現役のままボリュームは絞らない 美馬りゅうこ
芳年武者旡類
当時はまだかけだしの毛利元就と激戦のすえ、
敗れた尼子氏再興のため、
「願わくば我に七難八苦を与え給え」
と三日月に祈る山中鹿之助。
「山中鹿之助」
山中鹿之助は、山陰地方をおさめていた
尼子氏の家臣。
名は
幸盛。
一騎打ちで毛利氏配下のも猛将を何人も討ち取り、
「山陰の麒麟児」の異名をとる。
その尼子氏が
毛利元就の謀略により永禄9年
(1566)に滅亡する。
鹿之助ら
尼子遺臣団は、京都・東福寺の僧籍にあった
尼子勝久を、
還俗させ擁立し、尼子氏再興のため立ち上がる。
永禄12年、
山名祐豊を頼り但馬国を経由し、
隠岐の豪族・
隠岐為清の協力を得て、出雲忠山を占領。
その後、出雲の尼子遺臣の勢力を吸収、
「新山城」を落しここに本営を置く。
「原手合戦」で毛利軍に勝利するなど、
毛利氏の拠点・月山富田城を除き、
出雲一国をほぼ手中に収めるまでに勢力を伸した。
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尼中鹿之助
その後、尼子遺臣団の統制の乱れ、隠岐為清の離反、
そして
「布部山の戦い」に敗北するなど衰勢著しく、
元亀2年
(1571年)8月に新山城が落城する。
この
「美保関の合戦」で、鹿之助は元就の次男・
吉川元春に捕らえられ、
尾高城に幽閉されるも、監視の油断をついて脱出する。
これが鹿之助による尼子氏再興蜂起の一回目である。
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その後、鹿之助らは京都に逃れた。そのとき
信長に拝謁している。
尼子遺臣団は尼子氏再興の志を秘めて
山名氏と組み、
因幡国を転戦、
「甑山城での戦い」「鳥取城の戦い」を制し、
天正2年
(1574年)頃には、因幡国の諸城を攻略し、
織田方の
浦上宗景の助力もあって若桜鬼ヶ城・私都城の確保に至り、
一時的にも尼子氏を再興することに成功した。
ところが、毛利氏と敵対していた
山名祐豊が、
信長に脅威を感じ毛利氏と手を組んだことや、
織田軍の支援を得ることができなくなったことで、
天正4年5月、鹿之助ら尼子再興軍は若桜鬼ヶ城を退去し、
因幡から撤退する。
尼子再興二度目の失敗である。
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絵本太閤記
中国勢上月の城を囲む
上月城は延元元年(1336)に築城された。
天正5年に秀吉軍の攻撃で落城後尼子勝久が入城している。
だが翌年には、毛利の大軍に囲まれて落城した。
その後鹿之助らは織田軍のもとで、尼子氏再興を目指すことになる。
明智光秀の
「丹波平定戦」や
織田信忠の
「信貴山城の戦い」に参加。
また信長の命令を受けて、秀吉が播磨国へ進軍を開始すると、
尼子再興軍もその行軍に参加する。
秀吉が毛利の拠点・上月城を攻略すると、
勝久・鹿之助らは上月城の守備をまかされる。
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天正6年
(1578)2月、三木城の
別所長治が信長に叛旗を翻すと、
毛利軍はこれを機に
吉川元春・小早川隆景らが軍勢を率いて、
播磨に攻め込み、4月には、上月城を包囲する。
「毛利軍が上月城を包囲した」 という知らせを受けた
秀吉は、
荒木村重らとともに軍勢を率いて、上月城の救援に向かおうとするが、
信長より別所長治が篭城する
「三木城の攻撃を優先せよ」
の命令があり、上月城は孤立無援となる。
そして兵糧も底を突き、また兵士も戦意喪失しはじめ、
7月5日、ついに尼子主従は、同年7月5日毛利軍に降伏した。
