本龍 』

≪※文中、小は小松、西は西郷、老兄は木戸、龍は龍馬≫

いわゆる、この「裏書き」の一件で、桂を、「兄さん」と慕ってきた龍馬としては、

「男がチーッとばかし小せえのう」

と、興ざめした。

薩摩が裏切るとしたら、こんな紙切れ一枚では、済まないだろう。

桂は、剣術に優れて男前のわりには、肝が小さいと言われていたが、

ここ一番に地を出したのである。

≪慶応2年1月21日、龍馬立会いのもとに薩長両藩の盟約成立。

 桂小五郎が、龍馬に裏書を求めた。

 2月5日、朱で裏書をし大阪に居た小五郎に届けた≫

斜めから見ればつまらぬ人になる  杉本克子

拍手[3回]

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てのひらで地球を思いきり絞る  森中惠美子

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  薩長同盟の調印式の場

幕末当時の”薩長の敵対意識”は、

現代のわれわれの想像を、はるかに超越するほど、

凄まじいものだったと思われる。

敵対とはいえば、即座に頭に浮かぶのが、米ソの冷戦。

しかし、米・ソの場合は、あくまでも冷戦。

ところが、薩長の場合は、

実際に戦場でガチンコ勝負しているのだ。

特に、長州の”反薩摩感情”は、相当なものだったはず。

十二指腸にカギ裂きができるまで  井上一筒  

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       禁門の変

幕末の政争で、ことごとく前に立ちはだかり、

藩をこなごなにする直前まで、

長州を窮地に追いやった張本人が、薩摩でしたから・・・。

文久政変、「禁門の変」によって、

長州なりの正義とプライドは完全に打ち砕かれ、多くの人材も失った。

”犬猿の仲” などという代名詞だけでは、言いあらわし難い。

頂点の薩摩に、どん底の長州。

どう贔屓目に見ても、両藩が結びつく要素はなかった。

簡単に結びつくことを許さない、”感情の決裂”があったのは、

歴然としている。

昨日今日生まれたわけでない殺意  片岡加代

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高杉晋作と龍馬(同盟へ一歩前進)

慶応期の、両藩の圧倒的な政治的地位の格差などを、考慮すれば、

薩摩の援助なければ、

長州は何時つぶれても、おかしくはなかった。

その両者が、結びつくことは、まさに予想外のことだった。

目の前のビルは随分遠かった  井丸昌紀

もちろん、”犬猿の仲”の薩摩と長州の仲をとりもつのは、

並大抵のことではなかった。

龍馬も最初は、失敗している。

中岡慎太郎と連携し、龍馬は下関へ向かって、

長州の桂小五郎に薩長同盟の、構想と必要性を力説する。

慎太郎は、西郷隆盛に長州との会見の必要性を説き、

下関に向かわせた。

それがうまくいけば、

慶応元年(1865)5月21日に下関で薩長同盟は、結ばれるはずだったが・・・、

流産となる。

討幕にむけ、いずれ薩長は、結束する宿命にあったとは、思うものの、

下関へ向かうはずの西郷が、

政局の急変を理由に、京都へ向かってしまったのだ。

これで桂小五郎は、薩摩と西郷にたいし、さらに不信を抱くようになる。

不発弾ひとつかかえて旅に出る  早泉早人

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ここから、龍馬は発想を転換させる。

まずは、両者の経済提携からはじめようと考えたのだ。

この経済提携によって、長州が薩摩に対する態度を軟化させると、

龍馬は、政治交渉を斡旋しはじめる。

当初は、かたくなな態度だった長州だが、

しだいに、

「薩摩との交渉に応じてもいい」という姿勢になってくる。

経済提携が効いたのと、

長州をめぐる軍事事情が、一段と切迫してきたからだ。

峰打ちにしよう重荷を真っ二つに  宇治田志津子

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桂小五郎は京都に出向き、「薩摩屋敷」で西郷と交渉に入る。

