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川柳的逍遥 人の世の一家言
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八重の籠城戦
次の世は星になるのか風なのか 新家完司
(各画像は大きくしてご覧下さい)
「八重の籠城戦-マップ」
① 8月23日朝、
八重
、入城
三の丸下あたり
② 8月23日~、敵軍を三方向から銃撃し、
城内への侵入を防いだ。
伏兵曲輪の上
③ 8月23日~、
八重
、スペンサー銃で薩摩藩二番砲隊を狙撃。
大山弥助
(巌)を狙撃か
北出丸上
④ 8月23日夜、
八重
、夜襲にも出撃。以後も度々敢行
北出丸右
⑤ 8月24日頃、
八重
が夜襲に出ようとしたところ、
少年たちに随行することを請われる
天 守
⑥ 8月26日、
山川大蔵
らが
「彼岸獅子」
を先頭に立てて入城を果たす
西出丸
⑦ 8月26日、
中野こう子、優子
らが入城を果たす
西出丸
⑧ 9月14日の新政府軍の総攻撃後、大書院、小書院の病室に
食事を届ける途中で、
八重
の至近距離に敵の砲弾が落ちる。
本丸
⑨ 9月22日、
降参の白旗
が掲げられる
北出丸
⑩ 9月22日午後、会津兵が三の丸に移される
三の丸
⑪ 9月22日夜、
八重
が雑物庫の白壁に
「明日の夜は何国(いずく)の誰かながむらんなれし御城に残す月かげ」
の歌を刻む
2つの三の丸の間
八重
、連日狙撃する
西の丸
松平容保
指揮所。八重が不発弾の解体を披露する
鉄門
藩士に弁当を届ける途中に、敵の銃弾で
八重
の帽子が飛ばされる
11番と同じ
川崎尚之助
が砲隊を指揮し、小田山の敵砲陣を砲撃。
豊岡神社に
四斤山砲
を据え、山頂の墓碑を目印とした。
八重
もこれを手伝う
下の方の三の丸あたり
南走長屋と干飯櫓
ひたむきな命は美しいものだ 杉本克子
「八重の籠城戦」
郭内に突入した西軍はただちに北出丸攻略にとりかかった。
北出丸御門は、藩主および公用をおびた重役のみが
出入りする
鶴ヶ城の表門
である。
西軍の銃撃に対して、城中からも激しく応戦した。
八重
もこれに参加、銃眼からスペンサー銃を撃ちまくった。
そのうち、西軍の銃声が砲声にかわった。
これは薩摩の
大山弥助
の率いる二番砲隊が、
活動を開始したのである。
たちまち犠牲者が続出した。
後悔がひたすら落ちる砂時計 石橋能里子
城中の旧式ゲベール銃などでは、
到底太刀打ち出来るものではない。
―このままでは表御門が突破されてしまう!
八重の脳裏に、その時、ひらめくものがあった。
城中に
四斤山砲
があったことを思い出したのだ。
八重は、玄武隊の兵によってこれを運び込むと、
城壁の土台の石垣を突き崩し、
そこから山砲の砲身を差し出して、砲撃を開始した。
もう一度同じ時間に乗ってみる 高島啓子
老兵たちは、彼女の指示に従って弾丸の装填をし発射した。
最初のうちは不器用だった彼等は、次第に馴れて、
敵陣に着弾するや、面白がって連発発射した結果、
さしもの薩摩砲隊も沈黙し、
「撤退した」
と知ると歓声をあげたものだった。
このことから初め男装の八重を見て、
単なる「お転婆娘」ほどに思っていた彼等も、
最後は言葉遣いまで改めて接するようになった。
「いやあ、女ながら、大したものだ」
と。
こうして八重の籠城は始まった。
ポニーテールほどいて四つキーをあげる 酒井かがり
八重はしかし、薩摩砲隊の撃退くらいで満足せず、
単独の夜襲出陣を企てた。
―これほどでは、三郎の無念は消えやせぬ。
との思いが強いのである。
スペンサー銃を担ぎ、
御台所門
に向かったところ、
12、3歳の少年が10人ばかり、
槍の柄を手ごろに詰めたものを持って、
たむろ
屯していたが、八重の姿を見ると、
「八重様、わたしたちも夜襲に同行させて下され!」
と誠意をこめて願った。
さすがに彼女も当惑し、本営にどうしたものかと諮ると、
心情は分らぬものではないが、敵方に、
