サヨナラという言葉の意味は何ですか 竹内ゆみこ
遺言を語る新島襄
枕元で八重、小崎弘道牧師、徳富蘇峰、みねが襄を見守る。
襄は最後の力をふりしぼり、遺言を語り、それを蘇峰が書き止めた。
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「グッド・バイ」
死を間近にして襄は、蘇峰に遺言を筆記させる。
「同志社のための十ヵ条」 と、
門下、友人らにあてた30通に及ぶ遺書である。
八重に対する最期の言葉は、
「狼狽するなかれ、グッドバイ、また会わん」
病名は腹膜炎症。
八重を伴侶として16年目のことである。
そして1月23日、48歳で永眠した。
残像のきみが墨絵になってゆく たむらあきこ
翌日、同志社の全校生徒と職員が迎えるなか、
新島の遺体は京都駅に着く。
一旦、自宅に運ばれ、26日に同志社チャペルで追悼会、
27日に4千人を越える参列者のもと告別式。
実父の眠る南禅寺の塔頭・天授庵に埋葬する予定だったが、
南禅寺から突如、キリスト教による葬儀は駄目との通告を受ける。
急遽やむなく、南禅寺に接する若王子墓地に変更し、
埋葬されることになった。
0という数字あるから困るのだ 柴本ばっは
襄の死後、八重は一階奥の洋間を茶室に改装して「寂中庵」を増築。
裏千家の家元・千宗室からじきじきに手ほどきを受けた。
「宗竹」という号をもらい、師範として弟子を取り、
茶会も建仁寺の住職などを集めて開催する。
女紅場に勤めていた頃に、同僚に宗家十二世の妻がいたことから、
茶道は身近なものだったのだ。
シンメトリーに来る禅寺の雪崩 井上一筒
『同志社のための十ヵ条』
1.キリスト教による徳育、文学や政治などの興隆、学芸の進歩に努めること。
2.真正の自由を愛し、国家に尽くすことができる人物の養成に努めること。
3.いやしくも教職員は学生を丁重に扱うこと。
4.学生たちの本性に従って個性を伸ばすようにして天下の人物を養成すること。
5.同志社は発展するにしたがって機械的に事を処理する懸念がある。
心から、これを戒めること。
つうりん
6.金森通倫氏を私の後任とするのは差しつかえない。
氏は事務に精通し、鋭い才気の点では比類がないが、教育者として人を指導し、
補佐する面では徳がなく、あるいは小細工をしやすいという欠点がないとは言えない。
この点は私がひそかに残念に思うところである。
7.東京に政法学部、経済学部を設置するのは、最近の事情を考慮すれば、
とうてい避けることができないと信じる。
8.日本人教師と外国人教師との関係について、調停の労をとり、
両者の協調を維持すること。これまで私は何回も両者の間に立って苦労した。
将来も教職員の皆さんが日本人教師にこのことを示していただきたい。
9.私は普段から敵をつくらない決心をしていた。
もし皆さんのなかであるいは私に対してわだかまりを持つ人がいるならば、
そのことを許していただければ幸いである。私の胸中には一点の曇りもない。
10.これまでの事業を見て、あるいはこれを私の功績とする人がいるかもしれない。
けれどもこれは皆、同志の皆さんの援助によって可能になったことであり、
自分ひとりの功績とは決して考えてはいない。
ただ皆さんのご厚意に深く感謝する。
襄は激しい腹痛に耐えながら、同志社への最後の言葉を語った。
の所要時間、、1時間40分だったという。
伝説は青色になり海になり 河村啓子
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