そこまでお膳立てしたのだから、

龍馬は交渉成立と踏み、遅れて入京したところ、

「依然、交渉に入っていない」
 という現実を知る。

薩摩側は、桂を饗応するばかりで、交渉を始めようとしていなかった。

長州に頭を下げてまで、同盟を組みたくはなかったのだ。

この薩摩の態度に桂は憤激し、交渉はふたたび、

決裂寸前となった。

揺れている人のあたりが生臭い  籠島恵子

決裂の危機にあって、龍馬は、西郷を強烈に説得する。

「桂をはじめ長州が、いかに薩摩にたいして感情的になっているか、

 ここは薩摩側から、譲歩する必要がある」 

と、説くと、西郷も納得。

慶応2年(1866)1月、ついに薩摩と長州は薩長同盟を締結。

まさに、”奇蹟的大回天”を果たしたのである。

プライドを捨てぴったりの面の位置  山本芳男

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  ユニオン号(イメージ)

そして同年6月、”第二次長幕戦争”がはじまる。

関門海峡での攻防は、

長州にとって、重要な鍵をにぎる戦いであった。

対外的な窓口である下関を、幕府に押さえられてしまったら、

おそらく長州は、壊滅的な状況になってしまう。

この接戦の海の戦いに、

商社でもあり、独立海軍でもある、亀山社中がユニオン号(桜島丸)で、

長州を助けるべく参戦し、

長州を勝利に導く一役を買った。

まさに”龍馬の海軍”が、歴史を動かした瞬間だった。

鉛筆はあしたを待っていられない  大倉久子

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 長次郎の遺書と写真

『龍馬伝』・第35回ー「薩長同盟ぜよ」 あらすじ

龍馬(福山雅治)は、桂小五郎改め木戸貫治(谷原章介)が、

護衛にとつけた槍の達人・三吉慎蔵(筧利夫)とともに、京に向かう

その途中、大和屋へ寄った龍馬は、

お徳(酒井若菜)長次郎(大泉洋)を死なせてしまったことを詫び、

写真と遺書を渡す。

信用をされているから胃が痛む  森口美羽

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京に着いた龍馬たちだったが、

薩摩藩邸の周りに幕府方の隠密がいて、なかなか近付けない。

一橋慶喜(田中哲司)が、出兵しない薩摩に疑念を抱き、

不穏な動きはないか、探っていたのだ。

しかたなく、寺田屋を訪れた龍馬は、

お登勢(草刈民代)からお龍(真木よう子)が、

「自分に思いを寄せている」 と聞かされる。

お龍の想いを知った龍馬は、

「命の危険を冒して、日本を変える仕事に取り組んでいるから、もう会うことはない」

と告げる。

しぶしぶと 女は横糸をほどく  たむらあきこ 

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8月18日の政変以来、

反目しあっていた薩摩と長州の間に、

一筋のつながりが生まれた。

西郷(高橋克実)から手紙をもらった木戸(桂小五郎)は、

二藩の盟約交渉のため、京の薩摩藩邸を訪れる。

ついに、両藩のリーダーが、初めて顔を合わせることになったのだ。

薩摩と長州が手を結ぶということ。

それは、260年間続いてきた徳川の世に、反旗を翻そうという、

途方もない計画の第一歩だ。

あしたを引っぱる日付変更線  木村禮子

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彼らの交渉は、幕府には決して知られぬよう、

しかも迅速にすすめねばならない。

そこで木戸は、

「龍馬が来るまで話し合いを始めない」

と言い出す。

西郷は、問う。

「なぜ龍馬なのか」

ついこの間まで、敵対していた薩摩をおいそれと、信用することはできない。

「この話の立会人ちゅうのは、立場云々ではのう、

 何よりも信用できる人間でなくちゃなりません」

木戸の言葉に、西郷も納得する。
 
構想を練る真夜中の古時計  大倉久子

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同じ頃、藩の命令で薩摩の動きを探ろうと、

京に来ていた弥太郎(香川照之)は、龍馬と間違えられて、

新選組に捕えられ拷問を受けていた。

お龍の働きで、小松帯刀(滝藤賢一)邸に、西郷と木戸が移ったことを知り、

急ぎ向かう龍馬は、

途中、新選組から放り出された弥太郎を救う。

薩長を結びつける男として、

新選組や伏見奉行に追われ始めた龍馬だったが、

ついに「薩長の盟約」を結ぶことに成功する。

出来そうもないモットーが奇跡呼ぶ  坂下五男

拍手[9回]

