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川柳的逍遥 人の世の一家言
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読みふける伏せ字だらけの維摩経  井上一筒

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「入道逝去の事」 平家物語絵巻)

熱病に冒され、余りの熱さに体を冷すため水療法を試みる清盛

(クリックして画像を大きくご覧下さい)

正月27日  清盛病に臥せる。(25日頃からとも)

閏2月4日  九条河原口にある側近・平盛国邸で死去


この世にもあの世にもない色で咲く  上野楽生

「清盛の死」

2月27日、

藤原邦綱清盛の病が九条兼実のもとに伝えられた。

ゆっくりと療養する間もなく、

閏2月1日、

清盛が生きるのは、9割無理という状態になった。

結局、4日、清盛は九条河原口の平盛国邸で死去した。

発病から1週間、あまりにあっけない死であった。

一緒に生きた事実さえもがセピア色  山口美千代

『平家物語』では、「あっち死に」として高熱のために

「水風呂が沸騰したとか、頭に載せた雪が蒸発した」

といった極端な記述が紹介されている。

≪仏罰による死去をアピールしたかったためであろう≫

ただ実際に相当な高熱に苦しんだのは事実であり、

「それは東大寺・興福寺を焼いた報いだ」

と世間の人々は思っていた。

画鋲を抜くと熱をもっていた  畑山美幸

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「平清盛炎焼病之図」 国立国会図書館)

(画像を拡大してご覧下さい)



『入道滅す』

床の清盛の看病ですっかり疲労した妻の時子は、

今は出家して二位尼と呼ばれているのですが、

彼女が眠りに落ちるとまもなく、

夢の中で門を叩く音がした。


門を開けてみると、

真っ赤な猛火に包まれた車がありました。

車を引っ張っているのは、

ひとりは牛の頭を持ち、もうひとりは馬の頭を持つ。

つまり地獄の獄卒の中の牛頭(ごず)・馬頭(めず)が現れ、


車の前面には、

「無」と一文字だけかいた鉄板を立ててあるのです。


翔びたいんです鎖を外してくれますか  杉浦多津子

「その車はいずこより参ったものですか」

と二位尼が夢心で尋ねると

「閻魔の庁より、平家の太政大臣入道殿の御迎えに、

 参りましてございまする」


と答えます。

「それでその札は、いったい何ですか」

「須弥山南方の海深きところの国にある、

 金銅十六丈の廬遮那仏を焼き滅ぼされた罪により、

 無間地獄の底に落ちなさることが、


 閻魔大王の役所で定められましたが、

 無間地獄の印の無の字を書き入れて、

 まだ間の字を書いておらぬものでございます」


と申したところで、二位尼は目を覚ましました。

月の無い夜がわたしに忍び込む  たむらあきこ

みるとぐっしょりと寝汗をかいています

「誰かおりませぬか」 と屋敷内の人を呼び、

この話をしたところ、

みな身の毛もよだつほど恐れおののき、

霊験あらたかなる神社に、

金銀・七宝・馬・鞍・鎧・兜・弓矢・太刀・刀にいたるまで、


屋敷内のものをことごとく運び出しこれを奉納し、

清盛公の病気全快を祈念したのですが、

その験も見られず、

清盛の容体は悪くなる一方でした。


背中に冷気 ついて来るのは誰ですか  安土理恵

枕元には清盛公の皇子・娘の公達が常時数人詰めて、

清盛の様子を見守っていましたが、

嘆いても悲しんでも、

もはやどうすることもできなかったのです。


あとはもう気持ちがあるかだけのこと  岸和田喜世子

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沈んで行く清盛の大太刀

二日後の養和元年(1181)閏2月4日、

さらに熱病がひどくなり、

このまま何もせず黙って見ているよりは、

せめてもとのことに板張りの浴槽に水を注いで、


そこに臥してみたものの、

もはや少しも楽にならない様子。

もがき苦しんだ末に気絶し、

地に倒れてついに、”あつち死に”したのです。


死に神がもくろむ私の席次  宇野幹子

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      清盛塚

清盛、享年64でありました。

西八条の清盛邸には、

弔問の車の音が暗くなるまで響き渡り、

街路という街路から地響きが沸き起こり、

京の都を揺るがせました。

一天万乗の君、天皇が亡くなられたとしても、

「これほどのことはあるまい」

と思われるほどの弔問の規模でありました。

もうまったくと思うばかりで憎めない  中岡千代美

老死というべきではなかったのですが、

前世から定められた運命が、

たちまち尽きてしまわれたので、

仏教の大法秘法を尽くしても、

その効験もなく、神・仏の御威光も消え、

天の諸神もお守りくだされませんでした。

神仏さえもそうであったので、

ましてや人間の考えではどうすることもできません。

道徳が例え話で責めてくる  寺島洋子

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平相国廟

平家全盛期の時に平家一門から帰依を集めた。

清盛の800回大遠忌記念に平相国廟(能福寺)が造られた。


清盛の命が尽きるのなら、

「代りに我が命を召してください」、

と代って死のうというほどの忠義者数万の人々が、

堂下のみならず路上にまで、

命をかけてあふれていたのですが、

これら忠義の者の目にでさえ、

見えない力ではどうすることもできず、

「無常の死という殺鬼」を戦うことで追い返すことなどは、

できることではありません。

清盛は二度と戻れぬ三途の川を辿る、

冥途の死路の旅路を、

ただひとりで行かねばなりません。


魚にも鳥にもなれず靴を履く  山本早苗

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