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川柳的逍遥 人の世の一家言
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氏素性たどれば おでんの厚揚げ  山口ろっぱ


            鍵曲 (萩の町造り)

鍵曲は、道を鍵の手にように曲げ、
左右を高い土塀で囲んで見通しを悪し、敵を迷わせ、
追いつめやすいように工夫して造られたものです。


「名前の話」

現代の日本社会において、人間は産声を上げて

この世に生まれる時から、他人と区別されるように名前が与えられ、

そして、成長するとその「名前」を以って社会に入り、

社会生活を営んでいくことになる。

しかし、いかに識別のためとはいえ、中世の時代においては、 

日本の個人名の種類は多く、幼名・実名・通称・字・別号・

法名・戒名と場面が変わるごとに変えている。

今時の寿限無寿限無を何と読む  藤本秋声

それを名前研究科に説明してもらうと、次のようになる。

「飛鳥から院政時代までの日本人の個人名の変遷を

   一言にまとめると、名前の種類とその役割分担が

   徐々に明確化してきた歴史である。

   個人の識別という名前の基本機能からすれば、

 一個人の名前の種類が多ければ多いほど、

 識別に支障をもたらすことになる。

 にもかかわらず、古代の日本人は、

 何種類もの個人名を同時に持つことに,喜びさえ覚えたのである」

歳月をコント仕立てにして暮れる  佐藤美はる



例えば、吉田松陰の場合、

幼時の名字は杉。幼名は寅之助。

吉田家に養子入り後、大次郎と改め。通称は寅次郎。
いみな のりかた
諱は矩方。字は義卿、号は松陰、戒名は、二十一回猛士となる。

一般的には 武士の名前は「姓・通称・諱」で構成される。

この本当の名前をといい普段使用する名前をという。

また元服により名前を変える前の名前は、幼名という。

幼名を使う理由は、時代的に兄弟の数が多い割りに元服するまで、

生きる子供が少なかったために、二郎や次郎などのように  

番号的な名前をつけ、元服を無事果たしてののち、

ちゃんとした名前を与えた。

番号で呼ばれる暗いところかあら  河村啓子

西郷隆盛の場合、

幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、

吉之助と順次変えた。
                                 なんしゅう
元服時には、隆永、のちに武雄、諱は隆盛。号は南洲。

尚、隆盛の名は、王政復古の章典で位階を授けられる際に、

親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名を届けたため、

それ以後は父の名と同じになった。

都合よく拾って脚色する耳だ  岩根彰子


  楫取素彦が寄進した井戸

「改名変名」

幕末の尊王攘夷派の武士は、幕府の追及を逃れるために、

多くの「変名」を名乗った。

楫取素彦は、松島家に生まれ、幼少の折は松島久米次郎

小田村家を継いで小田村伊之助となり次いで文助という名も持つ。

元治元年の禁門の変で、義弟の玄瑞は責を負い自刃したものの

変の主謀者のひとりとしてのレッテルを貼られ、

実兄の松島剛蔵は、洋学の第一人者として活躍していた罪で

処刑されている。この時、

これらの連座を心配した藩主の計らいで、素太郎と名乗っている。

また藩命で大宰府に赴いた時には、

塩間鉄造の名をつかっている。

将軍・徳川慶喜「大政奉還」を上申し、

さらに「王政復古」の大号令が出されて

世の中がさらに騒がしくなったころ、藩命により、

楫取素彦と改名している。(慶応3年〔1867〕9月24日)

とぼけたいシーンで使うホホホホホ 清水すみれ

木戸孝允は生家では、和田小五郎と言ったが、

家名存続のために桂家を継いで桂小五郎と名乗った。

元治元年の「池田屋事件」では運よく難を逃れ、

「禁門の変」で長州藩が敗退すると、但馬での潜伏後に帰藩。

対幕抗戦の藩論で活躍した。

また坂本龍馬の斡旋で小松帯刀、西郷隆盛らと「薩長同盟」を結ぶ。

(因みに、坂本龍馬と桂小五郎を引き合わせたのは、小田村伊之助で、
   そこから薩摩・西郷との
同盟につながっていことを忘れてはならない)

そして慶応元年、幕府の追及から逃れるために、

藩主・毛利敬親に願い出、「木戸姓」を許されて、

木戸準一郎を経て、木戸孝允と改名した。

男には黙って渡る橋がある  小林妻子


  井上 馨

井上馨は生家が井上家だが、一時、志道家の養子となって、

志道聞多と称した。

後、井上姓に戻り井上聞多となるが、幕府から逃れるために

春山花輔、高田春太郎、山田新助など多くの変名を用いた。
                    りょうてき
久坂玄瑞は、長州藩の医師・久坂良迪の二男として生まれ、

久坂秀三郎・誠・義質・義助へと名前を変えている。

文への手紙にも、京の危険な現状を伝え、変名を使用している。

因みに西郷隆盛変名は、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門

大島吉之助などを使っている。

「余談」

どうして天皇には、姓名がないのか?

大名から町人に至る民衆は、出自を明確にするため、

姓を名乗らされた。

一方、天皇は「出自」が明確な為に姓を持つ必要がなかったのである。
          おもうさま  おたあさま
家に帰れば御父様  御母様  田口和代

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