大胆な脳が時代を切り開く  鳥居 宏

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亀山社中・名札(空所は近藤長次郎)

長崎で「亀山社中」を設立した慶応元年(1865)の9月、

龍馬は、土佐にいる姉の乙女に手紙を書いた。

その文面によると、

社員というべき仲間の人数は、20人ほどだったようだ。

龍馬のほかに、土佐出身者では

沢村惣乃丞、高松太郎、千屋寅之助、池内蔵太、新宮馬乃助、

石田英吉、中島作太郎、近藤長次郎 らがいた。

口笛を吹くと踵が浮かれだす  河津寅次郎

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沢村惣乃丞は、龍馬より先に脱藩しながら、

土佐勤皇党の武市半平太に現状を報告するため、いったん帰国し、

はじめて脱藩する龍馬に、同行した人物。

龍馬とともに勝海舟の門下生となり、

以後、龍馬と行動をともにした。

書き出してみる死ぬまでにしたい事  楠本充子

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千屋寅之助は、土佐の庄屋の三男として生まれ、

のちに土佐勤皇党に参加。

やはり、龍馬とともに勝海舟の弟子となり、龍馬と行動をともにした。

お龍の妹・君江の夫。

菅野覚兵衛の名でも知られる≫

これからを絵になる彩にしたふたり  中井アキ

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池内蔵太は、土佐勤皇党の結成に尽力するが、

武市半平太と路線が合わなくなり、

長州の桂小五郎らの主張に共鳴して脱藩、

長州の尊攘運動に参加する。

「禁門の変」に長州兵として出撃したあと、亀山社中に加わった。

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新宮馬乃助は、高知で河田小龍に師事して学問や絵を学んだあと、

江戸へ遊学。

そこで龍馬と知り合い、ともに海舟の門下生となった。

バイキングトマトキャベツの暴れ食い  倉 周三

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石田英吉は、土佐藩の医師の家庭に生まれ、医学を学んだ。

同郷の吉村寅太郎にしたがって、「天誅組」に参加。

大和挙兵で敗れたあとは、長州へ行き、禁門の変に参戦。

さらに、高杉晋作の奇兵隊創設にもかかわった。

龍馬との関わりは、亀山社中の創設のころ。

泣き笑い取り散かっている小骨  岩田多佳子

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中島作太郎は、土佐藩郷士の出身で、土佐勤皇党に参加。

ここで龍馬と知り合い、行動をともにする。

維新後には、政府の役人となり、

第一回衆議院議員選挙にも当選し、のちに、

初代・衆議院議長となった。

明日を唄うのど飴は買ってある  奥山晴生

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近藤長次郎は、龍馬の実家近くの饅頭屋の伜。

江戸に出て学問と砲術を学び、その優秀さを認められた。

神戸の海軍操練所で龍馬と知り合う。

社中で実績を認められつつも、イギリス留学の夢から覚めず、

間違いを犯し、家族や龍馬ら仲間を泣かせる、不幸な終を迎える。

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長次郎が家族宛に送った手紙

ぬくい手の仲間がいつもヘマをする  森中惠美子

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高松太郎は、龍馬の姉・千鶴の子で、龍馬にとっては甥にあたる。

19歳のとき、九州へ修業の旅に出て、旅先で半平太と出会う。

そして、土佐勤皇党に加盟し、尊攘運動をはじめるが、

叔父・龍馬の紹介で勝海舟の弟子となる。

海軍操練所で航海術を学び、その後、脱藩。

龍馬と行動をともにした。

≪明治維新後には、坂本家の養子となって家督を継ぎ「坂本直」(なお)と名乗った≫

新しい表札重い荷を背負う  森下鈴子

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坂本家一家・後列右から二人目が”坂本直”

