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川柳的逍遥 人の世の一家言
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棘の深さを夢の深さと思ってみる  大西泰世

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戦傷兵の手当てに活躍する城内の婦女子たち 

(〔長谷川恵一画〕)
     (画像は拡大してご覧下さい)

「籠城戦の中で」

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城の中は多くの人たちが集まっていた。

先ず女たちは、誰に言われた訳ではないが、

手際よく、米を磨ぎ、飯を炊き、兵士たちのための、

「握飯」を作り始めた。

大釜を幾つも並べ、火を熾し、炊き上がった飯から、

順々に握り始めた。

「炊きたてで熱いわよ」

「水で手を冷しながら握るといいわよ」

「熱っ!本当に熱いけど、戦っている男衆のことを思ったら、

  何でもないよ」

「手に付いた米粒が桶に溜ったら、あとでお粥にするからね!」

「お焦げも捨てないでね、あとで女衆は、

  それをいただきましょう」


などと実に結束しているのだった。

平凡がいいと握った塩むすび  太田 昭

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また女たちは、「弾丸作り」も積極的に参加していった。

西軍の銃撃は激しく、城中からも応戦するのだが、

銃弾や大砲の弾が間に合わないほどだった。

そこで女も、兵士に教えてもらいながら弾丸作りをし、

出来上がった重い弾丸を運ぶのであった。

百個を一箱に詰めて運ぶのだが、

八重は、火事場の力持ちのごとく、

二箱も三箱も肩に担いで運ぶものだから、

男装していることもあって、

「三郎さん頑張るね!」

「力持ちだな、三郎さんは!」

「たよりにしてるよ三郎さん!」

「頑張り過ぎるなよ三郎さん!」


と、兵士たちは八重をねぎらうのであった。

振り向くとみんな大きな愛でした  牧渕富喜子

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籠城戦も日をかさねて行くと、

敵の弾に当って負傷する者がでてきた。

薬も充分ではないが、八重たち女子は、

かいがいしく手当てをしていった。

しかし、ある晩のこと、

長い廊下に一列になって兵士が寝ているのを見つけて、

八重はびっくりしたものだった。

―よほど戦いに疲れておられるのだなあ、

  風邪でもひかれたら大変だ。


と灯火をつけると、

寝ているのではなく死んでいるのであった。

―この人たちの分も戦わなくては!

再び強く決意する八重である。

夕日かも知れず隣の独り言  蟹口和枝

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八重も何度か危険な目にあっていた。

籠城後三週間ほど経った頃、攻撃が激しさを増していった。

御女中見習いから側女中格になった八重が照姫の命で

食事を運んでいた時のこと、

敵の砲弾が足元近くで破裂したことがあった。

幸いにも直撃しなかったが、

土ぼこりで盆のおにぎりは泥だらけになるわ、

一緒に運んでいた女たちも皆、土をあび、まっくろな顔になった。

恐怖心よりも驚きと可笑しさの方が勝って、

皆大笑いしてしまった。

プロセスの涙に疎い土踏まず  中井アキ

銃弾が当りそうになり間一髪命拾いしたこともあった。

弁当を運んでいる時に、

チョットかかんだ拍子に弾が頭をかすめたのだ。

この時も運がよく、その前に知り合いになった兵士の一人が、

「三郎さん!頭を守りなよ!」 と言って、

くれた帽子をかぶっていたため、

その帽子がはじき飛ばされて八重の身代わりとなった。

鈍いふりして針の山生き延びる  あかまつゆうこ

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新政府軍となった敵の総攻撃が始まったのは、

9月の半ばのことであった。

そのすさまじさは、

月見櫓を守っていた老人が飛んできた砲弾を数えたところ

2000発を超えたという。

藩主・松平容保も大砲の威力や銃の重要性を再確認し、

城内に居る砲術に詳しい者を問い、

八重が推挙され、

御前で敵の不発弾を分解し、説明をした。

プラチナの匙真夜中を裏返す  井上一筒

城を見下ろす小田山に連合軍が砲列を敷き、

攻撃してきたので、

三の丸の土手から集中的に応戦することになった。

政府軍がアームストロング砲を撃つのは、

東に1360m離れた要衡・小田山から。

会津藩も大砲隊士や川崎尚之助らが、

小田山に向け四斤砲で撃ったが、空しい攻撃だった。

雨雲がぎっしり覆う後頭部  笠嶋恵美子

銃弾運びも忙しくなり頻繁に行ききしていた八重が、

尚之助に出会ったのも、そんな戦いのさ中であった。

開戦以来消息が判らなかった夫であったが、

尚之助と見つめあった八重は、

―生きていらしたのだ、よかった。

という思いでしばらく言葉がでてこなかった。

尚之助も同じ思いらしく、ただ八重をじっと見つめていた。

一筋のひとすじの道生きて来た  河村啓子

三の丸の大砲隊を指揮していたのが夫であったのだ。

憔悴しきったような夫を見つめて、

「お前さまどうなされました?お疲れのようですが?」

「ああ、人手がたりなくてな」

「では、私がお手伝いいたします」

「助かる!」


西軍の激しい砲撃に対して、八重の助けも加わり、

尚之助は敵砲の攻撃を黙させることができた。

しかし多勢に無勢であるこの戦は、

尚之助が指揮する砲台だけでは無力であった。

不連続というけどずっと雨である  田中博造

鶴ヶ城を取り囲んだ政府軍の数は3万人を超え、

9月14日、総攻撃がはじまった。

早朝から日暮れまで砲弾が雨あられと降りそそいだ。

会津藩は、窮地に立っていたが、

弱みを見せるわけにはいかなかった。

その一策が凧揚げだった。

凧揚げは降伏する日まで続いたという。

満潮の時も鼻だけ沈めない  寺川弘一

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