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川柳的逍遥 人の世の一家言
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君の余白を微笑で埋めてやる  中井アキ

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龍馬”亀山社中”を結成した直接的な動機として、

動揺する幕藩体制下で、脱藩などして失業した者を雇用し、

彼らと、協力体制を組むことにより、

幕末に活動する志士が、経済的に自立することにあった。

そういう現実の生活問題を抱えて、社中は結成されたのである。

羽ばたけと迷う背中を押してやり  石橋直子

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「本藩(土佐藩)を脱する者、他藩を脱する者、海外の志ある者は、

社中の社員になる資格があり、任務についてもらえれば、給金が支給される」

という触れ込みだったから、

脱藩などして、

俸禄がもらえなくなった浪士などが、集まってきた。

藩の財政は、どこも大赤字だったから、

いったん脱藩などすると、永久追放もので、

「待ってました」

とばかり俸を切られた。

自立自営を貫く亀山社中の売り上げは、幕末の志士でもある隊員にとって、

唯一の行動資金であり、生活源となった。

血を流す傷ならすぐに直るはず  居谷真理子

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        島 原

ところで京では、志士を名のるものが無数乗り込んできた。

しかし、志を立てる以前に、カネがない。

京が朝廷のお膝下という、京に乗り込むそれなりの理由もあったが、

倒幕の志士へ、資金的肩入れをする商人が、数多くいたからである。

それに祇園の女将は、志士に好意的で、

もてなしたり、かくまったりと、

安逸な別世界の魅力が京にはあって、

殺伐とした世の中ではあったが、

「起きて語るは天下の政、酔うて眠るは美人の膝」

などと呑気なことを言って、”祇園界隈”を遊びまわる者が多かった。

ボージョレと肩を組んだり笑ったり  立蔵信子

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しかし龍馬は、そのような志士のあり方に、批判的で、

「商人にたかったり、ゆする志士は人語に落ちる」 

と考えていた。

そのような壮士くずれの志士が、

京で暴れ、「御用改め」 と這いまわる新撰組や京都見廻組に、

志士狩りの口実を与えた。

心臓のゴムが弛んだままである  井上一筒

志士の脱落は、京の治安をいっそう悪くしていた。

その原因に、経済的な問題があれば、

それを解決しないことには、志士として十分に活動ができない、

龍馬は脱藩した志士など、

経済的に困窮するものが寄り集まって、「利」を収める行動を起こし、

「その『利』をもって、政治的な行動に資するべきだ」 

と考えていたのである。

仲間から尊敬される塵になれ  嶋澤喜八郎

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龍馬は、次のように語っている。

「とかく一匹狼になりがちな志士の行動力には、限界があるぜよ。

 こんワシみたいに、脱藩した志士には後ろ盾がないんじゃ。

 飯も食わねばならんが、口も利かんとならん。

 たとえば、薩長の間に立って口を聞くにも、組織を後ろに置いとったほうが、

 ”話をまとめやすい”と思うところがあってのう。

 ワシみたいな浪士には、社中みたいな組織が、いると思うたぜよ。

 志を抱くのは立派だが、現実に志だけでは、生きていけんでのう。

 志士といえども、そういう現実の問題を避けて通るんは、

 チクと難しいちゅうもんぜよ。

 同じ志を持ったモンたちが、寄り集まり、

 資金的にも、独立できるようになれば、

 もっと、大きな仕事ができる、とワシは考えた。

 『西洋には、カンパニーちゅう共同体があって、利を稼ぎ、利の分配がなされとる』

 と勝先生は言っておった。

 亀山社中は現実をみながら、

 そういう理想を描いて動き出したカンパニーなんじゃ」 

と。

軽快なフットワークにある自身  植野保宏

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幕末社会におかれた、脱藩志士たる自分の位置づけを、見つめ直したとき、

龍馬の頭には、

師・勝海舟から聞き覚えた「カンパニー」の構想が浮かんだ。

「日本でも西洋の会社を」 

と決心したのである。

龍馬は、咸臨丸でアメリカに渡ってきた恩師・海舟から、

アメリカにはリンカーンという将軍がおって、人はみんな平等だと主張し、

 対立する軍隊に勝ったそうな」

と聞かされ、

「こんワシも、日本のリンカーンになろうかな」

と考えた。

この時に、龍馬の「理想の原点」が生まれたのである。

ひらめきを磨くと明日へ陽がのぼる  村上比呂秋

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茶目っ気なボスでみんなに慕われる 桑田砂輝守

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     海援隊約規

〔龍馬、海援隊への道〕

”我もはや、世をすてん 鈴鹿山、またなりいずる 世にしあらねば”