「高松家について」

龍馬には、三人の姉がいた。

乙女については有名だが、

あとの二人については、あまり詳しく知られていない。

坂本家の長女は、千鶴(ちづ)といった。

龍馬が生まれたとき、19歳となっていた彼女は、

すでに安芸郡安田村の郷士・高松順蔵のもとへ、嫁いでいたとみられる。

少年のころの龍馬は、高松家を何度も訪れ、見晴らしのよい縁側で、

一日中、海を眺めて過ごしていたという。

温室の花は季節を忘れてる  森 廣子

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夫婦円満な高松家は、龍馬にとって、居心地がいい場所だったのだろう。

龍馬は、のちに京都伏見の船宿・寺田屋の居心地について、

手紙で、

「お国にて安田の順蔵さんの家にいるような・・・」 

と表現している。

また千鶴から、江戸修行中の龍馬宛に届いた手紙が、

一通残っている。

その中で千鶴は、

「じぶん二きを付んと、今ハきおつける人はいないぞよ」

≪自分に気をつけないと、今のお前には、気をつけてくれる人はいないのよ≫ 

と、母親のような優しさをみせている。

夕焼けの色ふるさとへ帰ろうか  杉本克子

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千鶴と順蔵の墓

その千鶴は、龍馬が脱藩する前年の文久元年(1861)、45歳で病死する。

のちに、千鶴の長男・太郎が龍馬の「海援隊」に参加。

士官として、長州藩船・”ユニオン号”を購入するなど活躍した。

明治4年(1871)、太郎は、

暗殺された龍馬の家督を継ぎ、朝廷から永世15人扶持を給せられ、

名前を「坂本直(なお)」と改めた。

千鶴は、長生きはしなかったが、よい家庭に恵まれ、

当時の女性としては、幸せな一生を送ったといえるだろう。

美味珍味尽くしたボクののり茶漬け  村岡義博

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   陸奥陽之助

社中の、上記・土佐人以外では、

龍馬が最も評価した紀州の陸奥陽之助(宗光)をはじめ、

越前や讃岐、因幡などの出身者もいた。

拍手[4回]

大階段降りる幸せ噛みしめる  安蘭けい

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これは、元・宝塚トップスター安蘭けいが、星組のトップのポジションを得て、

大劇場フィナーレの舞台で、初めて大階段を降りたときの感想です。

その安蘭けいが、この8月28,29両日、

世界遺産・薬師寺の薬師三尊像の目の前で、美声を聞かせてくれる。

(安蘭けいmeets・薬師寺三尊像「弦宴(いとのうたげ)」)

* 美声についての質問です。

Q, 「あなたの声は、大変魅力的ですが、自分で自分の声をどう思いますか?」

A, 「普段の話し声はあまり好きではありませんが、

   舞台で歌ったり台詞を言っているときの声は、

   それほどキライではないですね。 
(*'‐'*) ウフフフ♪

   よく周りの方から、『その声を与えてくれた両親に感謝しなさい』

と言われます。

一枚の絵に会いにゆく夏の午後  浜田さつき

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     薬師寺・金堂

このコンサートに先立つ会見で、安蘭けいは,

「歴史的建築物で歌えるなんて、めったにないチャンス。 光栄です。

 今年は舞台生活を始めて20年の節目の年でもあり、

 ”神様のギフトみたい”」

と、喜びを言葉に表していた。

そして、

「仏様の前で歌っていいのか不安もあったが・・・、

 如来様の優しい顔を見て、大丈夫と思った」 
 Ψ(`∀´)Ψウケケケ

と、弥勒如来像を見上げた。

モットーにきれいな言葉散りばめる  片山かずお

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        薬師寺・弥勒如来像と弥勒三尊像

* 安蘭けいへの質問が続く・・・。

Q, 「自分の前世について、考えたことがありますか?」

A, 「見ていただいたことがあります。

   そのときは、”平安時代の歌を歌う人だった”などと言われましたね」 (^w^) ぶぶぶ・・・

平安時代よりも時代は、少し遡ってしまいましたが、

この奈良の薬師寺コンサートでは、いろんな楽曲を、披露してくれるそうです。

きっと、如来像も三尊像も、安蘭けいの美しい声に、

うっとりと、聞き耳を立てられることでしょう。

皆様も、幻想的な空間で披露される特別なステージをぜひ!

