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川柳的逍遥 人の世の一家言
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それからはタヌキ寝入りが巧くなる  美馬りゅうこ



      山川 浩
                                      (各画像は拡大してご覧下さい)
 「竹筒の中味」
          しんかん
孝明天皇宸翰とは、文久3年(1863)「八月十八日の政変」始末の礼に、

孝明天皇より松平容保に送られた「天皇直筆の手紙」である。

同時に、天皇の「和歌」も送られた。

容保は、これを「竹筒」に入れ生涯誰にも見せることなく亡くなった。

(容保は明治26年12月5日、東京小石川の自邸にて肺炎のため死去した)

伝説は青色になり海になり  河村啓子

宸翰御製が世に出るのは、容保の死去の10年後、

山川浩と弟・健次郎による『京都守護職始末』の公表まで待つことになる。

もし宸翰と御製を公開されていれば、会津はどうなったのだろう。

幕末の変換期に会津だけが悪者にされ、

藩は藩士の末端まで、困窮と不幸を背負わされているにもかかわらず、

何故、容保は「朝敵の汚名」をはらさず、頑なに沈黙を守ったのだろう。

それを「時代」、それが「もののふ」と言うのか、深い霧に包まれる。

山から聞いたこと川へメールする  井上一筒



      宸 翰

 【ご宸翰】
 
「堂上以下、暴論をつらね、不正の処置増長につき、痛心堪え難く、

内命を下せしところ、速やかに領掌し、憂患をはらってくれ、

朕の存念貫徹の段、全くその方の忠誠、深く感悦の余り、

右一箱これを遣わすものなり」

(堂上以下が、乱暴な意見を連ねて、不正の行いも増え、心の痛みに耐えがたい。

 内々の命を下したところ、速やかにわかってくれ、

 憂いを払い私の思っていることを貫いてくれた。

 全くその方の忠誠に深く感悦し、右一箱を遣わすものなり)

堂上=清涼殿に昇殿が許されている公家

ごく軽くつまづくという預けかた  酒井かがり



       御 製

 【御製】
 やわ
『和らくもたけき心も相生の まつの落葉のあらす栄へん』

(平穏を望む心も、勇猛な武士の心も、

 一つの根の相生の松のように共に栄えてほしいものだです)
 もののふ
『武士と心あはしていはほをも 貫きてまし世々の思ひて』

(武士と心を合わせれば、どんな困難にも打ち勝ち、代々伝えられるだろう

白紙の周辺から一行足らずの私情  山口ろっぱ

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