ロンパリ!考える椅子
川柳的逍遥 人の世の一家言
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凛として
それぞれの事情で跨ぐ水たまり 山本早苗
脇本陣・「柳屋」
白河口の戦いで、新選組がこの「柳屋」を宿舎とした。
(画像をクリックしてご覧下さい)
「凛として」
ー福島民友新聞
八重
が鶴ヶ城に籠城していた時、
女性の命と言われた髪を短く切っている。
≪「城中婦人の断髪は、私が始めでありました」≫
(会津戊辰戦争)
八重は自分で脇差しを使い、髪を切ろうとしたが、
なかなか切れず、手伝ってもらった。
その髪を切ったのが、八重の生家山本家の北東、
一軒挟んだ家に住んでいた三百石の
高木盛之輔
の姉、
時尾
であった。
髪をほどくと確かな川の音がある 森中惠美子
八重
は
時尾
の家へ針仕事を習いに通った親しい間柄。
男に成りきってまで、
兄・
覚馬
や
弟三郎
の仇討ちをしようとする八重の姿に、
時尾は、ひどく心を痛めた。
この時尾は、会津に残って戦った新選組三番組長、
剣術師範の
斉藤一
と、戊辰戦争後に結婚している。
仲人は
松平容保
の家老だった
佐川官兵衛
が務めた。
会津藩から慕われた、忠義の士・斉藤は、
容保から
「藤田五郎」
の名が贈られている。
≪会津若松市七日町の阿弥陀寺に「藤田家之墓」として
二人の墓がある
≫
守り抜く家紋にこびりつく手垢 百々寿子
脇本陣柳屋旅館の蔵座敷は、戊辰戦争白河口の戦いの際に、
「新撰組」斎藤一局長ほか106名の隊士が宿営した場所である。
また明治天皇東北巡幸(明治14年)の際、
この柳屋を往路は休憩所、帰路は宿泊所とされた。
「新選組と戊辰戦争」
新選組は、激戦だった白河城下での戦いでも活躍している。
白河城
(小峰城)
は、慶応4
(1868)
年時、
白河藩主・
阿部正静
が棚倉城に移っていたことから、
白河城は城主不在であった。
『中島登覚書』
によると、
閏4月5日、
松平容保
より、新選組隊長・
斉藤一
に対し、
白河へ出撃命令が出る。
仏壇へ顎差し出して差し出して 岩根彰子
新選組は、白河城下の
「脇本陣柳屋」
を本陣とした。
また、
『白河口戊辰戦争記』
に従うと、
会津藩は閏4月20日に白河城を占領し、
21日には白坂の境明神にある
「従是北白河領」
の石柱を倒し、
「従是北会津領」
の木柱を立てている。
同25日、新政府軍の攻撃が始まり、
5月1日には逆に白河しろが占領される。
会津藩が奪還作戦を行ったが成功せず、
戦いは7月下旬まで続いた。
ぼんやりと見えてる清水舞台下 黒田忠昭
白河小峰城
"老いぬれど又も越えなん白河の 関のとざしはよしかたく(難く)とも"
八重が晩年、白河の関を越えて郷里入りした時に詠んだ歌
この歌が詠まれた時は、
白河駅から白河城の本丸の石垣がよく見えた。
列車が白河駅に停車した時、
本丸までは約200㍍しか離れていなかったため、
八重は石垣だけとなった城跡を見て、
戊辰戦争のことなど、
さまざまな思いが胸をよぎったことだろう。
生涯をこの土となる百合の白 大西泰世
[3回]
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y2013/06/05 09:30 z
CATEGORY[ポエム&川柳]
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