≪これは、勝海舟が神戸に海軍操練所を立ち上げて2年後のこと、

幕府からの更迭に合い、操練所にかかえた坂本龍馬以下脱藩者との、

板挟みの心境を詠んだものである≫

取り残された彼ら‘元学徒‘は、

就くべき職も無く、放り出されてしまったわけで、

「それなら俺がなんとか、勝先生のためにも、日本の洗濯をしちゃる」

と、龍馬が一肌脱いで、営利を目的に動く、

「『亀山社中』を組織しよう」 と、立ち上がった。

社中を立てるにあたって、出資はとりあえず薩摩藩に仰ぎ、

社中が稼ぎ出した「利」は分配し、

社員の月収は、全員三両二分とした。 ≪当時の武士の平均月収≫

かしら分の龍馬も、同額である。

五線譜にひらめくものをちりばめる  山本希久子

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   海援隊約規文面
 
いまから140年も前に、現代の総合商社に通ずる特質を、

「亀山社中」は備えて誕生した。

仲介料で儲かった亀山社中は、独立採算のメドがつき、

これを機会に後藤象二郎の薦めもあって、

『海援隊』へと名称を変えるのである。

そして、このさい社中は、後藤から一万両を融通してもらい、

順風満帆の勢いで、龍馬は約款までつくり、

「これで薩摩の紐付きにならんで済むのう」 

と、海援隊の誕生を祝った。

武士の1分にメンソレータム塗っておく 竹下くんじろう

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近藤勇が狙っているとも知らず、寝入る龍馬

龍馬は、175cmほどもある当時としては、見上げるような大男である。

大男は、剣術に秀でるものが多く、

龍馬は、北辰一刀流長刀兵法の免許皆伝を授かっていた。

しかし、長刀とは薙刀のことで、なぜ薙刀を志したのか・・・? 

