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川柳的逍遥 人の世の一家言
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ひとりではないよないよと仏の灯  森中惠美子

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「白虎隊 飯盛山自刃の図」 (浅井応翠筆)

(画像を拡大してご覧下さい) 


慶応4年(1868)8月23日、

戸の口原にて
板垣退助率いる新政府軍に破れた、

白虎隊士中二番隊の一部17名は、

退却途中に
飯盛山にて集団で自刃した。

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       飯盛山

「白虎隊ーひとりの美少年-東梯次郎」

東梯次郎というひとりの少年がいる。

父の名は佐太夫...食禄130石で会津藩にあっては

大目付まで出世し、しきりに藩の行く末を案じている人物だった。

そんな上士の息子が4歳の頃、

忘れられない光景をまのあたりにした。
よねだい
郭内米代四之町にある隣家の娘の光景である。

その娘の名は山本八重

藩の砲術指南役、150石取り山本権八の娘である。

梯次郎よりも九つ年上だから、

当時はまだ13歳になったばかりだったろう。

それはともかく、その光景、

梯次郎にとってはなんとも恐ろしいものだった。

大人へと化学反応し続ける  山口美千代

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「むんっ」という掛け声とともに、

八重が米俵をいとも軽々と担ぎあげたのである。

米俵がどれだけ重いのかは、4歳の子どもでも知っている。

四斗(60㌔)である。

1斗樽の油ですら梯次郎は持ち上げられないというのに、

八重は八重は、ヒョイと担いでみせる。

化け物ではないかと感じた。

ところが、その化け物、御仏のように優しい。

いつも下女の手伝いで米蔵から米俵を担ぎ出して、

母屋まで運んでやるのだが、そうした時、

きらきらと輝くような笑顔を見せるのだ。

どんな時も幸せですと言うている  太下和子

7歳になっても10歳になっても、梯次郎は同じ疑問に包まれた。

八重に手を引かれて野や川で遊んだり、

祭礼などの見物に出かけたりするたびに首をひねった。

石投げをしても近在の小僧など足元にも及ばない。

何から何まで男勝りに出来ている。

砲術にしても、そうだ。

門前の小僧が習わぬ経っを読むごとく、

父親の仕事ぶりを見ているうちに、

いつのまにやら知識を蓄え、鉄砲を憶え、

藩士が目を丸くするほど、

見事に撃ち放って見せるようになっていった。

いろいろな形でいいの愛なんて  山本昌乃

「八重さんは凄い」  

梯次郎は素朴にそう思ったが、親の側としてはそうはいかない。

「あの男勝りは、なんとかならんか」

父の権八は妻の佐久と相談し、裁縫を習わせようと決めた。

八重は近所に住む町奉行の日向左衛門の娘ユキと仲が良い。

2人で日向家の隣の高木家の老母の元へ通わせ、

裁縫を習わせることにした。

ただ、なかなか上達しない。

意にそまぬことなんですが私です  桜風子

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恐らくは向いていないのだろう。

しかし、うまれつき健気に出来ているのか、

20歳までの数年間、せっせと励んだ。

かといって、鉄砲を忘れたわけではない。

気が向けば鉢巻をきりりと締め、

庭先に設えられた的をめがけて、

轟然と撃ち放ったものだ。

そんな八重のことが、梯次郎は好きだった。

生真面目にゴトン各駅停車です  清水すみれ

ところで梯次郎は、父親によく似て物腰の柔らかい少年だった。

頭も良く、父から漢籍を学び、

11歳の春には日新館に通うようになり、

尚書塾一番組に編入された。

しかし、いくら頭脳が明晰で、姿容が優美で、

仏式歩法調練によって逞しく鍛えられていようとも、

武士として戦場の務めを全うできねばしかたない。

ことに、これからの時代、銃が撃てねば話にならない。

なるほど、会津の藩士らは上級になればなるほど、

鉄砲は下級武士の武器だとか、

武士が腹這いになれるかとか空威張りをしているが、

梯次郎のような若侍にそんな見栄はない。

洋式銃を受け入れねば、故郷を守ることはできない。

どの箱を開けても海は荒れている  中野六助

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梯次郎は脇目も振らずに八重のもとへ走り、

「鉄砲を教えて下さい」 

ここぞとばかりに頭を下げた。

「鉄砲は、鉄砲の上手な方に教えて戴きたいです。

  鉄砲の似合う方は、鉄砲上手です」

「わたしは鉄砲など似合いませぬ」


八重はそのおり機を織っていた。

京にある兄・覚馬へ反物を送ってやろうと思っていたのか、

夫・尚之助に着物を新調しようと思っていたのか、

それはわからない。

が、このところ、とみに女らしくなってきた八重は、

機織りの手を止め、首を横にふった。

柿の実のたわわに熟れていて遠い  佐藤美はる

だが梯次郎は諦めない。

「機織りなど八重さんには似合いませぬ。

  八重さんに似合うのは、鉄砲です」


八重は溜息をつき、諦めたように微笑み、

「わかりました」

と頷いた。

「教えて差し上げましょう」

だが、機織りをやめた八重の教えは、

乙女時代の性格が甦ったようにきつかった。

最初に引き鉄を引いた時からして、そうである。

思わず眼を瞑ってしまったのだが、

―臆病者っ。

いきなり、頭ごなしに叱られた。

―あなたのような臆病者には教えられませぬ。

とはいえ、生まれて初めて銃を手に取ったのである。