ご覧になっては!?

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 熱唱する安蘭けい

弦楽のシャワーに心洗われる  宮前秀子

一方、龍馬伝・近藤長次郎は、

「サムライとして生きる」 夢を追いかけながら、

一歩一歩大階段を登りかけていたのですが、途中の踊り場で、

足を踏み外してしまうことになります。

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「童門冬二が語る近藤長次郎」

長次郎は、東洋系の人物か近藤長次郎は”まんじゅう屋長次郎”とよばれました。

生家が和菓子屋だったからです。

こどもの時から、学問が好きだったそうです。

その師弟関係をしらべて見て、改めてビックリしたことがあります。

長次郎が学んだ師は、

河田小龍・甲藤市三郎・岩崎弥太郎・安積艮斎・勝海舟などです。

この流れをみていると、いくつか考えさせられることがあります。

部屋にある親方衆の徳俵  ふじのひろし

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それは、

河田小龍と甲藤市三郎は、ともに吉田東洋を敬愛し、

その影響を強く受けていたこと。 

岩崎弥太郎は、もともとすぐれた漢学者・漢詩人であって、

生地井ノ口村では、地域振興につくした指導者であったこと。 

その岩崎は、東洋の甥である後藤象二郎を通じて、

東洋に愛され、その指導を受けていたこと。 

長次郎が、江戸で学んだ安積艮斎は、

かつて岩崎の師であり、岩崎の紹介によって長次郎が入門出来たこと 

岩崎は、高知郊外で学塾をひらいており、

長次郎が入門したころは、池内蔵太が門人として在籍していたこと。

羽ばたくつもり一本の樹に登る  高島啓子

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なにが言いたいか、といえば、

近藤長次郎といえばすぐ、「龍馬ピッタリの人間」 と考えられがちです。

おそらく長次郎が、龍馬と出会ったのは、河田小龍のところでしょう。

しかしそれまで長次郎が、辿ってきた過去を考えると、

彼は、「龍馬系」の人物と考えるよりは、

むしろ、「吉田東洋系の人物」 と考えた方がいいのではないか、と思えます。

そしてこのことが、

彼が切腹する破目におちいった「独断密航事件」 に対する、

長次郎の考えに、つながるような気がします。

花道は別れことばの長さほど  森中惠美子

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つまり亀山社中に身をおいても、

長次郎は、「自己の独立性と主体性」を確保し、

そのことがさらに「人間的自由」を呼びおこして、

イギリスへの留学を思い立たせるのです。

はっきり言えば、

「そういう自由を認め合うのが、亀山社中の理念ではないのか?」

と、考えたかもしれません。

のちに海援隊に発展する亀山社中は、長次郎にとって、

”自由人(脱藩者)の集団”  ”たがいの能力を尊重しあう集団”  

だと考えていた、かもしれません。

くしかつの串に呼ばれて出て行った  井上一筒

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『龍馬伝』・第34回-「侍、長次郎」 あらすじ

ユニオン号を下関に運んだ龍馬(福山雅治)たちだったが、

船の運航は、亀山社中が行い、

「社中や薩摩藩が、自由に使える」 という約束を、

近藤長次郎(大泉洋)井上聞多(加藤虎ノ介)が、していたことが問題になる。

龍馬は、「薩長を結びつけることを優先しよう」 と、

船の管理は、長州がすることで話をまとめる。

長次郎は、社中の生活費用を、現実にやりくりしてきたので、

社中が動かせる船を、持ちたいと思ってしたことだった。

すぐ下にマグマあるのに未来論  岡田陽一

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失意の長次郎は、長崎に戻るが、

社中のメンバーに、私欲に走ったと責められる。
 
長次郎は、グラバー(ティム)からイギリスへの密航、留学を勧められ、

「社中での居場所がない」 と思った長次郎は密航を決心。

しかしその晩、海が荒れ船は出港できなかった。

密航の情報が奉行所に入り、社中に調べが入る。
 
軽石でこすって落とす今日の罪  種田淑子

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龍馬は、再び薩摩と向かい合う気になった桂小五郎(谷原章介)とともに、

