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川柳的逍遥 人の世の一家言
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負けん気の強い右手ですみません  竹内ゆみこ



「後藤又兵衛」

後藤氏は春日山城(福崎)に栄えた豪族だったが別所氏に滅ぼされた。

末裔にあたる後藤基次(又兵衛)は、姫路近郊の山田で生まれで、

官兵衛に預けられ、小姓として仕えた。

「黒田二十四騎」・「黒田八虎」の一人

黒田家に仕えた後、豊臣秀頼にも仕えた基次は講談などで、

人気を博した侍のひとりで、通称・「又兵衛」で知られている。

父・左衛門は姫路の地に小さな城を構えていた。

その左衛門が没した後、伯父の藤岡九兵衛とともに黒田家に入った。

住所氏名年齢職業鰯雲  鳴海賢治

しかし、官兵衛荒木村重に捕らわれ有岡城に幽閉された際、

伯父・九兵衛は黒田家を裏切ったため、

一族同罪で又兵衛も追放となる。

その後しばらくは秀吉 配下の武将・千石秀久に仕えていたが、

その時期には特に活躍したような言い伝えは残っていない。

秀吉が九州攻めを敢行する前、

長政から百石という高禄を条件に再び呼び返された。

それに応じて又兵衛は数々の戦いで活躍し、

特に九州攻めの際の「宇留津城攻め」では大きな戦功を挙げている。

地獄極楽風船は跳ねに跳ね  筒井祥文



『太平記賤ヶ嶽本陣之図』 

官兵衛・又兵衛・太兵衛などが佐久間盛政を捕らえている図

「朝鮮の役」では長政に先手を命じられ白河城を守った。
 しんしゅう
「晋州城攻め」では「亀甲車」に乗って、

一番乗りを果たしたことで一躍有名になった。
      しょくざん
ほか「稷山の戦い」でも、巧妙を挙げた。

とりわけ「関が原の戦い」では、負傷しながら果敢に戦い、

東軍を勝利に導く働きぶりで、筑前入国後には、

大隈益富城・城代となり1万6千石を拝領。

黒田家の重臣として、隠岐守を名乗った。

たっぷりとマグマを抱いた竹の節  くんじろう

慶長9年(1604)に官兵衛が没すると事態は急変する。

又兵衛はあとを継いだ長政とそりが合わず、再び黒田家を離れた。

又兵衛にしてみれば、とどろく実績と優れた能力があったので、

すぐに浪人生活から解放されると思ったに違いない。

事実、福島正則、前田利長、池田輝政、結城秀康 などから

声がかかっている。

しかし、又兵衛の仕官はいずれも実現しなかった。

見込みある男飛びだす土砂降りへ 柴本ばっは

家中の内部情報に通じている又兵衛の逐電は、

黒田家にとって「一大事」なことで、

長政が緊急「奉公構え」という手段を講じたのである。

「奉公構え」とは刑罰の一種であり、出奔した家臣や改易された者に対し、

大名が出す回状を意味する。

回状を受け取った大名は、該当する者を雇わなかった。

これにより又兵衛の再仕官の道を断たれたのである。

賢治の詩遠く切ない雪になる  森 廣子 



『太平記大合戦』-大坂の陣・後藤又兵衛

その後、又兵衛は京都で長い浪人生活を送った。

そこで勃発したのが、「大坂の陣」である。

又兵衛は豊臣秀頼に招かれ、意気揚々と求められるままに、

大阪城に入城した。

そして真田幸村らとともに、「大坂の陣」で豊臣家のために、

死力を尽くしたが、慶長20年(1615)5月、奮戦空しく討ち死にした。

その戦いを通じて又兵衛の体には刀槍の傷が53ヶ所もあったという。

この記録は、後々伝説として語られるようになった。

六尺を超える勇猛な巨漢の豪傑として、

講談などでは「槍の又兵衛」と呼ばれ、大変人気があった。

狼尾男ビニール傘たたむ  兵頭全郎

     
                           又兵衛と光

「亀甲車とは」

慶尚の晋州城を攻撃するのに長政が使用したとされる亀甲車は、

官兵衛がキリシタンから得た知識から発想したもので、

「黒田長政の士大将後藤又兵衛基次亀の甲といふ車を作り出せり」

とある。 『常山紀談』

いわゆる現地で、加藤清正と又兵衛が図面を見て造ったという。

【構造】 上は亀の甲のように高く盛り上がり、火がつかないように、

表面は毛の方を内側にして牛の生皮を貼り、

下には転がしやすく車輪をつけ、

内部の四隅に柱を組み、

壁は堅牢に厚くして石を投げられても破れない様に。

また、後部には大縄をつけ、

バックも可能に工夫した戦国版戦車である。

この中に後藤又兵衛が入り、敵の城壁まで迫り敵隊を崩したという。

                              きりはり
【説明】 厚板の箱を拵へ内に強き切梁を設け、
                    くだ
石を落しかけても箱の摧けざる手当をし、

箱の内へ後藤入りて棒の棹を指し車を箱に仕かけ、

進退自由に廻る様にして城際へ押詰石垣を崩して乗入けり。

551のぶた饅は削除した  井上一筒

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