「さては城中に兵少なく、会津様では、
女子供までも狩り出したかと、あなどりをかうではないか」
と叱責され、八重の夜襲は取りやめとなった。
生きていてくれと言われて生きている 永井 尚
間もなく、城内に藩兵の姿が急に目立つようになった。
城下の危急を知った遠征部隊が、馳せ戻ってきたのである。
それにつれて、西軍も長期作戦を取った。
以来、八重は藩兵の夜襲に混って、たびたび城外出撃をした。
が、彼女の場合は特殊であり、
籠城婦人たちの大方は、
兵士のための
炊飯
、
傷病兵の看護
および、
銃弾作り
が主な役目であった。
むろん八重もこれらに参加しなかったわけではない。
ことに銃弾作りと、運搬には、彼女らしさを発揮した。
ゴミ箱に私が落ちていませんか 守田啓子
百発を1箱に詰めた物を、
鉄砲隊に届けるのも女の仕事の一つで、
百発の重量は、女の細腕に余る重さであったが、
八重は2、3箱を抱えて平然としていた。
「三郎さんにはかなわない!」
女たちはそんな八重に嘆声をあげた。
この頃の八重は、友人に頼んで断髪していたので、
誰もが彼女を
「三郎さん」
と呼んだのであった。
城中城外での激しい攻防戦のすえ、
9月に入ると、ついに西軍は総攻撃を開始した。
UFOは蚊取り線香で追いはらえ 筒井祥文
城を見下ろす小田山に砲列を敷いて砲撃したのだ。
砲弾は月見櫓を越えて、城内へ落下した。
月見櫓を守った老人が数えたところ、
1日千発をはるかに越えた凄まじさであった。
八重が目撃しておどろいたのは、
天守閣に砲弾が着弾するや、猿のごとく屋根の上を走って、
その砲弾を素早く衣類に包んで投げ捨てていた
一団がいたことだ。
これは江戸屋敷出入りの鳶の者が40余人、
藩士に従いて会津に来、籠城したとのことであった。
「鉄砲や大砲の弾が恐くって、
逃げたとあっては、江戸っ子の恥だい!」
という啖呵が聞こえるようである。
火渡りのもう戻れない列につく 大西泰世
鉄 門
八重が
松平容保
の御前で不発弾を分解し、
砲弾の仕組みについて進講したのも、この時のことで、
黒金門内
の采配所で容保は、
感じ入った面持ちで八重の説明に耳を傾けていた。
八重が開戦以来、別れわかれになっていた、
川崎尚之助
と偶然めぐり逢ったのも、
西軍の砲撃が激しくなり、降りそそぐ砲火の中で、
銃弾運びをしていた時であった。
昨日から前頭葉に柿の種 森茂俊
三の丸鉄砲隊の陣地へ伺おうとし、
三の丸
の土手にさしかかった時、
さしもの彼女も思わず「あ」と棒立ちになった。
三の丸の土手の
大砲隊
を指揮し、
小田山の西軍に反撃を加えている人物が、
他ならぬ夫の尚之助だったからである。
八重に気付いた尚之助が、
片手を上げて
「お!」
と目をみはったのは、
八重が男装だったからに違いない。
まさしく、久方ぶりの対面であったが、
「ご苦労さん」
「お前様も」
「気をつけてな」
「あなたも」
二人の交わした言葉は簡略である。
直角に曲がる律義な人ですね 竹内ゆみこ
これが夫婦永別の時となるとは、もとより知る筈もなく、
八重は他の女達とともに、鉄砲隊の陣地へと向かい、
尚之助もまた、ふたたび大砲隊の指揮にとりかかっている。
会津藩は、籠城抗戦1ヶ月、
9月22日ついに白旗を掲げ開城と決した。
その後、八重は、耿々たる秋月の光を浴びながら、
三の丸雑物蔵の白壁
に笄で万感の想いを彫りつけた。
"明日の夜は何国の誰かながむらん なれし御城に残す月かげ"
落城とともに、城と同じく八重の人生もどうなるかは分らない。
むろんキリスト者・
新島襄
とめぐり逢うことなど、
彼女の夢想だにせぬことであった。
唇の水別れは不意にやってくる 森中惠美子
[4回]
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y2013/07/06 09:30 z
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