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川柳的逍遥 人の世の一家言
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炬燵から出て来た人がリンカーン  井上一筒


開港間もない横浜で力士が西洋人を投げ飛ばす風刺絵

蕩児、実際に力士と西洋人のレスラーの試合が行なわれたという。
攘夷論が高まるなか、人々は喝采を送ったのであろう。

「松陰ー崛起」

松陰は天下の情勢に詳しかった。

密航の罪で入った野山獄を出されたとはいっても、

幽閉蟄居の身でり、杉家敷地から出られずにいたが、

江戸に遊学していた玄瑞ら塾生や、

松陰を慕って杉家に出入りしていた様々な人々から,

世情について話を聞いた。

さらには遠近の知り合いとも書簡を往来させていたお蔭で、

萩という僻地にあっても、世の移ろいには誰よりも鋭敏で、

熟知し自ら「飛耳長目」なる冊子にも編んでいた。

この中には、安政5年(1856)6月19日に調印された

「日米通商条約」についての情報もあった。

松陰は「尊王攘夷」を掲げるがゆえ、

この調印に到底納得ができなかった。

キリストの眉間に砂が舞っている  石橋芳山
  
朝廷の勅許も得ず手前勝手に外交を執り行うなど、
     もと                      いいだくだく
忠節に悖るものであり、また異国の要求を唯々諾々と

受け入れた開国では、「攘夷」など覚束ない。

松陰はここに反幕の志を立て激越な文章そのままに革命家となった。

松下村塾を反幕の震源地とし、

家財道具を売り払って武器を購い、軍事教練の資金ともした。

武士だけではない。町人であろうが僧侶であろうが、

すべての教え子を尊攘憂国の士とし、民兵として養成した。

長州だけではない、勤皇の志士と呼ばれる尊王攘夷論者が京を闊歩し、

大いに都を騒がせ始めたのもこの頃だ。

しかし、それに恐れを抱いた幕府は大老・井伊直弼主導のもと、

志士の壊滅に乗り出した。 いわゆる安政の大獄である。

四つ角をまっすぐに来た波頭  井上しのぶ


    梅田雲浜

こうした中、京都伏見奉行所に捕縛されたのが、
                          うんぴん
かって萩を訪ねてきた小浜藩士の梅田雲浜だった。
                  あかねたけと
松陰は一計として、門弟の赤禰武人に密命を与え、

志士を集めて伏見の獄舎を襲わせ、雲浜を救けだすことも考えた。

しかし事前に察知した藩庁によって赤禰が捕縛され、

目論みは水泡に帰す。

松陰はいよいよ、時局に焦った。

そうした中で考えたのが、

井伊の側近で京へ派遣された老中・間部詮勝の要撃計画であった。

しかし、これも実行に移す間もなく、藩が松陰の行動を警戒し、

再び野山獄へ投ぜられた。

転がった先で宙ぶらりんになった予知  山本昌乃


松陰が獄中で書いた幽囚録

松陰の「一刻も早く事を為さなければ」という危機感は、

獄中にあって日に日に増す。

江戸にいた高杉晋作久坂玄瑞が諫言したのは、このときである。

松陰の唱える「義旗一挙」は容易ではなく、

藩にも害を及ぼしかねないため、

「今は座して時勢を静観すべきだ」、と。

しかし「僕は正義をするつもり」などと記した書簡を各所に送った。

それだけではない。

「国変に節を守って死ぬもののない事、幾重も幾重も残念」

とまで認めている。

今こそが「狂う」時ではないか。

松陰は思わず、己の偽らざる思いを書簡にぶつけた。

結局、親族の懐柔と叱責を受けて弟子たちと和解したものの、

「義挙」については止まらず、譲らなかった。

そして獄中からなお、
くっき
様々な策を練り上げては、塾生らに「崛起」を呼びかけてゆく。

座右の遠浅を左耳で聞く  酒井かがり


    幽囚録

幽囚録は予言集とも言われる
松陰の門下生たちは、この松陰の予言に導かれるように、
革命を実行していく。
また松陰は維新後数十年先のことまで予測し言い当てている。

【草莽崛起】

 草莽は「民間とか在野」、 崛起は「立ち上がること」

安政の大獄で収監される直前に松陰は、

今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。

    草莽崛起の人を望む外頼なし。

    されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘るゝに方なし。

    草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、

    遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、
   まこと
    匹夫の諒に負くが如くなれど、神州の大功ある人と云ふべし」

 と北山安世に宛てた書状の中に 草莽崛起を記した。

(匹夫の諒とは、道理をわきまえない教養のない男の行い)

 草莽は「民間とか在野」、 崛起は「立ち上がること」
       たの
「竟に諸候恃むに足らず、公卿恃むに足らず、

   草莽志士糾合義挙の他にはとても策これ無き事 」

玄瑞が土佐の武市半平太に宛て、坂本龍馬に託した書簡にも、

「草莽」「義挙」の言葉があり「崛起」を煽っている。

志ある在野の人よ立ち上がり、今やるべき事を成し遂げよう。

鳩尾に溜まるせめてが発火する  藤井寿代

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