山や谷越えた図太さ今がある 堀冨美子
「官兵衛旅に出る」
官兵衛はまだ家督を継ぐ前、
武兵衛と善助を連れて、
堺や京見物に出たことがあった。
戦国期の京は政治都市としての機能は殆ど失われてしまっていたが、
商都としては、大変な賑わいを見せていた。
京では官兵衛は神社仏閣への参詣や物見遊山には目もくれず、
人とは違う目線で京を見学した。
堺では賑わう町の様子に目を輝かせ、
目の青い南蛮人に驚きを隠せずにいた。
官兵衛はこの近くで戦があったことが信じられずにいた。
靴紐を結びなおして生きて行く 吉崎柳歩
堺の鉄砲鍛冶図/国会国立図書館所蔵
(画像は拡大してご覧ください)
道中であるきっかけで知り合い、道案内を買って出た
荒木村重は、
「堺は、よそとは別だ」 と説明する。
「堺には、仇同士でも刃をおさめなければならないという掟があり、
どんなに腕に覚えがあっても、堺の金の力には勝てない」
と言い、さらに村重は、
えごうしゅう
「堺で一番偉いのは将軍でも大名でもなく会合衆と呼ばれる豪商たちだ」
と、言葉を続ける。 そして、
「堺の豪商が播磨の田舎侍を相手にするかどうか分らないが」
と、前置きをつけ、堺の鉄砲商人
・今井宗久の屋敷へ、
官兵衛らを連れて行く。
斜め三十度口笛吹く男 嶋澤喜八郎
※ 荒木村重=摂津国の地侍。
不遇時代に官兵衛と知り合って意気投合し、官兵衛のよき兄貴分となる。
信長の抜擢を受けて、摂津の国主となりながら、
やがて信長に造反し、居城・有岡城に籠城。
説得に訪れた官兵衛を幽閉した。
籠城は一年におよんだが、あてにしていた毛利の援軍は来ず、
数人で城を脱出。この幽閉で官兵衛は足を悪くしてしまう。
落し蓋の下で弾んでいる男 谷口 義
今井宗久
宗久邸には、南蛮渡来のさまざまな珍品が飾られていた。
官兵衛は興味深そうに部屋の中を見回し世界の広さに目を丸くする。
宗久が部屋に入ってくると、
「一見の客でも鉄砲を売って貰えるのか」
と問いながら、官兵衛は興味津々に鉄砲を吟味するのだった。
宗久は話の流れで、
木下藤吉郎という侍が鉄砲を求めてここに来たことを話す。
官兵衛はこのとき初めて木下藤吉郎の名を耳にした。
藤吉郎はとても愉快な男で、彼がこんなことも言っていたという。
「今のこの堺の栄華が、戦の道具を売ることで成り立っているというのは、
なんとも因果なものですな」
宗久は、
「それが堺の商人の戦なのだ」 と官兵衛に告げた。
実のなかに秘密の基地がありました 合田瑠美子
※ 今井宗久=戦国時代の堺の豪商・茶人。
かねかず
名は兼院、号は昨夢斎。
たけのじょうおう
武野紹鴎の娘婿。
信長に近づいて堺対策に協力し、多くの利権を握る。
のちに秀吉の茶頭となり、千利休・津田宗及とともに三大宗匠と称された。
僭越な箸でゲテモノをまさぐる 美馬りゅうこ
錦絵・堺の町の賑わい (包丁屋の店先)
戦国時代、堺は鉄砲製造で有名だが、江戸時代になると鉄砲の需要が落ち、
その鍛冶の技術を応用して包丁を作るようになる。
この旅で官兵衛は、市に出向いては、
諸国から集まって来たさまざまな商人たちと、言葉をかわした。
官兵衛の興味は常人と別の方向を向いているのである。
単に商品そのものを問いただすだけではなく、
産地や流通に関する情報も聞き出した。
こうして世の中の仕組みや世情についても、
独自の戦略眼を磨き上げていった。
官兵衛の軍師としての手腕は、日常から発揮されたこうした努力が、
育んだと言っても過言ではない。
真っ新な明日になりそう大落暉 荻野浩子[2回]
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