疑問であるが、

千葉道場の塾頭を務めたわりには、さして武勇伝は伝わってこない。

平凡な顔で無難に生きている  興津幸代

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人の3倍も努力したという龍馬だが、

むしろ剣術は苦手で、千葉道場でも人柄の方が光った。

「茫洋として雄大、天衣無縫」 というのが、

龍馬の人となりを評価する、決まり文句で、

その大らかさが亀山社中にあっても、社員をひきつけ、

組織をまとめる男の魅力であり、

剣よりも人との和合、

剣術よりも商術に、大いに発揮されたようである。

京都駅の雨 龍馬の咳払い  井上一筒

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『龍馬伝」・第32回-「狙われた龍馬」 あらすじ

下関に来なかった西郷(高橋克実)を追って、

龍馬(福山雅治)中岡(上川隆也)は京の薩摩邸を訪れるが、

西郷からは面会を断られてしまう。

折りしも京では新選組による殺戮が繰り返され、

ますます物騒に・・・。

2人は人目につかないよう、別々の宿に泊まることに決める。

走過ぎる時代に浴びた水しぶき  石川憲政

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 お龍をくどく近藤勇

久しぶりに、伏見の寺田屋を訪れた龍馬。

そこには、なんと新選組の近藤勇(原田泰造)が来ていた。

お龍(真木よう子)目当ての近藤は、しばしば寺田屋を訪れては、

彼女に酒の相手をさせていたのだ。

それを聞いた龍馬は、身の危険を顧みず近藤のいる部屋へ。

自分の素性を隠すため、薩摩藩士を装いながら、

近藤を泥酔させてしまう。

近藤は、幼なじみの以蔵を襲い、

池田屋事件では亀弥太を死に追いやった憎き相手。

眠りこける近藤を前に、刀に手をかける龍馬だったが・・・、

どうにか思いとどまる。

一大事明日がどこにも見当たらぬ  岩田多佳子

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そして明け方、目を覚ました近藤は先ほどの薩摩藩士が、

以前、以蔵を逃がした龍馬であったことに気づく。

お登勢(草刈民代)は、

「龍馬はもうたった」
 と、うそを言い、

必死に龍馬をかくまおうとするが、

近藤には全く通じず、龍馬の寝込みを襲いにいく・・・。

しかし、龍馬を追って江戸から寺田屋を訪れていた、

千葉道場の当主である重太郎(渡辺いっけい)が、加勢するのを見て、

その場を去る。

重太郎は、妹・佐那の思いのために、龍馬に会いにきたのだが、

お登勢とお龍の会話から、

龍馬が、”日本を変える” という大きな仕事に邁進していること。

そして、お龍の龍馬への気持ちにも気づき、

黙って江戸へと帰っていく。

その意見虫に刺された跡がある  西田斎柳

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やがて、西郷と会うことが出来た龍馬は、

西郷が下関を通り過ぎたのは、

「幕府の隠密により偵察されていたからだ」
 と知る。、

いっそう険悪な関係になってしまった”薩摩と長州”を、再び結びつけるため、

龍馬は、思いもかけない策を、西郷に提案する。

それは幕府の目が光っていて武器を、購入できない長州のために、

薩摩藩の名義で、武器を購入するという奇策だった。

ベジタリアンと知りすき焼きに誘う  中村幸彦

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時計の音する時計のない部屋で  岩田多佳子

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        ユニオン号

神戸操練所の元学徒は、天下の勝海舟に学んだだけあって、

それぞれが実践的な知識と技術を身につけ、

とりわけ航海術はお手のものであった。

龍馬が蒸気船を「俺の足」に、日本を走り回れた理由である。

亀山社中は『ユニオン号』という、蒸気船を買い入れるが、

これによって、龍馬および亀山社中の行動半径は、著しく拡大した。

「情報の先取りは、時代の先取りじゃきに、チーッとばかし金はかかったが、

 新式の蒸気船を買うことにしたぜよ。

 なにせ日本全国、はよう着くのがええ。

 海には面倒な関所もないしのう」

と、いうわけであった。

滝どどど君は力をつけました  山本義子

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    亀山社中

風雲急を告げる幕末である。

陸路の三分一で、目的地に着ける蒸気船の運用は、

勝負に差をつけ、情報の先取りに欠かせない手段となった。

≪組織に”先端機器”を導入し、その試みは成功したのである。

 そういう好条件も重なって、亀山社中は幕末には稀な会社組織として固まっていく≫

亀山社中の取り扱う物品は、武器、洋服から米まで、その品目は多岐にわたった。

しかし、時勢が時勢だけに、社中の取り扱い商品は洋式武器が主体で、

アメリカ南北戦争が終わったために、

不要となった銃器が、グラバー商会によって長崎に運び込まれ、

社中がそれを仲介し、顧客に引き渡す窓口になった。

社中の「利」は武器を仲介するマージンで稼ぎ出した。

顧客は長州である。

縦糸が進行形で戦好き  山口ろっぱ

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      高杉晋作

龍馬は、長州が幕府の第二次征長戦に備えて、

大量の新式銃を欲しがっているのを情報として、つかんでいた。

第一次征長戦では、長州藩が大敗して幕府に頭を下げた。

しかし、高杉晋作は、

「幕府に媚びた長州藩の態度は間違っている」 と大いに怒り、

みずから奇兵隊を率いて、幕府に決戦を挑もうとしていたのだ。

「この怒りは本物だ」 と悟った龍馬は、

どうにかしてアメリカ直輸入の武器購入を仲介しようとした。

ところが、幕府管轄が及ぶ長崎で、

長州者が堂々と、武器を買い付けるわけにはいかない。

手も足も借りて見事に今日が過ぎ  高橋はるか

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     坂本龍馬

龍馬は貪欲なまでに、これまで築いてきた人脈と、社中の機動力を利用した。

社中の大株主は、薩摩藩である。

そこで龍馬が考えついた案は、西郷隆盛に話をつけ、

薩摩藩名義で武器を購入させて、長州に引き渡すというものであった。

しかし、薩摩藩と長州藩は、”犬猿の仲”、

禁門の変では、久坂玄瑞ら長州を代表する志士が多数、

薩摩藩と結託した幕府軍に斬られた。

「薩摩は賊」と、敵愾心を露にしている長州と薩摩を、

結びあわせようとする龍馬の奇策には、西郷がもっと驚いた。

包丁を三日三晩も研いでいる  谷垣郁郎

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       桂小五郎

龍馬は一方で、

感情の高ぶっている高杉との接触は控えて、

長州藩の桂小五郎を口説き、馬関で、西郷と会談させる手筈を整えた。

ところが西郷は、長州を恐れてか、姿を現さなかったのである。

西郷の言い訳は、

「大久保どん(利通)からすぐ上洛せよと言われもうした」 

であった。

タヌキ寝かどうかボールペンでつつく  井上一筒

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長州はカンカンに怒り、西郷の心はつかめない。

絵空事に終わる”薩長同盟”と、思わざるを得ない状況にあって、

龍馬の胸中には、次の秘策が浮上していた。

「利」の効用に、目を付けたのである。

「利」の効用を使うはといっても、目的にかなう有効な手段とはならない。

長州藩は武器を欲しがっているが、

では、

薩摩藩は何が欲しいのか?

