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川柳的逍遥 人の世の一家言
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咲くときの顔になるまで火の匂い  前中知栄



   樋口一葉

樋口一葉が「萩の舎」に学んだ当時は、

「平民組」のひとりとされ、大勢を占める上層家庭出身の門人らとの

生活格差に悩むことも多かったという。

「女流文学ー②」

樋口一葉 明治5年、東京府の官吏だった樋口則義・滝子の次女。

15歳のとき「萩の舎」に入塾して和歌を学ぶ。

だが父が他界し、戸主として一家を支えていくため、

筆一本で食う決意を固める。
        か ほ
同門の花圃が女性初の小説『薮の鴬』を発表した事に刺激を受けたのだ。

『東京朝日新聞』の作家・半井桃水の門を叩いた一葉は、

小説の指導を受ける。  桃水は、

「女性の書き手による女性の登場人物の言葉づかいは女らしさに欠ける」

と指摘。

一葉は、この「言葉づかいが女らしくなるよう」に書くのに苦労したという。

バラ描いたのにカーネーションと言われ  俣野登志子

その後、桃水が主宰する雑誌『武蔵野』

処女作『闇桜』などの短編を発表したが、筆一本で食うことができず、

本郷菊坂町から下谷龍泉寺に転居して雑貨屋を開業。

上野図書館に通って書を読み、創作をつづけた。

やがて雑貨屋も畳み、本郷丸山福山町に転居。

肺結核に冒されながら24年半の生涯を閉じるまでの1年余りのあいだに、

一葉は、『たけくらべ』・『にごりえ』など、

井原西鶴に影響を受けた文語体で代表作を生んだ。

生きていますと門燈をつけに行く  徳山みつこ



   与謝野晶子

生活の困窮を支える為の精力的な文芸活動のかたわらで、

夫や西村伊作とともに男女平等教育など、

自由な方針を掲げる専修学校・文化学院の創設にも関わっていた。

与謝野晶子 明治11年大阪で和菓子屋を営む鳳宗七・つね

三女として生れた。 一葉よりも6歳年下。

家業を手伝いながら『源氏物語』など古典を独学し、

東京新詩社・「明星」に加入。

主宰者・与謝野寛(鉄幹)と不倫関係に陥った。

誹謗中傷を浴びながらも上京して寛と同居、やがて結婚。

背徳のほのかな匂い人を魅す  前岡由美子

「くろ髪の千すじの髪のみだれ髪 かつ おもひみだれおもひみだるる」

などを収めた歌集・『みだれ髪』は、ストレートな恋愛表現のため、

世間からは不道徳と謗りを受けたが、評価もまた高かった。

日露戦争に従軍する弟を思って書いた詩・「君死にたまふことなかれ」は、

反戦詩として世間を騒がせた。

外遊中の夫を追って欧州に渡ったり、『源氏物語』の口語訳をしたり、
 せいとう
『青鞜』の賛助員として作品を寄せるなど、

昭和17年に他界するまで、精力的に生きつづけた。

秋風ものせてあなたに流れます  辻部さと子



   平塚らいてう

文学の枠におさまらない広範かつ精力的な活動で女性の地位向上に貢献した。

平塚らいてう 昌子より8年後、明治19年東京において、

高級官吏の父・平塚定二郎さやの三女として生れた。

日本女子大学校家政科に入ったのち、英語を学んだ。

父との葛藤に悩み、ナショナリズムの高揚にも疑問を抱いて参禅。

心の自由を得る。
 けいしゅう
「閨秀文学会」で知った作家・森田草平との「塩原心中未遂事件」で、

スキャンダル渦中の人となり、謹慎。
              
文学の師・生田長江に勧められ、婦人文芸集団「青鞜社」を興し、

同人誌・『青鞜』を発刊する。

創刊号に書いた女権宣言-「元始、女性は実に太陽であった」が有名。

わたくしの息で曇った窓ガラス  古久保和子



    青鞜社の面々

(後列左から2番目がらいてう)

青鞜社は文京区の千駄ヶ谷にあって、らいてうら20代の女性人5名を

発起人として明治44年に発足。

諸々の事情があり5年で閉社される。

寄稿を乞われた与謝野晶子は、賛助員として、たびたび詩歌を寄せている。

性を語ることがタブーだった当時、

「姦通」「貞操」「堕胎」「廃娼」「性欲」「同性愛」などをテーマにしたことで、

青鞜はたびたび発売禁止処分を受けた。

青鞜社が「新しい女の集団」と非難されると、

らいてうはみずから「新しい女」と名乗り、

古い道徳、習慣、法律を破壊すると宣言。

画家・奥村博史と同棲し、「結婚」に反対し、入籍を拒否した。

癖のある影ですたぶん私です  オカダキキ

「女流文学のすえ」

一葉、昌子、らいてう以後、野上弥生子、宮本百合子、林芙美子、円地文子、

宇野千代、中里恒子、岡本かの子、平林たい子、佐多稲子らが、

女流文学の中心にいた。

戦後になってようやく女性が自由にものを書く時代を迎え、

昭和21年に「女流文学者賞」が設立されたが、

平成12年にその幕を閉じた。

もう女流文学の四文字を必要としない時代になったのかもしれない。

僕が逝ったあとも続いてゆくこの世  たむらあきこ

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