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川柳的逍遥 人の世の一家言
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痛そうに咲く脇腹のカキツバタ  井上一筒

 

碑石を支える亀形の台石
                  (画像は拡大したご覧下さい)

鶴ヶ城の東方、東山温泉入口近くの山中に、

約15平方メートルという広大な墓域をかめるのが、

会津藩歴代藩主が眠る、会津の聖地ともいうべき会津松平家廟所である。

これだけの規模は、全国大名家墓所のなかで珍しく、

会津藩の威容がうかがえる。

起立して礼して霊は着席す  兵頭全郎

明暦3年(1657)、藩祖・保科正之の嫡男・正頼が18歳で病死した折に、

正之の命によって墓所と定められ、

2代・正経から9代・容保までの歴代藩主のほか、

正室・側室・子女の墓が並んでいる。
                               まさかた
2代・正経のみ仏式で葬られ、3代目・正容以降の藩主は神式で、

正之の形態にならっている。
                           はにつ
なお正之の墓所は、猪苗代町の土津神社にある。

ためつすがめつ雲梯の吐息  酒井かがり

3代以降の歴代会津藩主の墓は、

霊を祀る鎮石、石灯籠、事績を記した碑石で一組となり、

特に碑石は巨大な亀形の台石に設置され、

すべて北を向いている。

また、亀の大きさが代が下ることに小さくなっているのも面白い。

なお明治26年に逝去した悲運の藩主・容保は、

大正6年になり晴れてこの地に移葬されることとなった。

点線で囲むと居場所出来上がる  合田瑠美子

昭和62年に国指定史跡に登録され、現在も毎年5月4日に、

歴代藩主の霊を鎮める墓前祭「院内ご廟お花まつり」が、

松平家当主が祭主となり行われている。

墓前祭「院内ご廟お花まつり」は、

神主が祝詞をあげて参列者が遥拝する非常にシンプルな祭りであるが、

地元の松平奉賛会や青年会議所の多くが、

数日も前から墓の掃除や諸々の準備のために集まるという。

今尚、会津の絆の厚さを感じさせている。

集うては屋上からの四季の色  徳山泰子

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