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川柳的逍遥 人の世の一家言
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何色で向き合いましょうあなたとは  合田瑠美子

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   平忠度
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「忠度エピソード」

"さゞ波や志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな"

この歌は、忠度が、

「今後勅撰の歌集が作られるようなことがあれば、

  この中から一首でも載せてほしい」


と平家都落ちの際に藤原俊成に託した歌集の中の一首。

その後、「千載和歌集」の選者となった俊成は、

この一首を選んだが、

忠度は、朝敵として死んでいたため、

「詠み人しらず」として載せらたという。

急きなさい影が半分消えている  森田律子


「平家物語⑨-『忠度最期』」

平忠度は、一の谷の西の手の大将軍でした。

その日の出で立ちは、紺地の錦の直垂、黒糸縅の鎧、

太い黒い馬に"い懸け地"の鞍を置いていました。

100騎ほどで源氏に囲まれていました。

しかし、少しも騒がず、防ぎ、防ぎながら退却していました。

そこに、武蔵の国の住人で岡部六弥太忠純が、

「よき敵」と目をかけ、馬を駆けさせて追いかけました。

白黒をはっきりさせたがる右手  清水すみれ

「あれはいかに。よき大将軍とこそ見える。

見苦しくも敵に後ろを見せるものかな。返せ、返せ」


岡部六弥太がそう声を掛けると、

忠度は振り返って「味方ぞ」と声を掛けましたが、

振り向いたその甲の内を見ると、

歯を黒く染めていました。

後ずさりしながらジャブをくり返す  三村一子

岡部六弥太は、

「あれ味方に、お歯黒をした者はいない。

いかようにも、これは平家の公達に間違いない」


と馬をおし並べて組みました。

それを見た忠度の兵たちは、

諸国から集めた借りものの武士でしたので、

1騎も戦おうとせず、われ先に皆、逃げていきました。

見なかったことにしますか果たし状  新川弘子
 
忠度は熊野育ちのうえに、噂に聞こえた怪力で、

屈指の早業の持ち主。

岡部六弥太をつかみ、

「味方といっているので、

  味方ということにしておけばよいものを」


と、引き寄せ馬の上で二太刀、落ちていく時に一太刀、

合計で三太刀、突きました。

二刀は鎧の上なので通りませんでしたが、

一刀は内甲へ突き入れました。

しかし、浅傷なので致命傷にはならず、

取り押さえて、首をかこうとしました。

ひとことの棘で沼底にしゃがむ  たむらあきこ

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そこに岡部六弥太の童が遅ればせながらやってきて、

馬から飛び降り、太刀を抜き、

忠度の右ひじを、根元から切り落としました。

忠度は、もはやこれまでと思ったのでしょう、

「しばしのけ。最後の念仏を十回唱えさせろ」

と岡部六弥太をつかんで、弓の長さ程投げ飛ばしました。

その後、西へ向かい、

「光明遍照十万世界、念仏衆生摂取不拾」

と唱えているときに、念仏が終わってもいないのに、

岡部六弥太が後ろから、忠度の首を取りました。

枇杷の樹と夾竹桃に割って入る  岩根彰子

岡部六弥太は、よい首を取ったとは思いましたが、

名前を誰も知りませんでした。

しかし、えびらに結び付けられた文をほどいて、

見てみると、「旅宿花」という題の歌が一首、

詠まれていました。

"行き暮れて木(こ)の下陰を宿とせば 花や今宵の主ならまし"

そこに、忠度と記されていました。

ポップコーンになって診察室を出る  小川佳恵

岡部六弥太はようやく、

薩摩の守・平忠度を討ち取ったことを知りました。

すぐに首を太刀の先に貫き、高くかかげ、

大声で、

「このごろ、日本国に鬼神ありと聞こえた薩摩の守殿を、

  武蔵国の住人・岡部六弥太忠純が討ち取った」


と名乗りました。

敵も味方もそれを聞き、

「ああ残念だ。

  武芸にも歌道にも優れ、よき大将でもあった人を」


と皆、鎧の袖を濡らしました。

カチリっと鍵 別れの音ですね  くんじろう

「忠度ーその他の代表句」(平家物語)

 別れ路を何か嘆かん越えて行く関も昔の跡と思へば

 月を見し去年の今宵の友のみや都に我を思ひ出づらん


ポケットに溜ってしまう日の欠片  佐藤美はる

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     忠度供養塔               忠澄墓・石碑

「岡部六弥太忠澄のこと」

岡部六弥太 が平忠度の菩提を弔うため、

「清心寺」(埼玉県深谷市萱場)内に建てた供養塔。

また清心寺から約2キロほど離れた普済寺には、

岡部六弥太の墓と


「行きくれて木の下陰を宿とせば 花やこよひの主ならまし 忠度」

と書かれた平忠度の句碑がある。

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「岡部六弥太忠澄の墓」案内板)
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「忠度を討った岡部六弥太忠澄は、

源義朝の家人として保元・平治の乱に活躍した。

その後、源氏の没落により岡部にいたが、


治承4年(1180)、頼朝の挙兵とともに出陣し、

はじめ木曽義仲を追討し、その後平氏を討った。

特に一の谷の合戦では平家の名将平忠度を討ち、一躍名を挙げた。

恩賞として荘園5ケ所および伊勢国の地頭職が与えられた。


その後、奥州の藤原氏征討軍や頼朝上洛の際の、

譜代の家人313人の中にも、

六弥太の名が見える。

忠澄は武勇に優れているだけでなく、情深く、

自分の領地のうち一番景色のよい清心寺に平忠度の墓を建てた」


膝の水を抜く空海的な意味  井上一筒

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