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川柳的逍遥 人の世の一家言
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空クジと阿保な夢が風に飛ぶ  森中惠美子

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 「東大寺大仏殿焼失」

左方には掲げられた赤幟のもと奈良に入る平重衡(しげひら)の軍勢、

右方に炎上する大仏殿が見える。

奈良に入った重衡は12月28日、夜陰に紛れ、攻撃を開始した。


(のちに一の谷合戦で重衡は、南都衆徒の強い要望で処刑され、

  その首は奈良坂にさらされた)


(画面は拡大〔クリック〕してご覧ください)

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「福原還都」


富士川合戦の敗北を目にして、

清盛も平安京への還都を決断する。

11月12日、高倉院のもとに有識の貴族が集まって、

帰都について検討し、清盛との意見調整の末、

夜に還都の方針が決まった。

11月26日、入京した安徳天皇藤原邦綱の五条東洞院亭に、

高倉院は平頼盛の六波羅池殿に、

後白河院は、故・平重盛の六波羅泉殿に入った。

11月29日に清盛も福原から上洛した。

それ以上走ると元の位置になる  杉野恭子

清盛が還都に同意したのは、

東国追討使が帰洛した直後の、

11月10日頃のことであり、当時は改めて、

東国に追討軍を派遣するという計画も出ていた。

院や貴族、一門内のも還都主張者がおり、

追討軍の編制・動員に天皇の権威高揚が必須という状況で、

清盛は追討軍の編制を万全なものとすべく、

福原から京への還都を決断したのである。

≪その頃美濃・近江を中心に畿内近国の諸勢力が反乱を起していた≫

 壊れても繕う蜘蛛の巣のように  新家完司

清盛は、兵糧米や兵士役を貴族や寺社に賦課し、

東国の反乱を鎮圧する体制に、無理やり組み込んでいった。

その一方で、後白河院藤原基房を復帰させている。

清盛が、福原から京への還都に続き、

治承3年11月、政変時の自身の非を認めるかのような、

処置を認めたのも、

反乱鎮圧の遂行のためであった。

上手から下手へ消えただけの人  井上一筒

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もし高倉院が没すれば、

後白河院政という形式をとるほかない。

清盛は彼等を復帰させた上で、

後白河院の院政再開後も、

自身が政治の実際を主導する体制を、

維持しようとしたのである。

お醤油をたらしてちょうどいい厚み  井上しのぶ

まず、近江の悪僧・武士に対しては、

知盛以下の大軍を派遣した。

そして、大和の悪僧に対しては重衡を派遣し、

12月28日には衆徒を退散させ、

興福寺・東大寺を炎上させている。

≪以上のように、知盛・重衡といった一門主流の有力武将が出陣し、

   還都に伴う軍事動員が機能したことで、

   近江・大和とその周辺の反乱鎮圧に成功したのである≫


ピリオドのために踏み出す第一歩  植田斗酒

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「南都炎上」

燃え盛るなか干戈を交える南都の僧兵と平氏軍の激闘が描かれている。

(クリックすると画面は大きくなります)

「南都焼討」

治承4年(1180)12月28日、

清盛の息子・重衡に率いられた軍勢は奈良に入った。

民家を焼いた炎が風に煽られ、

東大寺・興福寺が類焼し、

大仏殿も焼け落ち、

逃げ込んだ女・子供までが巻き込まれ、

あたかも地獄の様相だったとされる。

仏像を間近に罪を数えてる  松本としこ

焼討の前提となった平氏政権と南都北嶺について述べると、

延暦寺と平氏との関係は、良好であったものの、

園城寺や興福寺との関係は悪く、

以仁王の挙兵失敗の際、

以仁王が頼みとしたのは、園城寺や興福寺であった。

こうした対立の続くなか、

平氏は反平氏の拠点、南都に攻め入ったのである。

雨天につき第二関節まで決行  酒井かがり

また、「南都焼討」の直前には、

園城寺焼討が重衡によっておこなわれており、

南都焼討が、平氏と寺院勢力との衝突の

一齣であったことを物語っている。

そして、両者の対立は、

園城寺と南都が攻められ焼き払われたことにより、

平氏政権側の勝利で締めくくられ、

寺院勢力は平氏政権に屈することになる。

躓いたところへ飾る余命表  桜風子

その後、東大寺・興福寺の所領・庄園は没収され、

重衡の兄に当たる宗盛が、畿内近国の惣官となるなど、

平氏政権はいよいよ、

体制を強化する方策を打ち出してくる。

しかし、「南都焼討」は、平氏政権を仏敵と認識させ、

完全に寺院勢力が平氏の敵にまわったこと、

京の公家の心も、平氏から離れさせたことなど、

長期的に見れば、

「政権を窮地に立たせる原因」 となった事件であった。

挽歌流れてオリオン父を引いてゆく  太田のりこ

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