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川柳的逍遥 人の世の一家言
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方程式を研ごう答えがひかるまで  たむらあきこ

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「会津の女」⑤-高木時尾

高木時尾は弘化3年(1846)

会津藩大目付・高木小十郎藤田克子の長女として生まれる。

山本家の隣家、高木家の長女で八重の一つ下の幼なじみ。

祖母は盲目ながら、大変器用で裁縫を得意とし、

八重や日向ユキと三人でその祖母から裁縫を習った。

時尾の母・克子は藩内でも評判の美人であったが、

その血をうけて時尾は才色兼備を謳われ、

藩主・松平容保の義姉・照姫の祐筆に抜擢された。

私だけ照らすひかりにやっと逢う  真鍋心平太

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会津戦争では照姫に従って籠城戦に加わり、

男装する八重の髪を切る。

会津城開城後は斗南に移住し、そのとき、

会津藩若年寄を務めた倉沢平治右衛門の養女となった。

明治7年、元新選組隊士であった斉藤一(藤田五郎)と結婚。

時尾28歳、斉藤30歳である。

東京での挙式は、上仲人を松平容保、

下仲人を山川浩、佐川官兵衛がつとめた。

改札を抜けて涙を折りたたむ  岡本 恵

住居は東京・本郷にあり、藤田は警視局に勤務。

明治9年に長男・

西南戦争を経て次男・、三男・龍男が誕生。

藤田は明治24年に退職し、のち、

東京女子高等師範学校の庶務係(警備職)として奉職。

これを機に、自宅の二階に女子学生を寄宿させ、

時尾は礼儀作法などをしつけた。

寄宿生のひとり西野みどりが勉と結婚。

明治42年には初孫にも恵まれた。

ちょい悪を手玉黄色いさくらんぼ  北川ヤギエ

大正2年、会津若松にて、会津戦争の戦死者を

埋葬した阿弥陀寺墓地への寄付が募られると、

時尾は「若松外発起人」の総代となって活動している。

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阿弥陀寺の藤田五郎と時尾の墓

会津戦争の戦死者埋葬に尽力したため、

時尾は墓所の一角を譲り受け、

その場所に夫妻の眠る墓がある。

藤田71歳、時尾74歳で没した。

結末はハッピーそっと本閉じる  三村一子

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