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色白で背丈あったイケメン半兵衛
竹中半兵衛は美濃国・
斉藤義龍の家臣・
竹中重元の嫡子として生れた。
誕生年は天文13年
(1544)、官兵衛より二つ年上になる。
子どもの頃から体が弱く、華奢で色白な半兵衛を周囲の者は、
「青びょうたん」とからかったが、中国の兵法書を読みあさるなどして、
その学才は目を見張るものがあったという。
半兵衛の名が世間に轟くのは、
20歳のときに起こした稲葉山城の乗っ取りである。
主君義龍の政治手腕に対する不満などを抑えきれず、
舅の
安藤守就と力をあわせ、わずか16名の家臣と共に城を襲撃。
ほんの一晩で稲葉山城を手中に収めた。
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この事件は瞬く間に近隣諸国へと知れわたり、
堅牢な稲葉山城を落せずに手を焼いていた信長は、さっそく半兵衛に
「稲葉山城と引き換えに美濃半国を与えようぞ」
と破格の条件を出す。
しかし、半兵衛は、
「謀反は主君の愚策を戒めるために起こしたもの。
私利私欲ではござらぬ」
と突っぱね、一年後には稲葉山城を義龍に返したうえ、
岩手山中に隠棲してしまうのである。
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竹中半兵衛
半兵衛の才能を惜しんだ
信長は、
羽柴秀吉の与力になることを命じた。
そこで半兵衛は秀吉の幕下に入り、
「姉川の戦い」をはじめ数多くの戦で武功を上げたほか、
長岡城築城や臣民に不満が出ぬよう治世面でアドバイスするなど、
秀吉の出世を助けた。
半兵衛に功名心や私欲はなく、
戦乱の世で困窮する人民の姿に心を痛め、
戦で智略をめぐらせるのは、無用な血を流さないための手段であった。
秀吉の下に入ったのも、足軽から苦労して出世した秀吉に、
才能と人間味を感じたからかもしれない。
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ところで、半兵衛が官兵衛と出会うのは、
信長が中国攻略を画策している頃である。
播磨小寺家の家老の身でありながら諸侯を差し置いて信長に謁見し、
中国経略の先導役として産軍した官兵衛を、
秀吉側の武将は、油断ならない存在と警戒した。
半兵衛もあからさまに非難はしないが、
「毒も薬になるたとえもござります」 と
あくまで静観する態度をとった。
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しかし官兵衛こそ、
毒どころか命をかけて主君に尽くす忠臣と知ることになる。
秀吉方は信長へ叛意がないことを示すため、
小寺政職へ人質を要求した。
体が弱い嫡男を人質に出せばかえって信長の疳気に障ると
躊躇する政職を見て、官兵衛は、
「自分の一人息子を人質に差し出す」 と申し出る。
最愛の子どもを差し出してまで信義をつくす姿に、
自らもひとり息子を持つ半兵衛は、ただならぬ覚悟を感じた。
そして彼こそ自分と同じ矜持の持ち主と知り、
急速に親しみを持つようになる。
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けれど官兵衛は何かと、己の力を見せつけようとする性癖があった。
ある時、官兵衛は
「自分は秀吉殿に兄弟同様に信頼されている」と
自慢げにいい、秀吉から直々にもらったという証文を半兵衛に見せた。
すると半兵衛はその証文を突然奪い、火中に投げ入れてしまう。
驚く官兵衛に、
「過去の証文を当てにしていてはそれにとらわれて、
軍師としての目が曇りますぞ。
あなたの力は己の見栄や欲得ではなく、
天下のために使ってこそ、ふさわしいのではありませんか」
官兵衛は増長していた自分を恥じ、
進言した半兵衛に感謝の念を持ったという。
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「二兵衛のエピソード」
時流を見るのに長け、智略を駆使して戦国の世を生き抜いた
官兵衛。
片や、実直に主君に仕え、36歳の若さで病没した
半兵衛。
類いまれな才能で秀吉の出世を支えた二人は
「二兵衛」と称された。
二兵衛と呼ばれた二人ではあったが、
実は共に闘った戦の数はそう多くはない。
反織田方である
三木城の奪取に向けて秀吉は、
天正6年
(1578)、戦を起したが意外にも相手が手強く、
城攻めに手を焼いていた。
そんなある日、500名ほどの兵が小高い山中に消えるのを秀吉は見る。
「あれは敵か味方か」
判別できぬ秀吉が半兵衛に尋ねると、
「あれは官兵衛様でございましょう。
今日は殿の勝利に終わるに違いござりませぬ」
と、きっぱり言ってのけたのである。
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三木の商店街から見上げた三木城跡
三木城は、秀吉による三木城兵糧攻め(干殺し戦法)に亡びた。
三木城は、播磨国美嚢郡三木にあった城。
平山城・釜山城とも呼ばれる。
小寺氏の御着城、三木氏の英賀城と並び播磨三大城と称された。
半兵衛はその日、官兵衛が動くと知らされていなかったが、
今回の戦で劣勢が続く中、
「この辺りで策を打ちたい」 と思っていた矢先のことだった。
あの山中は以前より兵を進めるならここだと見込んでいた場所。
官兵衛も同じ読みをしたに違いない。
そう即座に判断し、秀吉に進言したのである。
半兵衛はさっそく援軍を出して敵をおびき出した。
そこを官兵衛隊が襲撃。
官兵衛に花を持たせるかたちで秀吉勢に勝利をもたらすことに成功した。
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