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川柳的逍遥 人の世の一家言
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しがらみを解いて手毬がよく弾む  土屋紀世子

「清洲会議における丹羽長秀の立場」

清洲会議の出席者は柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興の4人。

秀吉 対 勝家の主導権争いという形となる。
                      のぶかつ
後継者の資格では、信長の次男の信雄と三男の信孝

どちらも凡庸な人物で、多少ましな信孝を後継者に、勝家は指名。

対して、秀吉は信長の嫡男・信忠の子、三法師を推す。

滝川一益が欠席なので、3票とれば勝ちとなる。

思うこと誰も同じか穴子ずし  原 洋志

恒興の票は、諸々の絆から秀吉にいくものとほぼ確定している。

ここで、丹羽長秀の意見が重要となってくるのである。

この会議の前、長秀はすでに秀吉から内々に話を受けており、

秀吉につく内諾をしていた。

この約束にもとづいて、長秀は秀吉の主張を推し、

反論しようとする勝家に

「明智を討ったのは秀吉である」

と痛烈な一言を浴びせて、勝家を面破した。

みくびった雑魚に根幹握られる  上田 仁


  丹羽長秀

常識で判断すれば、成り上がり者の秀吉の下風に立つよりも、

長い間共に織田家に仕えていた譜代の勝家に協力するのが自然な形。

ところが、長秀は秀吉の内応依頼を簡単に承諾している。

長秀は何を思って秀吉に協力したのだろうか。

同じ譜代の家老でも、勝家は武力に優れた武将である一方、

長秀はあまり武に秀でた才はない。

数々の武功をたて、勝家の周りには、

佐久間盛政・佐々成政・滝川一益らが彼を慕って、

集団を形成している。

対して、各地の戦地において大きな手柄のない長秀は

信長の晩年は、手伝い戦や政治的用向きがほとんどであった。

手の皺に見つけた過去の深呼吸  山下和之

そして、明智軍との戦いでは秀吉の才能を間近で見て、

武力、知力、人徳といった秀吉の器量を身をもって感じたのだろう。

さらに、こうした周辺事情を考えあわせれば・・・。

勝家が実権を握った場合、

彼が率いていた北陸方面軍の佐々成政・佐久間盛政・前田利家や、

勝家を慕う滝川一益らが政権を握るようになり、

自分の出る幕はない。

一方、秀吉の性格から、秀吉に実権を握らせてやれば、

山崎の合戦に従軍したことや、

清洲会議で秀吉を推してやったことなどから、

決して悪いようには扱わないだろうし、

相談役として重く用いられるだろう。

長秀はそう考えたのではないだろうか。

八転びしても明日を信じたい  嶋澤喜八郎

「清須会議のもう一つの争点」-領地配分

信長死後の領地の配分おいて、

柴田勝家は、越前と近江・長浜を手に入れ、

秀吉は、播磨・山城・河内・丹波を所領に。

丹羽長秀は、若狭に加えて近江二郡を得、

池田恒興は、摂津の池田・有岡(伊丹)に加えて、

大坂・尼崎・兵庫といった摂津・河内の大半を獲得。

織田信孝は、美濃国全域を所領し、織田信雄は伊勢に尾張を加えた。

三法師の守役を務める 重臣の堀秀政も、

丹羽長秀の本領から、20万石を貰いうけ近江坂田郡も手にした。

ドクダミの白は秘策を抱いている  美馬りゅうこ

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