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川柳的逍遥 人の世の一家言
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やがて身は溶けて吸われる樹液かな  山田ゆみ葉

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   山本覚馬 建白書

「会津藩の怒り」

薩摩は会津と盟約したかと思えば、

密かに長州と結ぶなど表裏定かでなく、

謀略をも厭わなかった。

薩摩の標的でなかった南部藩家老・楢山佐渡ですら、

その横暴ぶりに義憤を覚え、

奥羽越列藩同盟に加わったほどだ。

ましてや、

当事者たる会津の心境たるや推して知るべしである。

山本覚馬とて、怒りを禁じ得なかったはずだ。

固い背がまだ許さない許せない  高橋謡子

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薩摩藩邸があった同志社大学のキャンパス

しかし覚馬は、伏見の会津軍に向かう途中、

薩摩藩に捕縛され、

京都二本松の薩摩屋敷の牢に収監される。

牢といっても稽古場をにわかに改造したもので、

畳敷きで夜具もあった。

西郷を知る覚馬は、優遇され、読書も自由だった。

≪覚馬はここで新国家構想を示した。

革新的な『管見』を口述筆記させ、勤皇の有職者たちを驚かせた。

その内容は三権分立や二院制をはじめ、

商工業振興や税制改革、能力主義の人材登用など、


日本の近代化を進めるにあたって、

具体案を23にわたる項目で論じたものだった。

「管見」のなかでも感心させられるのは、

「教育」と「物づくり」を重視している点である。

「教育」と「物づくり」を核にした国づくりという構想が、

いかに的を射たものであったかは、

その後の日本の発展が証明している≫


生駒聖天に黄色を塗りに行く  井上一筒

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囚われの身となった覚馬は、それでもなお、

怨讐を捨て争乱の拡大を抑えようとする。

旧幕府方が朝敵とされ、

大坂から江戸に向けて敗走したこと、

さらに新政府軍が江戸に進軍中であることを知ると、

自ら和平の使者となることを願い出るのだ。

「私が慶喜公と容保公を説得し、矛を収めさせましょう。

  もし新政府軍があくまで追討すれば、

  わが会津藩は、一兵残らず討死するまで戦うでしょう。


  そうなれば日本の国力が衰えるばかりで、

  外国の乗ずるところとなります」


風の樹は風になるまで勇ましい  田中博造

覚馬はもちろん、会津を愛する気持ちは強かったが、

それ以上に、日本そのものを守ろうとしていた。

視界から光が失われれば失われるほど、

覚馬の視野はむしろ広がりを見せ、

自分が会津藩士であると同時に、

日本人であることに目覚め、

「今は国内で争うべきではない」

と痛感したのである。

ルーズになってくる日本列島のかたち  森中惠美子      

しかし、覚馬の嘆願が聞き入れられることはなかった。

その直後に記した建白書『管見』も、

先進的な内容で西郷や小松を瞠目させたものの、

新政府軍の動きを阻止するにはいたらなかった。

遺言はなし伝説になりました  石橋能里子

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