西郷の待つ京へ向かおうとする。

そんな龍馬に高杉晋作(伊勢谷友介)は、ピストルを贈る。

長次郎が密航を企て、奉行所に追われている、という手紙を受け取った龍馬は、

桂を先に京へ向かわせ、長崎へ。

しかし追い詰められた長次郎は・・・。

沈黙を買いに行く万札のシワ  山口ろっぱ

拍手[7回]

我が人生一ミリたりと悔いはなし  水夏希

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18年間慣れ親しんだ宝塚大劇場から「サヨナラ」する、

宝塚雪組トップスター・水夏希が、千秋楽を迎えた大劇場・最後の大階段を、

”男役の正装”黒のタキシードで降り立ち、

「情熱のすべてを傾け、命を削って舞台を務めてきました。

 1ミリたりとも悔いはありません」

とあいさつをした。

襟芯を明日に向けて立てている  田井中藤重

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 亀山社中のユニホーム姿

「亀山社中の初仕事」

恩師の勝海舟から、「カンパニー」という言葉を聞き覚えていた龍馬は、

長崎の亀山を本拠に活動するカンパニーを作り、

『亀山社中』と名付けた。

亀山は、もともと”亀山焼き”という焼き物を製造していた町で、

それを作る人や、仕入れに来る人たちで賑わっていた。

亀山周辺には、民家が寄り集まり、

亀山社中が本拠を置くには、優れた環境にあった。

B面に賭ける男の靴の底  菱木淳一

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      亀山焼窯跡

新撰組や土佐勤皇党、奇兵隊など、

時代を反映した軍事組織が多い中で、

龍馬は、”商取引を主な目的とする”画期的な亀山社中を、

長崎・亀山で結成し、

要請があれば、軍事行動にも参加するという、

フレキシブルな組織として、動き始めたのである。

エンデバーから太平洋に糸垂らす  杉山ひさゆき

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亀山社中記念館(ここで初仕事を待った)