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阿井の渡しにある鹿之助の墓
降伏の条件として、
尼子勝久は切腹を命ぜられ、鹿之助は生け捕りとなる。
そして備後国鞆浦・
毛利輝元の陣へ護送される途上の阿井の渡しで、
鹿之助は謀殺される。
この鹿之助の死によって尼子氏再興活動は完全に絶たれた。
【予談】(鹿之助の長男・山中幸元(鴻池新六)は父の死後に、
武士を廃して、大阪伊丹市で酒造業をはじめて財を成し、
豪商・鴻池財閥の始祖になったという)
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絵本太閤記
山中鹿之助VS品川狼之助の一騎打ち
【エピソード】
毛利氏による尼子氏の居城・月山富田城攻城戦のなか、
毛利輝元が、石見の兵を中心に編成した軍勢を引き連れ、
尼子氏の兵糧集積場(荒れ寺)に兵を伏せ、
山中鹿之助率いる尼子氏の軍勢に奇襲を掛けた。
ところが、鹿之助率いる尼子氏の軍勢による返り討ちに遭い、
輝元も殺されそうになる。
そのとき品川狼之介が現れ、周辺の敵を長剣で打ち払い、
輝元の危機を救う。
敵である狼之介の活躍に目を留める鹿之助。
狼之介が名乗りを上げる「拙者、石見の生まれ、品川狼之介」
鹿之助 「狼之介?」
狼之介 「左様。ただ鹿(鹿之助)を討つことのみを夢見て、
古き名を捨て狼之介と名乗っておる」
鹿之助 「面白い、出られい」
荒れ寺の外で、狼之介と鹿之助の一騎打ちが始まる。
光り出すあなたが欠けて行く月夜 山口亜都子
幸盛(鹿之助)が先行して川に飛び込み、
将員(狼之介)は幸盛が川の途中まで渡ったところで
川に飛び込み、決闘の場所へと向かった。
将員は大弓に矢をつかえて川を渡ろうとしたため、
尼子軍の将、秋上伊織介(宗信)、五月早苗介、藪中荊之助は、
「一騎討ちの戦いに飛び道具を使用するとは、臆病者の所業だ。
お互いに名乗りを上げての勝負なので、
太刀による打ち合いで行うべきだ」
と大声を上げ抗議した。
約600m
しかし将員はその声を無視し、そのまま30間ばかり、
川を渡っていたため、たまりかねた宗信は、
弓に大雁股の矢をつかえて解き放ち、将員の弓の弦を切り落とした。
攻撃を阻止されたため将員は怒り、壊された弓矢を投げ捨て、
中州に上がると、大太刀を抜いて幸盛に切りかかった。
対する幸盛も太刀を抜いてそれに応じ、太刀打ちの勝負となった。
一時余り戦うと、しだいに幸盛の力量が勝り、
将員は受け太刀となり追い詰められた。
太刀打ちの勝負に不利を感じた将員は、
「取っ組み合いで勝負を決めよう」
と幸盛に提案し、幸盛もそれに応じたため、
勝負は組討へと変更になった。
組討勝負は、力で圧倒する将員が勝り、将員が幸盛を組み伏せる。
しかし組み伏せられた幸盛が、下から腰刀により将員の太股を2回抉り、
弱った将員を跳ね返してその首を切り討ち取ったため、
幸盛の勝利となった。
幸盛は「石見の国より出でたる狼を、出雲の鹿が討ち取った。
たらのき
もとより棫の木は好物なり。我に続け」
と叫びながら味方の陣に帰還した。 『雲陽軍実記』
フィニッシュは地獄の釜へ真っ逆さま 新家完司
『雲陽軍実記』に狼之助は、
「自分は抜群の大勇力を持ちながら、
運悪くこれまで万人の目を驚かすほどの高名がない。
尼子には、山中幸盛、立原久綱、熊谷新右衛門の
三傑といわれる人物がいるが、その1人なりとも出会い、
一騎討ちの勝負をして名を後世に残したい。
特に幸盛は軍智博学・勇猛兼備の者なので、
討ち取れば比類の無い高名を得ることができるだろう」
と思い、毎日城を出て敵陣の様子を探っていたと
独白する。
獺と鼬の暗闘は済んだ 井上一筒 [3回]
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