ロンパリ!考える椅子
川柳的逍遥 人の世の一家言
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八重と覚馬
始まりはリンゴと蛇と好奇心 板垣孝志
「八重と覚馬」
八重
にとって、
権八
のほか父親のような存在が、もうひとりいる。
兄・
覚馬
である。
八重の自慢はこの兄だったが、
実をいえば、幼い頃、
八重はこの兄が苦手だった。無理もない。
歳が17も離れているし、
八重が6歳から7歳にかけて、
また、9歳から12歳にかけて、
江戸へ留学してしまったため、
幼女の思い出に兄の影はほとんどない。
さらにいえば、留学を終えて帰ってきた兄は、
あまりにも、眩しすぎた。
朝日から私へさらの一ページ 徳山みつこ
覚馬は江戸で
佐久間象山
に学び、
洋式砲術の泰斗として帰藩し、
藩校・
「日新館」
に蘭学所を開設してその教授となるや、
さらに立身して、
軍事取調役兼大砲頭取にまで駆け上がった。
それだけではない。
覚馬が衆に秀でていたのは、理論だけではなかった。
弓馬刀槍はもとより、
鉄砲を撃ち放つ技術も、人並み波外れている。
ゲーベル銃の命中率だけでも当代随一といわれ、
理論と実践を兼ね備えた一流の人物として、
藩と藩の垣根を越え、
諸国の藩士から信頼を得ていたのである。
見てたんだこの私が見てたんだ 嶋澤喜八郎
八重は、父よりも畏怖の対象ともいうべき兄から、
砲術を手ほどきされた。
そうしている内に、徐々に慣れ親しみ、
歳の離れた妹として、
愛情を一身に注がれていることに、気付いていった。
畏怖は消え、尊敬が生じ、自慢が湧いた。
「砲術だけではなく、裁縫にも励むのだぞ」
と言われれば、直ちに
「はい」
と明るく答え、
針と糸を手に取ったものだ。
要するに、八重にとって覚馬は、
絶対的な存在といっていい。
助けたり助けてほしい位置にいる 山本昌乃
象山の発明品
こんなことがあった。
ある日、覚馬は江戸留学中に知己となった、
但馬出石藩出身の、
川崎尚乃助
を招き、
洋砲伝習と
舎密術
(せいみじゅつ)
の教授として、
務めさせたのだが、そればかりか、
いきなり八重に縁談を持ち掛け、縁づかせようとした。
自分の片腕の尚之助を藩士の身分に引き上げて、
「いつまでも側に置いておきたい」
とする策略以外の何者でもなかったが、
驚いたことに、
八重は、この兄の頼みに素直に応じた。
行間に助けもとめる息遣い 清水すみれ
自我の強い八重とは思えないような、素直さだったが、
それだけ会津の発展に精魂を傾けている兄を、
支援したかったのだろう。
それを期に覚馬は、八重に砲術の訓練を控えさせた。
これもまた素直に従った八重であった。
新しい風が吹き始めたようだ 岡内知香
【豆辞典】
-舎密術(せいみじゅつ)
舎密とは蘭学者・
宇田川幸庵
がオランダ語で、
科学を意味する「Chemie]に漢字をあてたもの。
1840年、幸庵の翻訳本「舎密開宗」が出版される。
1869年には大阪に科学研究や教育・勧業のための、
公的機関「舎密局」が設置されている。
マジシャンの腋の下からアマリリス 井上一筒
[3回]
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y2013/01/16 09:30 z
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