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川柳的逍遥 人の世の一家言
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わたし達途方にくれる接続詞  桑原すヾ代


      画像をクリックすれば拡大してごらんになれます。
「西郷隆盛の顔」


西郷隆盛は、なぜ写真を一枚も残さなかったのか?

安政4年(1857)薩摩藩は、日本初の写真撮影に成功した。

モデルになったのは、西郷が神のように尊敬する島津斉彬である。

写真撮影の翌年、斉彬が急死したことから、純粋で生一本の西郷は、

「魂を抜かれた」と思い込み、主君の命を攫った写真を嫌うようになった。

というような説もあって、明治11年(1878)西南の役で西郷が斃れた翌年、

写真が残されなかった
西郷の肖像画が描かれた。

それを描いたエドアルド・キョッソーネは、大蔵省の「お雇い外国人」として

来日したイタリア人画家であり彫刻家である。

ここでは余談になるが彼は紙幣印刷の技術を日本に教えるために来たのである。
そのお陰があって、日本の紙幣、切手、証券証書など本格的な印刷技術が
日本に根付いたことは言うまでもない)


輪廻用唇は優しく保存  山口ろっぱ


キョッソーネの描いた西郷 各写真は拡大してご覧ください)

キョッソーネは、西郷と面識がなく肖像写真も存在しないため、
つぐみち
西郷の弟の西郷
従道や、従兄弟の大山巌の風貌を参考にして、

モンタージュ写真のように
作成したという。

以後、キョッソーネの肖像画をモチーフにして、上野の西郷の銅像が作成

されたのをはじめ、数多くの西郷の肖像画や錦絵などが創作された。

私たちは創作されたその顔が西郷だと信じているが、モデルになった従道

大山だけでなく、西郷の指揮下にあった兵士など、その風貌を知ってい

る人間
が存在する時代において、「実物と違う」との声もなく流布してい

ることを考えてみるとき
、太い眉毛、大きな目、ふくよかな頬という西郷

の風貌は、動かし
がたい真実だと思う。

面の皮は超極暖ヒートテックです  酒井かがり

「写真嫌いを貫いた西郷のエピソード」

1、「魂を抜かれる」

尊敬する島津斉彬が日本初の写真を写した翌年に急死したことから、

主君は
「魂を抜かれた」と思い込み、以後、写真を嫌うようになったとは、

先に述べたが、昭和の中期ころまで、「三人の真ん中で写ると死ぬ」とか

「魂わ抜か
れる」と真顔で写真撮影を拒否する人がいたくらいだから、

幕末に
そのような迷信の生まれるきっかけになったとしても不思議はない。

三寒四温その冗談は重過ぎる  美馬りゅうこ

2、「暗殺を恐れた」

薩摩藩が米国に6人の留学生を長崎から密航させて、マサチュウセッツ州

モンソンアカデミーに留学させた。その留学生の中にいた仁礼景範が、

現地で親しくなった友人から、「リンカーン暗殺」の話を聞いた。


彼は帰国後、西郷の側近にリンカーン暗殺の決め手となったのが、

新聞に
掲載されたリンカーン写真でだった。その話を耳にした西郷は、

「不穏
な時代だけに自分を憎み恨むものも多いだろう」と顔写真が出回る

ことを避
けた。因みに「西郷暗殺計画」が事実として存在する。

ブラックユーモアの好きな桜です  森田律子       

3、「大久保利通に送った手紙」

明治5年のこと、岩倉遣欧使節団の副使として欧米視察中の大久保利通

西郷に洋服姿で撮影した写真を送った。その写真に対して同年2月25日

東京から送った大久保への手紙で、西郷は次のように書いている。

「尚々貴兄の写真参り候ところ、如何にも醜態を極めた候間、

もう写真取りは
御取り止め下さるべく候。誠に気の毒千万千万に御座候」


「みっともないことはお止めなさい」と西郷は大久保を咎めている。

この6年後、大久保は不平士族に暗殺されている。

自己主張ばかりしている鰤大根  合田瑠美子

4、「孫・西郷吉之助の代弁」

西郷は明治天皇から、強く写真を所望されたが、丁重に断わっている。

それからも明治天皇は、ご大礼服。皇后様は十二単という天皇皇后の

額入り
のご真影を西郷に送り、再度、西郷の写真を欲しがられた。

それも西郷は断わった。

西郷の孫・吉之助は、この時の祖父の気持ちについて

「自分のように醜い姿を写真に撮って天皇に献上する如きは、

もってのほかである」と謹直で堅い考えがあったのではと伝えている。


掴まれた尻尾自分で切りおとす  三村一子

「どの西郷が好きですか」


肥後直熊の描いた西郷

西郷の末弟である小兵衛の未亡人・松子さんの証言。
「肖像画の西郷は右横向きだが、髭の剃り跡、腕の毛脛までもが精緻に描
れている。これまで多くの肖像画があるが、この絵は生前の温容を最も
よく
写したもので、あたかも西郷さんを眼前で見るようだ」と言っている。



床次正精の描いた西郷
                    
西郷と同じ薩摩藩士出身の画家、床次正精とこながまさよし)は西郷と面識が
あり、
彼の描いた西郷は実物によく似ている、と言われている。

ちゃうちゃうちゃうそんなんちゃうと嬉しそう 
                    雨森茂喜



石川静正の描いた西郷

荘内藩士・石川静正は明治3年11月と明治8年4月に鹿児島の西郷を訪
ねている。このときの印象をもとに年月をかけ隆盛の肖像を描いた。

隆盛夫人、遺子などの鑑定により、真に迫る一品といわれている。


平野五岳作の描いた西郷

平成15年、大分の日田市で発見された肖像画で幕末・明治期に日田で
活躍した文人画家・平野五岳が、掛け軸に描いた水墨淡彩画で、西郷に
面会を申し込む内容の漢詩も記されている。


服部英龍の描いた西郷

都城島島津家のお抱え絵師・中原南渓 が描いた絵が元になったとされる。
こn絵が、着流しで犬を連れている上野の西郷像のモデルになった。

夏は今山門あたりとメールくる  山本昌乃


今はまだ作者不明の西郷

この西郷の肖像画は、2018年1月に鹿児島県崎市で見つかった
西郷の妻・イトの弟のひ孫にあたる若松宏さんは、昨年末に肖像画の存在
を知
た。西郷に会ったことがあるという曾祖母が生前、「西郷さんは考え
事をする際、キセルの柄を目の上に押し付ける癖があり、「まぶたの上が
盛り上がっていた」
側頭部の髪が薄く、耳が長かったとも話しており、
「伝え聞いた特徴と一致して
いると言っている。


ユスリカの小さな銀河を掻き回す  くんじろう


佐藤均の描いた西郷

黒田清輝の門弟・佐藤均が石川静正の西郷の印象をもとに描いた。
隆盛夫人、遺子などの鑑定により、真に迫る一品といわれている。
これまで見てきた絵から一致する西郷の特徴は、
首が長いこと。
短髪でちぢれっ毛であること。
側頭部が薄い(少し禿げている)こと。
耳は大きく、福耳で垂れていること。

がっしりした体型であること。
二重瞼でどんぐり眼であること。
眉毛は太く、目力が強いこと。
おちょぼ口であること。
もしかして写真はあったが、処分したのではないでしょうか?
ひとまず、ここでは、佐藤均の描いた西郷に軍配をあげましょう。

幕引きをせよとささやく影法師  上田 仁

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