しかし、待てども客は来ない。

社中の面々は、

とりあえず「塩でも売らんかな」と、その準備に取り掛かった。

「初仕事」に備えて社内会議を開き、

社員の中から、”ユニフォーム”も必要だとの意見があり、

龍馬は、白地の袴をあつらえて、社中の制服とする。

社旗もいるというので、”布切れに朱で三本線を入れ、社旗とした”。

人材も元・海軍操練所のエキスパートで固めている。

蒸気汽船の操作、経理、語学、法規の熟知など、

社中としての準備は整った。

お揃いを着ると妬心が目をさまし  志水剣人 

ところで袴といえば、黒灰色か藍色が主流である。

白地に身をまとった男たちが、

長崎の町中をぞろぞろと練り歩く姿は、

一種奇異であったが、これが目立ち宣伝活動に役立った。

「社中の白袴」と呼ばれて、

あっという間に、長崎名物までになり、

このあたりから、ボツボツ仕事が入り始める。

歯を磨きながらみつけた妥協点  荻原鹿声

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    これは海援隊旗

当初、総勢7人の組織であった。

社中の設立資金は、薩摩に顔の利く龍馬の一声で決定した。

小規模ながら「カンパニー」の形は整った。

”果報は寝て待て”とばかり、皆が社中の本陣で、ごろ寝していると、

遠くから騎馬隊の近づく気配がした。

日に一度こむらがえりを確かめる  山本トラ夫

「もしや賊では」と、

龍馬ら7人は刀の柄に手をやり、立ち上がったが、

馬上の人の陣笠には、丸十字くつわ紋が見える。

長崎の薩摩藩邸からの伝令で、4人の薩摩藩士が駆けつけたのであった。

その一人、家老の小松帯刀によれば、

「薩摩藩は、蒸気船を手にいれもうした。

 長崎から鹿児島までの回航を、よろしゅうお頼みもうす。

 こい蒸気船引くには、薩摩の細腕ではこたえもす。

 ちーっと引いてきてやんせ」

と言う。

カーブを曲がりきったら四次元が見える  本田洋子

「おやすい御用じゃ。やってみんしょ」

となり、本格的な仕事を始めることとなった。

7人は、神戸の海軍操練所で、航海術を磨いてきたプロ集団である。

お手の物であったが、回航料を聞いて驚いた。

6万両支払うというのである。

この程度なら、500両が相場というもの。

ケタ外れの金額であるが、

龍馬は、「社中へのテコ入れである」と直感した。

こうして亀山社中は、一気に組織の体力をつけていく。

コツひとつ摑んだ独楽がよく回る  竹森雀舎

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水夏希と愛原実花のラストステージ

トップの文につづく挨拶で、水夏希は、以前から決めていた通り、

涙もなく、

「下級生のころは広くて怖かった大劇場が、今日は狭く感じました。

 いろいろわがままも聞いてもらったし、やりたい事もすべてやらせてもらいました。

 おかげさまで、本当にたくさんの夢をかなえることができました」

と一点の曇りもない笑顔を浮かべながら言葉をつづけた。

そして、水夏希と同時に退団する故・つかこうへい氏の愛娘・愛原実花は、

「自分の信ずる道を、まっすぐに歩くことの大切さを宝塚から、教えていただきました。

 水さんの相手役でいられたこと、本当に幸せに思っています」

いまにも溢れそうな涙をおさえ、別れのあいさつ。

そこには、ひとつの仕事をやり終えた、達成感を感じさせた。

一抜けてすっかり溶けた肩の芯  岡田陽一

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大浦慶も加わり、グラバー、龍馬商談

『龍馬伝』・第33回-「亀山社中の大仕事」 あらすじ

「長州の船と武器を、薩摩の名義で購入する」

という龍馬(福山雅治)の策に、

桂小五郎(谷原章介)高杉晋作(伊勢谷友介)は、乗ることにする。

長崎に戻った龍馬は、

”亀山社中の初仕事”として意気込み、

グラバー(ティム)に、長州のための取引だと隠して、

薩摩の船購入の話をもちかけるが、

交渉の場に薩摩の者がいないことにグラバーは、疑念を抱き断る。

ゲジゲジがゴルフシューズを買いにきた 井上一筒

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 グラバー邸・客間(接待の間)

西郷吉之助(高橋克実)は、幕府を警戒して、

この取引を、龍馬たちだけで行わせたのだ。

龍馬は、正々堂々と頼もうとグラバー邸に乗り込み、

この話が、長州の払いであることを告げ、

もうけ話をかぎつけた慶(余貴美子)の口添えもあって、

グラバーは承諾する。
 
てのひらに自分の庭を持っている  佐藤幸子

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龍馬は、お元(蒼井優)が、グラバー邸で、

キリストの絵に十字をきる姿を見てしまう。

龍馬はグラバーとの商談を、長次郎(大泉洋)惣之丞(要潤)に任せる。

イギリスに留学していた長州の伊藤俊輔(尾上寛之)井上聞多(加藤虎ノ介)

グラバーの話を聞くうちに、

長次郎は自分も、

「いつかイギリスに行きたい」

と思うようになるのだった。

長次郎の活躍で、商談はまとまったが、お元に知られてしまう。

お元は龍馬に、自分がキリシタンであることを、黙っておいてもらう代わりに、

「この商談を長崎奉行に伝えない」

という取引を持ちかける。

脳天をがちゃんとそれからのご縁  増田佐代子

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