龍馬は、そこを亀山社中の情報収集力を使って、探ったのである。

一杯の水戦略を立て直す  中上千代子

その結果龍馬は、薩摩藩が「米」を欲しがっている事実をつかんだ。

藩は他藩に、自藩の食品を回すことはなかった。

軍事的なバランスが崩れるからである。

しかし、「そこはなんとか、俺が」 と、

掛け合うのが、龍馬の根性である。

龍馬の目の付け所は、的確であった。

長州が薩摩名義を借りて、武器を購入してもらう代わりに、

長州は薩摩に、自藩の米を贈ることで、めでたく話がまとまったのである。

背面跳びようやく空と向きあえる  兵頭全郎

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伊藤俊輔と井上聞多は、長州の代表として長崎に赴き、

亀山社中立会いのもとに、

薩摩名義でグラバーから、7700挺の洋式武器を買い入れてくる。

むろん表向きは、薩摩藩が武器を購入したことになり、

薩摩藩と手を組んできた幕府は、

当然のごとく、薩摩藩の軍備増強と思い込んでいた。

しかし思い違いとはこのことで、

7700挺もの南北戦争払い下げの新鋭武器は、

亀山社中の蒸気船で海路、長州馬関へ運ばれ、奇兵隊に横流しされた。

≪奇兵隊は迫る幕府戦に自信をつけ、薩摩は大量の米を贈られて喜び、

 亀山社中は仲介料で大儲けした≫

我が底をさ迷う虫をいとおしむ  松井美津子

武器の売買となれば、

幕府への気遣いから、売りを遠慮する外国商人の多い中で、

グラバーには、先見の明があった。

長州へ支払い条件を立て、

「米か絹でよい。そのなかに小判が交じっておればなお良い」

とした。

奇兵隊への支援を、約束したのである。

そのグラバーへ話をもっていった龍馬もまた、先見の明があった。

当時、善悪いろいろな商社がひしめきあい、

グラバー商会だけが、通商の窓口ではなかったからである。

龍馬のビジネスを通じて、薩摩と長州とのわだかまりは、溶けていく。

五円玉の穴満天の星が湧く  竹下くんじろう
 

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流れゆく雲に問いたいことばかり  山口ヨシエ

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「初見三献の礼(しょけんさんこんのれい)」というのが、

坂本龍馬の率いる”海援隊”では、慣習となっていた。

”これはどういう慣わしか” と言えば、

入隊した新人とか初対面の者に、まず、酒を3杯飲ませて、

座が白けないようにしたのである。

また、酒席に遅れてきた者にも、三杯飲ませた。

≪「駆けつけ三杯」の慣わしはここから始まった。

 すなわち、”かけつけ三杯”の元祖は、海援隊ということになる≫

これが人気で、ブームを引き起こし、

初見三献の礼は、酒席に加わる一般の儀式として、全国に広まった。

笑う癖泣く癖酒はおもしろい  倉益一瑤

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   料亭・花月

幕末の志士たちには、たいてい行きつけの料亭があった。

飲食の代金を、藩に回すためであったが、

密談にも、そのほうが良かったからである。

というわけで、「まあまあ三杯」とやる酒宴が、

どこの料亭でも、見受けられるようになった。

海援隊が酒席を開くには、もうひとうの慣習があって、

それを「論決饗宴」と言い、

議論を戦わせて、”一仕事終えた後”に飲んだのだ。

決して飲みながら、仕事の話を持ち出したのではなかった。

≪しらふで仕事をしてからの一杯は、さぞ旨かっただろう≫

ありのまま素顔を見せる芸もある  大前安子

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       芸妓たち

そして、「酒宴は盛大にやるのがいい」、とされた。

芸妓、太鼓持ちを左右にはべらせ、その数50人ほどを集め、

大判振る舞いをする。

威勢のよい酒宴を開くことで、

龍馬ら海援隊の一団は、勢いを誇示したのである。

”女を遠ざけ、鮎の塩焼きで閑酌する” ような藩などは、

しょせん維新に用をなさない、弱小の藩とみられていた。

海援隊は、藩の組織ではないが、

長崎・丸山の料亭・「花月」をなじみとし、

なかでも、陸奥宗光の遊蕩ぶりは、箔がつくほどであったらしい。

幸せはあいつと呼べる友がいる  撰 喜子

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   丸山界隈

『長崎・丸山』

