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川柳的逍遥 人の世の一家言
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あやまち多き身に太陽は傾いて  森中惠美子

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二位尼坐像 (宮島町立歴史民族館)

池禅尼が、情にほだされておかしたミスが、

「平治の乱」における頼朝の助命であった。

逃亡中に義朝とはぐれて捕えられた頼朝が、

亡き家盛に生き写しだったことから、

禅尼は、「自分の命に代えても助けたい」

と清盛に懇願したという。 『平治物語』

どの顔も犯人に似る免許証  奥山晴生

もとより清盛は、斬首するつもりであったが、

継母のたっての願いに負けて、

伊豆への配流にとどめたのである。

≪頼朝が家盛と似ていたかどうかは、確かめようがないし、

    そもそも
「それが助命の理由だったのかどうか」もわからない≫

ただ、禅尼の厚意によって頼朝の首がつながったことは

『愚管抄』にもあり、平家都落ち以後の、

平頼盛に対する頼朝の待遇をみても確実である。

我が胸に敵も味方も棲んでいる  庄田潤子

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清盛にしてみれば、頼朝ひとりを斬ったところで、

「どうなるものでもないし、これ以上血を見たくない」

という思いもあったのだろう。

「保元の乱」で死刑の復活を命じた信西の首が

獄門にさらされたばかりでもあり、

復讐の連鎖が繰り返されることを、

恐れたのかもしれない。

しかし、頼朝を助命した最大の理由は、

何よりも、継母である禅尼への、

遠慮であったのではないだろうか。

偶数で囲むと風邪をひく男  森田律子

頼朝死後の北条政子の例もあるとおり、

武家では棟梁の死後、

その正室が家長を代行する立場になることがあった。

清盛がいくら家督であっても、

慣例的に、父・忠盛の正室である禅尼の意向は、

尊重しなければならない。

加えて、「保元の乱」における恩義もあるならなおさらだ。

善玉の綿に限界説の壁  井上一筒

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禅尼は長寛2年(1164)ころに、亡くなったといわれるが、

それ以後も頼盛は、重用され続けた。

頼盛の妻は、大荘園領主として隠然たる勢力を誇った

八条院(鳥羽上皇の娘)の乳母の子だったことから、

頼盛には、八条院と平家を結ぶ懸け橋としての役割が、

期待されたと考えられている。

また、頼盛は自ら大宰府に下って貿易に取り組み、

福原にも豪壮な別宅を建てるなど、

日宋貿易に理解と共感を寄せていたから、

清盛としても、頼もしく感じるところがあったに違いない。

また君かいとテトラポットは温い  酒井かがり

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   紺地金泥法華経

では、ふたりの関係は絶えず円満だったのだろうか。

嘉応2年(1170)清盛頼盛が協力して、

「紺地金泥の法華経」を書写し厳島神社に奉納したのは、

兄弟の結束を確認する意味もあったのだろう。

逆にいえば、

結束を確認しなければならないような、すきま風が、

絶えずふたりの間に吹いていた、とみることもできる。

事実、治承3年のクーデターでは、

頼盛は、清盛によって解官させられただけでなく、

清盛が「六波羅の頼盛を攻める」という風聞までたっている。

三日月うぃ絞るうっすら血が染む  笠嶋惠美子

しかし、実際に清盛が頼盛を攻めることはなく、

まもなく朝廷への出仕を許されて、

その後も、順調に昇進を重ねた。

たとえ、煙たい弟であっても、

断絶を決定的にしてしまえば、一門の結束にひびが入る。

それを清盛は恐れたのだろう。

禅尼の決断により、一門が結束して、

保元の乱を乗り越えた経験は、清盛の心に、

一門融和の大切さを、刻み込ませたのかもしれない。

切ないね棘ある水に馴染んでる  岩根彰子

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しかしその頼盛も、

清盛死後は主流派と距離をおいた。

その結果、寿永2年(1183)「平家の都落ち」では、

途中まで行幸に従いながら、

突如車を返して、京に逃げ戻り、

あろうことか頼朝を頼って、身の安泰をはかったのである。

鎌倉に下った頼盛は、子どもたちともども、

頼朝に手厚くもてなされた上、

頼朝の口添えによって、

都落ちの際に没収された所領を取り戻し、

正二位権大納言に返り咲いた。

長生きのためにプラグは抜いている いわさき妖子  

禅尼の温情は、平家滅亡の遠因となったが、

息子の命だけは救うことができたわけだ。

しかし、一門を裏切ったという自責の念は、

頼盛の心身をむしばみ、

平家滅亡の翌年、文治2年(1186)6月、

54歳で帰らぬ人になる。

蹴った樹のしずくに濡れる自己嫌悪  有田一央

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