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川柳的逍遥 人の世の一家言
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宝石になるまで磨くつもりです  竹内ゆみこ

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 失明の山本覚馬

「先見の明と知見を持った八重の兄にして師匠・山本覚馬」

幼少期からの八重の人格形成に、

最も大きな影響を与えたのは、誰かといえば、

八重の兄である山本覚馬をおいて他にはいない。

幕末期の動乱を迎え、会津藩も他藩と同様に、

軍備の増強と近代化にいそしんでいたが、

その主導的な役割を果たしたのが,

砲術指南役の覚馬だった。

火の向こうにいつも男が立っている  森中惠美子

黒船来航直後に江戸へ出府して蘭学を学び、

坂本龍馬の師匠として知られる佐久間象山

勝海舟らに師事して、

最新式の砲術や兵学を会得して会津に帰国。

藩内では、保守派による西洋の学問や

技術への抵抗が強く、

一時は覚馬も藩主・松平容保の怒りを買って、

処分を受けたこともあったが、やがて復帰して、

軍事取調兼大砲頭取という要職に就き、

その知見をもって、藩の軍制改革に取り組んだ。

本日は晴天なりで幕が開く  橋倉久美子

また覚馬は、会津藩の藩校・日新館に射撃場をつくらせ、

藩士にはそれまでの火縄銃ではなく、

ゲベール銃などの洋式銃などによる射撃訓練を課した。

この覚馬をはじめ、

「羽・伏見の戦い」に先立って、15代将軍・徳川慶喜

不戦恭順論を説いた家老の神保修理のように、

会津にも、先見性を持った人材が、

少なからずいたことは確かだ。

下顎の骨を入れ替えてもらった  井上一筒

それにもかかわらず、

会津藩の近代化や軍制改革は十分に機能せず、

結果的に近代化を成功させた薩摩・長州両藩を中心とする

新政府軍に「会津戦争」で敗北してしまったのは、

歴史の皮肉といえよう。

傷口はきっとわたしの始発駅  たむらあきこ

八重は幼い頃から覚馬を通じて、

西洋事情や新しい技術に触れ、

大きな関心を持つようになっていった。

少女時代の八重が鉄砲の稽古に夢中になったのも、

日頃から覚馬の薫陶を受けていた彼女にとっては、

自然な流れであったといえる。

八重とは年齢が17歳も離れていたため、

覚馬と妹との関係は兄妹というよりも、

師弟のそれに近かったのかもしれない。

ほぐすのに微量の毒が要るのです  美馬りゅうこ

京都守護職に就任した容保に従って、

京都に赴いた覚馬は、

会津藩兵の西洋式軍隊の訓練にあたるとともに、

洋学所を設置して、在京の藩士たちに洋学の講義を行った。

長州藩が「禁門の変」を起こすと、

藩兵を率いて参戦し目覚しい武功をあげるが、

この頃から「眼病を患い失明」してしまう。

(禁門の変で砲弾の破片あるいは、

 粉塵を目に受けて負傷したのが原因という説もある)


しゃぼん玉せめてを宙へ泳がせる  古田 祐子

以後は京都に残るが、

「鳥羽・伏見の戦い」が勃発して会津藩が賊軍になっても、

覚馬の才覚を高く評価していた薩摩藩は、

彼を粗末に扱わず保護するようになった。

≪この時に覚馬は、三権分立や二院制による議会制度、

   女子教育の推進など、明治新政府に対する
建白書『管見』を,

  記しており、これを読んだ
西郷隆盛ほか、

   薩摩藩出身の政府首脳からますます尊敬を集めた≫


スリリングな人生だった阿弥陀籤  岩根彰子

釈放されて、晴れて自由の身となってからの覚馬は、

その才能を買われて京都府庁に出任。

後に京都府会議員となり初代議長も務めるなど、

その生涯を京都の近代化と発展に捧げた。

八重の二番目の夫となった新島襄に、

薩摩藩から購入していた藩邸跡地を譲渡して、

後の同志社大学の基礎となる同志社英学校の設立に、

貢献したのも覚馬である。

きびきびと小春日和を使いきる  大西泰世

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【豆辞典】 〔佐久間象山〕

幕末を代表する洋学者。兵学者。思想家。松代藩主。


天保4年(1833)江戸に出て、儒者の佐藤一斎に学んで頭角を現し、

私塾「象山書院」を開く。

松代藩主・
真田幸貫が海外防掛に任じられると、

江川英龍の下で、兵学を修め藩主・幸貫に「海防八策」を献じ、

大砲の鋳造にも成功する。

この他、指示電信機による電信、ガラス製造などにも挑み、

黒船来航時には浦賀に赴いている。

黒船再航時に、門弟の
吉田松陰が密航を企てて失敗すると、

象山も連座して投獄され、さらに松代での謹慎を余儀なくされる。

元治元年(1864)、象山は
一橋慶喜に招かれ上洛、

持論の
「公武合体・開国論」を堂々と弁じたが、

尊王攘夷激派ににらまれ、

7月11日、三条木屋町で暗殺された。

門下から
松陰ほか勝海舟、橋本左内、坂本龍馬、河井継之助、

山本覚馬など幕末維新の英傑を輩出した。

大は小を兼ねない器の美学  下谷憲子

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