江戸時代、幕府公認の遊郭は、全国で四ヶ所あった。

「江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町、そして長崎の丸山」 である。

塀と土塀に囲まれ、少なくない遊女が、

その内部で一生を終えた、吉原や島原とは異なり、

丸山遊郭には、比較的解放的な雰囲気が漂っていたという。

その理由は、当時の長崎がもつ、特殊な環境にあった、といえるだろう。

龍馬伝土佐は鰹とニンニクと  奥山晴生

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「丸山遊郭」の成立は、寛永16年(1639)頃のことで、

江戸幕府が、鎖国を実施する直前の時期にあたる。

鎖国によって、長崎市内のオランダ人や唐人は、一ヶ所に集められ、

丸山の遊女たちは、日本人に加えて、

外国人の遊び相手をも、務めるようになった。

外国人たちは、出島や唐人屋敷から出られないため、

必然的に、遊女たちは外出して、彼らの元へ出向くことになる。

流れにはもう逆らえぬわたしの艪  飛永ふりこ

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おもと

遊女たちは、

「日本人対象、オランダ人対象、中国人対象」、にそれぞれ分けられており、

多いときには数百人の遊女が、丸山に在籍していたという。

≪ちなみに、幕末の日本の医学・自然科学に大きな影響を与えた。

 ドイツ医師・シーボルトの日本妻も、丸山の遊女(お滝)である≫

アイライン猫に好かれるように描く  井上一筒

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開放的な”丸山遊郭”は、幕末の志士からも愛された。

長州の高杉晋作などは、三千両もの藩費を渡されて、

洋行に出発する前に、遊郭で遊び続け、

井上聞多が調達した渡航費用をすべて、遣いきったといわれている。

この時の高杉は、下関と丸山の花街をはしごして、遊んでおり、

彼の豪快さが想像できる。

富士山を担保に何を借りようか  青木公輔

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    花月のなかの様子

いっぽう、亀山社中を組織して、長崎に拠点をおいた龍馬と、

丸山遊郭の縁も浅くなかった。

龍馬は、遊女をあまり好まなかったらしいが、

当時の習慣として、花街に遊んでいた。

丸山の料亭「花月」には、

龍馬が酔って、斬りつけたとされる刀傷が残っている。

≪ちなみに、花月のあった場所にはかって「引田屋」という一流の妓楼があり、

 シーボルトの妻も、この店で働いていた≫

一癖も二癖もある人間味  山岡冨美子

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『龍馬伝』・第31回-「西郷はまだか」 あらすじ

龍馬(福山雅治)、西郷吉之助(高橋克実)から、

「長州と手を結んでもよい」 

という答えを引き出す。

龍馬は、高杉晋作(伊勢谷友介)に会うために、

陸奥陽之助(平岡祐太)とともに、太宰府に向け旅立つ。

太宰府には、都を追われた三条実美(池内万作)ら攘夷(じょうい)派の、

公家たちが、幽閉されていた。

雨降りはあしたのための骨休め  河田みどり

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龍馬らが太宰府に着くと、すでに高杉は去ったあとだった。

三条たちを警護していたのは、

かつて、土佐勤王党にいた中岡慎太郎(上川隆也)だった。

龍馬は、薩摩と長州を結びつけ、

「新しい世の中の仕組みを作りたい」 

ということを、三条と中岡に話す。

中岡もまた、龍馬と同じように、長州と薩摩が手を組めば、

幕府を上回る勢力になると考えていた。

中岡は、「下関に西郷を連れていく」

と約束して薩摩に向かう。

ちゃんと話せば分かってくれたお月さま 太田芙美代

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一方、龍馬と陸奥は、下関に向かい、桂小五郎(谷原章介)に再会。

龍馬は、桂に、

「長州と薩摩が手を結ぶことが、長州藩そして、日本を異国から守る最善の方法だ」

と説く。

龍馬の必死の説得により、

桂は、下関で西郷が来るのを待つことにする。

一方、中岡もようやく、西郷を連れて下関へと出発するが、

二人を乗せた船には、幕府の隠密が潜んでいた・・・。

≪ラストシーンで、中岡慎太郎を演じる上川隆也のお芝居が必見とか!