射撃の轟音と衝撃に驚かぬ者がいるはずもない。

しかし、八重は赦してくれなかった。

甘やかすつもりなどない角砂糖  竹内ゆみこ

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―今度は瞑りませぬゆえ教えて下さい。 

と頼み込み、ようやく二発目を撃った。

が、またもや瞑ってしまった。

「そんなふうでは、敵など、撃てるものではありませぬぞ」

「次こそ、次こそ瞑りませぬ。もう一遍っ」


梯次郎は懇願し、三発目は必死に堪えた。

「好いでしょう。教えて差し上げます」

まるで母か姉のような口ぶりだったが、

そのとおり、

八重は精一杯の愛情を傾けて鉄砲を教えてくれた。

射撃の姿勢、照準の付け方、火薬の配合、息遣いなどと、

事細かに誠心誠意、教授してくれたものだ。

弱点を谷折にして立ち上がる  オカダキキ

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ところがある時、こんなことがあった。

―そのざんぎりになった前髪では、

引き鉄を引く際、動きの妨げになりますね。


いうが早いか、剃刀を手にして、

ばっさりと切り落としてしまったのである。

これには、さすがの両家の者が驚いた。

いや、驚いただけではない。

八重の母・佐久に到っては、火をふくように叱りつけた。

女だてらに鉄砲を教授するばかりか、

―隣家の許しも得ずに前髪を切るとは何事か

と憤激したのである。

どうしょうもないがあきらめかねる  藤井孝作

しかし、八重はひるまない。

「母上はそう仰いますが、

そもそも女ごときに砲術を教えてくださったのは、

父上と兄上にございます。

八重は薙刀も習い憶えましたが、戦さの際に役に立つのは、


何をさしおぴても砲術と心得ております。

ですから八重は、父上と兄上の申されるままに、

砲術の奥義を極めんと欲し、精進してまいりました。

かつまた、梯次郎どのに対しましては、

父上と兄上の教えを、そっくりそのまま伝授して差し上げました。

もしこの先、梯次郎どのが戦さにおいて、

見事に鉄砲を披露して下されば、

それはすなわち、

山本家の教えが世に披瀝されることであり、


我が家の誉れというべきものになるのではありませぬか。

つまり、八重は、山本家の名誉のために、

梯次郎どのの前髪を切り落としたのです」


まん丸でつきたて餅のお人柄  徳山泰子

庭先に立ち尽くして事のなりゆきを見守っていた梯次郎は、

ふと、かたわらに佇んでいる人影に気づいた。

八重の夫、尚之助だった。

尚之助は妻の反論をじっと見つめ、

やがてにっこりと微笑んでみせた。

「あれでこそ 八重だ」

だから八重は好いのだ、というのであろう。

みんな許して石段おりる  河村啓子

やがて事なきを得た後、教授の終わりの挨拶として、

梯次郎にこう告げた。

「寒夜に霜を聞くごとく、引き鉄をお引きなさい。

由来、寒い冬の夜には霜が降ります。

けれど、霜の降りる音は、

おいそれと聞き取れるものではありません。

余計なことは一切考えず、

気持をひとつにして霜の音色に耳を傾けるのです。

鉄砲も同じです。

引き鉄にそっと指をあて、ただ的のみを見つめ、

寒夜に霜を聞く如く、

引き鉄を引くのです」


それこそが、鉄砲の極意であると。

目標はきっときっと見つかるから  庄田潤子

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慶応4年(1868)8月下旬、

(慶応4年は閏で8月下旬は東北では雪が下りはじめる10月にあたる)

戊辰戦争の戦火が会津にもおよび、

梯次郎は白虎隊の隊士として出陣した。

―八重さんっ。

見送りに来てくれた八重に、梯次郎は叫んだ。

「立派に撃ち放ってみせますよ」

そういい、ヤーゲル銃を、頭上に高々と掲げてみせた。

この温柔にして勤学を謳われた美少年は、

こうして戦さの野に進んだ。

戸ノ口原で敵を待ち受け、噎せ返る夏草の間に臥し、

銃を構えた。

銃身の上に、照準を付けるための櫓を立て、

引き鉄に指を絡ませる。

寒夜に霜を聞くごとく―
                        (秋月達郎)

恋がほんのりそっと背を押す  小山紀乃


  「白虎隊を写真で見る」ー(画像は拡大したご覧下さい)

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     隊士の手記

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白虎隊二番中隊士・津川喜代美の手紙

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   隊士たちの胸の内

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松平容保が陣を敷き白虎隊士が出陣の命を受けた旧・滝沢本陣

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    白虎隊・隊士像

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    白虎隊士の墓

碑には、


「幾人の涙は石にそそぐともその名は世々に朽じとぞ思う」 

と刻まれている


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      隊士霊像


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    白虎隊記念館

ブランコに乗せる十五夜お月さん  本多洋子

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