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川柳的逍遥 人の世の一家言
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一升瓶並べて輪投げでもするか  新家完司


  参勤交代の図   (画像は拡大してご覧下さい)

長州藩の参勤交代による江戸入府を描いた浮世絵。
吉田松陰や高杉晋作も、この大名行列に従って江戸へ出ている。

「尊皇攘夷」

和親条約の締結から2年後の安政3年(1856)

改めて自由通商の交渉を行なうべく、

タウンゼント・ハリスが総領事として日本へ派遣されてきた。

幕府は正式な「開国」を拒否しようと、返答を先延ばすが、

ハリスは粘り強い交渉によって江戸城への登城、

新将軍・徳川13代・徳川家定との謁見にも成功。

そして安政5年、幕府は朝廷からの許しを待たずに、

「日米修好通商条約」を締結した。

共犯になるかも知れぬ耳を貸す  原 洋志               

これを皮切りに幕府は、同様の条約を英・仏・蘭・露とも結んでいく。

これに対し世論が爆発した。

「外国との戦争になっては日本の危機だ。開国はやむを得ない」

と賛同する声に対し、

「孝明天皇が攘夷を望んでいるのに、

   幕府は朝廷の許しもなく開国した」

と騒ぎ出したのは水戸藩・長州藩・薩摩藩を忠心とする

「尊皇攘夷派」の知識人であり、

それに影響を受けた若者たちであった。

これ以降、藩という枠組みに関係なく活動する若者らを指す

「志士」という存在が現れたのである。

春の熱出して罪状増えている  竹井紫乙   


二大字「尊攘」 (画像は拡大してご覧下さい)

水戸藩の藩校だった弘道館に残る書。
安政3年、水戸藩の9代藩主・徳川斉昭の命により、
水戸藩医で能書家として知られていた松延年が書いたもの。   

黒船来航以後。

「日本を外国の侵略から守れ」という思想は急激に高まっていた。

『尊王攘夷』 をスローガンに京都へ集結し、

開国派・佐幕派の者とみれば、「天誅」と叫んで、片っ端から、

斬り捨てるという過激な行動に出る者たちが現れるようになる。

尊王は「王を尊ぶ」

攘夷は「夷を打ち払う」という意味が込められている。

日本の「王」とは天皇のこと、「夷」とは外敵。

つまり外国人のことだ。

これに対し、幕府を補佐するという思想の「佐幕派」

開国すべきであるという「開国派」の思想と対立する形になった。

凹凸を約してからの不眠症  山本早苗

この思想の総本山は徳川御三家のひとつ、「水戸藩」だった。

水戸藩は江戸時代のはじめに家康の11男・徳川頼房によって

立藩した親藩である。

二代目藩主は「水戸黄門」として知られる徳川光圀で、

彼は儒学を発展させた「水戸学」を藩士たちに奨励した。

幕末において、幕政に大きく関わった徳川斉昭や、

その息子・徳川慶喜も影響を受けていた。

当の幕府内にも、佐幕ばかりとは限らず、

「尊皇攘夷」の思想を持つものが多く、

幕府存亡の危機を迎えるに当り、議論が沸騰していくことになる。

ミミズクの瞼の母は飛び去った  井上一筒

そもそも「尊王」というのは、幕末に突然生じた思想ではなく、

江戸前期から、幕府も公認の「武士の常識」だった。

幕府の将軍を任命するのは、天皇であり、

その存在を"尊い"と認めなければ、幕府にとっても都合が悪くなる。

また本居宣長平田篤胤らが確立した「国学」の普及も、

尊王思想の広がりを後押しした。

国学というのは、仏教や儒教が流入する前の、

[古来の日本人の考え方を明らかにしようとする学問] のこと。

特に豪農の間では、国学に傾倒して、

「記紀」「神道」の研究が盛んとなり、

その過程で天皇や朝廷という存在の重要性が認識されていった。

するめいか焙るとスルメ起き上がる  泉水冴子         

「攘夷」という言葉も儒学に由来する。
               いてき
周辺の野蛮な異民族(夷狄)が中国領内に侵入してきたなら、

迎え撃って追いはらうー。

この攘夷が、幕末の日本において、

「日本の独立を脅かす列強を打ち払う」

という考えに変換されたのである。

この言葉の流布にも、水戸藩が大きく関わっている。

地動説ボクは乗り物酔いをする  岡田陽一

きっかけは文政7年、水戸藩領・大津浜に英国人が上陸した事件。

これを目の当たりにした水戸藩の儒学者・会沢正志斎は、

強い衝撃を受け、

今まで別個の概念であった「尊王」と「攘夷」を併せた

「尊皇攘夷思想」を打ち出しはじめた。

異国の侵略から日本を守るため、幕府を筆頭に日本人は今こそ、

「由緒正しき天皇の下に結集して夷狄を追い払うべし」 

「天皇の国、神国である日本を異国人に汚されてはならない」

という民族意識を高める意味でも、重要な言葉であった。

虚をつかれ男拙い芸をする  上田 仁

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