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川柳的逍遥 人の世の一家言
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君や得し黎明愛の花ひらく  川上三太郎



これは司馬遼太郎氏が小学生の教科書用に書き下ろした『21世紀に生きる
たちへ』の一文です。人も芽も新生の4月たちに改めてこれを送ります。

『もし「未来」という街角で、私が君たちを呼び止めることができたら、
どんなにいいだろう。/「田中くん、ちょっとうかがいますが、
あなたが今歩いている、二十一世紀とは、どんな世の中でしょう」

『21世紀に生きる君たちへ』 司馬遼太郎

私は歴史小説を書いてきた。

もともと歴史が好きなのである。

両親を愛するようにして、歴史を愛している。

歴史とは何でしょう、と聞かれるとき、「それは、大きな世界です。

かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです」

と、答えることにしている。

私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。

歴史の中にもいる。

そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、

私の日常を、励ましたり、慰さめたりしてくれているのである。

だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、

生きているようなものだと
思っている。

この楽しさは・・・

もし君たちさえそう望むなら…おすそ分けしてあげたいほどである。

人間の真ん中辺に帯を締め  岸本水府

ただ、さびしく思うことがある。

私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。

「未来」というものである。
 
私の人生は、すでに持ち時間が少ない。

例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。

君たちは、ちがう。

21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、

その輝かしい担い手でもある。


もし「未来」という町角で、私が君たちを呼び止めることができたら、

どんなにいいだろう。

「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている

   21世紀とは、
どんな世の中でしょう」


そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、

ただ残念にも、
その「未来」という町角には、私はもういない。


灯が点いて日の短さを知り始め  椙元紋太

だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。
 
もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。

ただ、私に言えることがある。

それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

昔も今も、また未来においても変わらないことがある。

そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動物、

さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ

生きているということ
である。

自然こそ不変の価値なのである。

なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、

水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。

手と足が生えて鯰になりそこね  前田雀郎



さて、自然という不変のものを基準に置いて、人間のことを考えてみた
い。
 
人間は…繰り返すようだが…自然によって生かされてきた。

古代でも中世でも、自然こそ神々であるとした。

このことは、少しも誤っていないのである。

歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、

自分たちの上にあ
るものとして身をつつしんできた。
 
この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
 
・・・人間こそ、いちばんえらい存在だ。

という、思い上がった考えが頭をもたげた。

20世紀という現代は、ある意味では、自然への恐れが薄くなった時代、

いってもいい。

お父さんは覚束なくも生きている  麻生路郎

同時に、人間は決して愚かではない。

思いあがるということとはおよそ逆のことも、合わせ考えた。

つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、という素直な考えである。

このことは、古代の賢者も考えたし、

また19世紀の医学も、そのように考えた。


ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、

科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。

20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、

古代や中世に神を恐れ
たように、再び自然をおそれるようになった。
 
おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、

21世紀に近づくにつれて、
終わっていくにちがいない。

<人間は自分で生きているのではなく、

   大きな存在によって生かされている>

 
と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、

そのようにへりくだっ
て考えていた。

海のしわ浜へ浜へと砂を寄せ  前田伍健

 
この考えは、近代に入って揺らいだとはいえ、右に述べたように近ごろ、

再び、
人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。

この自然への素直な態度こそ、21世紀への希望であり、

君たちへの期待でもある。

そういう素直さを君たちが持ち、その気分を広めてほしいのである。
 
そうなれば、

21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。


そして、自然の一部である人間どうしについても、

前世紀にもまして尊敬しあう
ようになるのにちがいない。

そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

さて、君たち自身のことである。

君たちはいつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。

日月は落ちず再起のちからこぶ  村田周魚

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