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川柳的逍遥 人の世の一家言
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私をはずすと風が流れだす  河村啓子

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「朝敵揃えの事」ー平家物語

福原の自邸で頼朝挙兵の報告に接し激怒する清盛。

(画像はクリックしてご覧ください)

「わずか170日間で潰えた清盛の遷都の夢」

福原の内裏の造営や宅地の造成は続けられたが、

富士川の敗戦による平家の威信の低下は深刻だった。

還都に対する要求は日増しに高まり、

11月初旬には宗盛清盛と還都をめぐって、

激論を繰りひろげた。

棟梁の宗盛までが還都を公然と口にする状況となり、

もはや清盛の孤立は明らかであった。

8日には、遠江以東の15カ国が反乱軍に味方して、

「草木に至るまでなびかないものはない」

と報じられた。

十薬を煮込んでひとりきりの夜  桑原伸吉

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数日後、ついに清盛は還都を決意する。

新造の内裏において、

11月20日に行われた「豊明節会」帰洛することが、

正式に公表された。

結局、清盛の造営した内裏は、

節会のためだけに、作られたようなものだった。

天皇や群臣の前で、

繰りひろげられる五節の舞を見つめる清盛の、

心のうちには、どのような思いが去来していたのだろう。

遷都が未完に終ったことに対する無念の思いであったか、

あるいは、還都後の敵対勢力への反撃プランを思い描き、

闘志をたぎらせていたのだろうか。

ちょっとした旅の終わりに似た別れ  松田俊彦

清盛が遷都を断念したのは、寺社勢力の反発と、

高倉天皇の健康悪化にあるといわれている。

延暦寺や園城寺など、京周辺の寺院の究極の使命は、

国家的な儀式や祈祷を行うことで、

国家や朝廷を守ることにある。

守るべき朝廷が福原へ引越ししてしまったら、

自身の存在価値はなくなる。

≪そのため、以仁王に味方した園城寺や興福寺はもちろん、

   平家と協調関係を保っていた延暦寺の衆徒までが、

   東国の反乱勢力に呼応して蜂起し、

   還都の要求を激化させていたのである≫


これ以上笑うと空へ浮き上がる  加納美津子

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それ以上に清盛の心を動かしたのは、

高倉上皇の健康不良だった。

高倉上皇の病は7月下旬には、かなり深刻になっており、

「摂政・近衛基通に政務を譲りたい」

と弱音をはくほどであったが、

形式的にせよ高倉院政を勢力の基盤とする清盛が、

それを許すはずもなかった。

人間のエゴでブルーの薔薇が咲く  清水久美子

多忙な政務、遷都による心労、

慣れない海辺の環境などの、要因が重なって、

上皇の病気は、日を追うごとに悪化していったと考えられる。

「このような辺土(福原)で死にたくない」

という高倉の再三にわたる哀訴に、

さすがの清盛も耳をかさざるを得なかったのだろう。

また、棟梁の宗盛までが面と向かって,

還都を主張したことも、無関係でなかったかもしれない。

内乱が激化するなか、平家一門の結束が崩れるのは、

何としても、避けたかったのではないだろうか。

渋いしぶいと栗きんとんを食べる  井上一筒

だが遷都を断念する以上、

政権維持のために、

反乱勢力を根絶やしにするという決意も、

清盛は固めていたと考えられる。

京に戻るや清盛はただちに反撃態勢を整え、

敵対勢力の徹底的な弾圧に乗り出すのである。

眼差しを整えてから相手見る  たむらあきこ

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