ロンパリ!考える椅子
川柳的逍遥 人の世の一家言
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萱野権兵衛
生き延びて陰に廻れば風神雷神 墨 作二郎
日新館天文台跡
會津藩校・日新館の施設の中で、
戊辰の役の戦火から唯一残った「天文台跡」。
さかのぼれば藩祖・
保科正之
は
渋川春海
を重んじ、
会津藩と天文学の縁は深い。
日新館では、天文学の授業も行われていた。
基底 12間余
(21.71m)
、台上部 5間半
(9.9m)
、高さ 3間半
(6.4m)
(画像をクリックすると拡大されます)
不連続線というけどずっと雨である 田中博造
「萱野権兵衛ーエピソード」
萱野権兵衛
の自刃の時刻がせまる。
権兵衛は保科家、松平家の家臣たちに別れをつげ、
静かに別室に入る。
しばらくして介錯人・
沢田武司
が帰ってくると、
「事は無事おわりました。死に臨み従容自若、
顔色すこしも変わらず、
誠に立派なご最期でございました」
と報告した。
声がした気がする散りぎわの椿 片岡加代
自刃直前に権兵衛は沢田に語りかけた。
「腰のものは、貴方の常に差している刀か」
権兵衛の問いに、
「実は保科家から忠臣をもてなす道として、特に下されたもの」
と沢田が言葉を返すと、権兵衛は、
「見せてもらいたい」
という。
そして権兵衛は、その刀を沢田から受け取り、鑑定しながら、
「貞宗の名刀ではないか」
と言い当てたという。
さざれ石なってからはよく喋る 一階八斗醁
その後、権兵衛は、丁重に刀を沢田に返すと
「最期に臨んでよい目の保養をした。見事にお願いする」
といい、神色自若、一糸も乱れなかった。
権兵衛と最後まで一緒だった
浦川
も
「その朝も言語・動作すべて平生と変わらず、
いま死地につく人とは思われない静かな表情で、
別に遺言する事もないと述べられた」
と述懐している。
権兵衛享年四十一歳。
戒名は報国院殿公道了忠居士。
≪権兵衛の遺族には
、松平容保
から金五千両、
のぶのり
自刃見舞いとして、銀二十枚、
喜徳
からは銀十枚、
照姫
から銀二枚を下賜されている≫
右心房一拍おいて右心房 酒井かがり
[2回]
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y2013/07/31 09:30 z
CATEGORY[ポエム&川柳]
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