 中岡慎太郎の熱血ぶりが、さく裂するそーです≫

この国の未来を憂うドライアイ  木下草風

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諸行無常の水吸って夏椿  山本早苗

「神戸海軍操練所がスタート直後に頓挫して」

事実上、閉鎖されると、龍馬らは海舟の計らいで、薩摩藩邸にかくまってもらった。

しかし、人生とは皮肉なもので、

この一連の出来事が、龍馬にとっては幸いすることになった。

≪予定より早く、夢であった海運業をおこすチャンスが、めぐってきたからである≫

アットマーク付けて異次元巡らせる  美馬りゅうこ

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    長崎唐船

龍馬は、約20人の仲間と、大坂の薩摩藩邸に潜んでいたが、

慶応元年(1865)4月25日に、藩邸を出発。

薩摩藩の西郷隆盛、小松帯刀、大山彦八らと、薩摩藩船の胡蝶丸に乗り込み、

瀬戸内海を経て、5月1日に、鹿児島に着いた。

鹿児島に10日間ほど滞在したあと、龍馬らは、帯刀と長崎に向かっている。

無印の無色気軽にとんでいる  小山紀乃

幕末の長崎は、日本の国内外の人・モノ・情報が集まる町だった。

特に、政治情勢が日々変わる幕末において、

正確な情報をいかに早く入手するかは、

幕府や藩の命運を、左右するほど大切なことだった。

薩摩藩や長州藩など、西日本の各藩が蔵屋敷をおいており、

かつ多くの人々が情報を求めて、全国から集まっていた。

≪龍馬もここで、最新の情報を収集し、政治活動などに役立てたのである≫

アンパンに昔の知恵が詰まってる  泉水冴子

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     グラバー邸

龍馬の長崎への旅は、帯刀がイギリス商人・トーマス・グラバーから、

新しい蒸気船を購入する交渉に、同行したのだが、

その最中、龍馬の夢である”海運業”をおこすという話が、

とんとん拍子に進んでいった。

そして、薩摩藩と海舟の知人でもある長崎の豪商・小曾根家の資金提供によって、

龍馬は、「亀山社中」の設立を実現する。

亀山社中の目的は、

表向きには海運業で、

グラバー商会などの西洋商人から、購入した武器や物資を、

薩摩藩などへ輸送する事業を営むことである。

付け替えてみる右耳と左耳  井上一筒

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    夏椿(さらの木)

しかし、龍馬の真の目的は、

薩摩名義で購入した武器類を、長州藩に提供することにより、

「薩長両藩の橋渡しを行なう」ことにあった。

当時、朝廷と幕府の共通の敵であった長州は、

幕府の攻撃を目の前にして、武器や弾薬の調達を、急務としていた。

ところが長州は、経済活動を制限されていたので、

龍馬は、武器の購入や輸送を受け持つ亀山社中を通して、

薩摩に窮地の長州を助けさせ、

両藩の結びつきを、深めようとしたのだ。

『豆辞典・「沙羅双樹」』

≪釈迦が沙羅林の中で涅槃に入ったときに、東西南北の四方に、

それぞれ2本の沙羅の木があったとされている。

釈迦が涅槃に入るや、四方の双樹は、それぞれ一樹となり、林を覆い白くなって枯れた。

東西南北の双樹は、それぞれ「常と無常」、「我と無我」、「楽と無楽」、「浄と不浄」

とにたとえられている。


そこから沙羅双樹と言う言葉になったとされる。(広辞苑)≫

捨てきれぬ夢がグラスの底にある  和気慶一

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 小松帯刀

薩摩藩が資金提供したのは、

帯刀西郷らと相談し、航海術を学んでいた龍馬らを、

「うまく利用しよう」と、考えたためだった。

そんな薩摩藩の思惑に、龍馬がうまくのったという見方もできる。

≪社中を運営するなか、龍馬は海運業に勤しむだけでなく、

  航海術やオランダ語の勉強、武芸などもおろそかにせず、何に対しても貪欲だった≫

座布団ほどの我慢をボクはしてきたか  武内美佐子

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