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川柳的逍遥 人の世の一家言
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流されているなと思いつつ流れ  前田咲二 



     郡山城

尼子氏の衰退はこの郡山城から始まった。

「尼子の最期」

秀吉官兵衛の信頼の神文が、半兵衛の手で火中に投げ入れられ、

灰になってしまった時の半兵衛の言葉です。

「天下を統一せんとするのは、合戦をいとうからではない。

  民を安らげるためでもない。

  つまらぬ戦さなどさっさと止めて、国造りをしたいからだ。

  調略を行うのは、つまらぬ小戦で兵力を損ないたくないからだ。

  敵の主力に対して全力で立ち向かい、完全な勝利を得るためだ。

  しかし、それには智恵がいる」

分が悪くなると化石になっている  小谷小雪

「神文などにとらわれて、軍師としての目が曇りますぞ。

 あなたの力は己の見栄や欲得ではなく、

 その知恵を、天下のために使ってこそふさわしいのではありませんか。

 すでに領土を侵し侵され、奪い奪われる時代ではない。

 時代は、天下統一に向けて動いている。

 貴殿は才がある。

 その才は主家のためだけに使うのではなく、

 天下のためにこそ用いるべきだ。一周り大きくなられよ」

ほらそこに夢のしっぽが光ってる  田村ひろ子



   尼子勝久(太平記英雄伝)

半兵衛のずっしりとした現実味のある説教に官兵衛は項垂れた。

以後、官兵衛は変わった。

何もかも半兵衛から会得しようとした。

官兵衛は日増しに成長した。

この時期こそ官兵衛が智将となっていく過渡期にあったと言えるが、

人生に分岐点もあれば、当然、試練もある。

その前兆となったのが、「尼子家の悲劇」だった。
       こ ち
毛利勢によって故地を奪われた尼子勝久とその遺臣たちは、

信長の元で、再興を図り、上月城を与えられ、

秀吉の翼下に組み込まれていた。

月明り背にしてこころ隠しきる  石橋能里子

ところが、天正6年(1578)の春、非常事態が生じた。

三木城主の別所長春が信長に叛旗を翻したのだ。

ことから毛利の反攻が始まり、

宇喜多直家率いる一大兵力が進攻してきたのである。

官兵衛は宇喜多勢にあったが、

信長は急遽、秀吉に対して戦線の縮小を指示してきた。

撤退すれば上月城を見捨てることになる。

官兵衛はそれだけはできないと思ったが、

信長の命令は絶対だった。

石垣の石はスクラム組まされる  籠島恵子



   書写山園教寺

三木城の造反により姫路城にいた秀吉が、東の別所氏と西の毛利氏に挟まれ
窮地に陥った時、官兵衛は書写山園教寺に本陣を移すことを秀吉に進言する。
姫路城にいては、
海が近くて毛利軍の攻撃を受けやすく、
信長からの援軍を
収容できる広さもないからである。

秀吉はすぐその策を実行し、見事危機を回避した。



「羽柴小一郎」「天正六年」「近江浅井郡」 と書かれている柱
          じきどう
書写山園教寺の食堂内には、秀吉が本陣を一時的に移した際、

兵士が書いたと思われる「羽柴」と書いた柱の落書きが現存している。

またこの地は「西の比叡山」と称される天台宗の古刹でもあり、

映画・『ラストサムライ』のロケ地としても知られている。
                  しょしゃざん
官兵衛は秀吉に従い姫路の書写山まで退いたが、

尼子勝久は、主家再興を第一義とする山中鹿之助らに支えられ、

上月城から退却しなかった。

「小事を優先してどうなる」

官兵衛は、半兵衛の言をもって必死に説得した。

だが、尼子遺臣団は織田家に従属するよりも尼子家として、

滅亡することを望んだ。

官兵衛は「以前の自分」と思った。

ホウレン草食べてポパイは死にました  大西俊和

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